第197話 夢現
グラグラと揺れているような感覚がした。まだ半分は夢の中。今にも目が覚めそうな、だけど目を覚ましたら何かを失ってしまいそうな、そんな中途半端な感覚。
現実に引き戻されるのが嫌で、もう少し……あと少し……そうやって目を閉じていたが、喉から込み上げてきた違和感に日野は咳き込み、その拍子に目が開いた。
目の前には、乾いた砂の地面が広がっている。日野は頬や髪についた砂を払いながら、ゆっくりと身体を起こした。見上げた先には茜色の空が広がっていて、傍にはベンチがあった。蒸し暑い夏の風が頬を撫で、異常なまでの暑さが体力を奪っていた。
恐る恐る辺りを見回して状況を確認する。見覚えのある風景に、日野はポツリと呟いた。
「……戻ってきた」
日野が倒れていた場所。そこは、はじめて青い本を手にしたあの公園だった。周囲には、あのとき持っていたバッグや着ていたスーツ、身につけていた時計にパンプスまでもが、持って帰れと言わんばかりに転がっていた。
日野は、傍に落ちていた時計を拾って時間を確認した。まだ夕方。自分の記憶が間違っていなければ、会社を出てからそんなに時間は経っていない。
これが現実……だとしたら今までのことはすべて、倒れていた間に見た夢だったのだろうか? グレンも、ハルもアルも。ザック先生や刻も。ローズマリーやルビーも。楽しかった日々や、嬉しかった出来事、出会った人たちや好きになった人まで、全部夢だったというのだろうか。
だけど覚えている。抱きしめられた感触も、好きだった気持ちも、みんなの笑顔も、全部覚えていた。
「夢ならなんで……こんなに覚えてるの?」
無意識に、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。泣くのを堪えようとすると、喉と胸が圧迫されて苦しくなる。短く呼吸を繰り返しながら、日野は頬を伝った涙を袖で拭った。その時、ふと気がついた。
「……このコート」
夏だとはいえ、なんだか異常に暑いと思っていたが、それは今着ている紺色のコートが原因だった。
── それ良いだろ。雪だるまみたいで。
不意にグレンの声が聞こえた気がした。楽しそうなハルの声と、ザック先生の笑い声も聞こえた……気がした。
「……うん」
涙声のままコクリと頷いて、日野は確かめるように大きなボタンを外していく。コートの下に着ていた服は、はじめてあの世界に行った日に、みんなに選んでもらったものだった。履いているブーツまでそのままだ。
夢じゃなかった。夢ではなかったのだ。そう気付いた瞬間、消えていった友人たちの姿が甦った。日野は震えながら自身の身体を抱くように両手でコートを握りしめた。
「ごめん……ごめんなさい、刻。ごめんね、ローズマリー。オリバー……みんな……ごめんなさい、ごめんなさい」
あの世界の誰かが傷付くのも、誰かがいなくなることも嫌だった。だから助けたい、守りたいという気持ちだけで行動した。しかし自分のその判断が、痛みと別れを生んでしまった。
日野は自らを責め、ボロボロと涙をこぼした。だが、どんなに泣いても再び青い本が現れることはなく、現実は変わらなかった。そして、泣き疲れた頃には空はすっかり暗くなっていた。
わかっていた。どんなに泣いたって変わらないことを。そうやっていつも何かを諦めながら生きてきた……はずなのに。
好きな人達と、グレンやみんなと一緒にいたい。あの世界に戻りたい。たった一つだけ、その願いだけが頭の隅から出ていかなかった。
帰ろう……そう呟いたつもりだったが、その言葉は声にならなかった。日野は、辺りに散らばった荷物を力なく拾い上げると、トボトボと自宅までの道のりを歩いていった。
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