第190話 生きて
冷たい風に、赤い髪が揺れた。手には細い木の枝と、マッチを一箱。腕にはいくつかの薪を抱えて、ルビーはローズマリーの元へ駆けて行った。
「ローズマリー! これでいい?」
「ありがとう。そこに並べてくれる?」
ローズマリーの指示にコクリと頷き、ルビーは街で見つけてきた薪と枝を並べてマッチを擦った。長いあいだ路地裏で暮らしていたせいで、物をくすねるのも火をつけるのもお手のものだ。
そして、ルビーがつけたわずかな炎に照らされて、青ざめたグレンの顔が見えた。ローズマリーのコートを枕にしてグレンは横たわっている。グレンがいつも身につけている黒いコートのおかげで体温はまだ保たれているようだ。だが、それもいつまでもつかわからない。まだ焚き火とも呼べない不安定な炎も、いつ消えてもおかしくなかった。
「もっと薪が必要ね。今度は私が行くから、ルビーはグレンを看ていてちょうだい」
「わかった」
「悪いな……すぐに動けるようになる」
右手を目元に当てながら、グレンがそう言った。だが、過剰な出血のせいで目眩が止まらないようだ。
ローズマリーは心配そうにグレンを見つめて、薪を探すため歩き始めた。その背中を見送りながら、ルビーが冷たくなったグレンの左手に触れようとした時、チロチロと揺らめいていた炎が、ひときわ大きく揺れた。
「アハハハハハ! ローズマリー!」
風に乗って声が聞こえたと思うと、オリバーがローズマリーのすぐ目の前に迫っていた。
小さな悲鳴を上げて、ローズマリーが身体を硬直させる。その時、
「伏せろ!」
グレンが叫んだ。フラつく身体を無理矢理起こし、腰の銃を手に取ると、グレンはローズマリーの元へと走り、庇うように前に出た。すると、オリバーの表情からスッと笑みが消え、真っ赤な唇から冷たく静かな声が響いた。
「ジャマだよ」
言うと同時にオリバーはグレン目掛けて爪を振り下ろし、グレンは持っていた二丁の銃で身を庇った。
──ガキンッ
無機質な音が響き、銃が真っ二つに割れた。重たい鉄の塊となったそれは手から滑り落ち、雪に落ちた。
「鉄も切れるのかよ……」
「ソウダヨ。だって破壊の力だもの。次はオマエの番」
そう言ってオリバーが笑った。グレンの頬に冷や汗が伝う。再び振り上げられた爪から身体を庇えるものは、もう手元に残っていない。ローズマリーとルビーの甲高い悲鳴が鼓膜を刺激し、グレンの目の前にオリバーの爪が迫った。
「よく頑張りました」
「よく頑張りました」
その時、悲鳴の隙間を縫って、聞き慣れた医者の声と、それを真似る少年の声が耳に届いた。真っ赤に染まった白い靴がオリバーの腹部に直撃し、オリバーは血を吐き出しながら吹き飛ばされた。
ドレスをまとったその身体が飛んでいった先。そこには刻が待ち構えていた。刻はオリバーの頭を掴むと、そのまま地面に叩きつけた。
「──ッガっ!?」
辺りには血が飛び散り、潰れかけたオリバーの頭はビクビクと痙攣していた。一瞬の出来事に、グレンは呆気に取られている。そんな彼を横目に、刻がアイザックに近づき声をかけた。
「動けるのか?」
「お陰さまで」
笑いながら、アイザックは雪の上に倒れ込んだ。その身体を駆け寄ってきたハルが支える。
「でも、今ちょうど動けなくなりました」
「だからボクは止めたのに……」
ヘラヘラと笑顔を見せるアイザックに、ハルがため息をついた。すると、ハッと短く息を吸い込む音が聞こえ、硬直していたグレンが我に返ったように辺りを見回した。ローズマリーとルビーも、刻に駆け寄っていく。
「おじさん、何やってんだ! そんな身体で動いたら……」
「動かなかったら、あなたたちが死んでいました」
「……そうだな。助かった」
「それより、オリバーを。この短時間で潰れた頭が再生しています。じきに目を覚ますでしょう。その前に取り押さえて──」
「グ……アアアアアハハ、ハハ……アハハ、アハハハハハ」
アイザックの言葉を遮って、不気味な笑い声が響いた。笑うたびに口からべちゃべちゃと血が滴り、雪が溶けていく。オリバーは笑いながら、むくりと起き上がった。
グレンはハルとアイザックを、刻はローズマリーとルビーを背に隠して身構える。
「ロー……ズマリ……。オレは……キミを……キミもオレと逝こう?」
苦しげにそう呟きながら、オリバーが手を差し出した。だが、ローズマリーは刻の背中に隠されていてオリバーの目からはよく見えない。ジリジリと近づいてくるオリバーに、刻はローズマリーとルビーを背に隠しながら後退った。
「黙れ。貴様には渡さない」
「ナンデ? どうして? 同じなのに……同じ嫌われ者のくせに……なんでオマエだけ? ナンデオマエは愛されるの? ナンデオレハ……アイさレナイ……アイサレナイ、アイサレナイ。アアアアアハハハ……ハハ……殺してやる」
カタコトだった口調が、突然低く鋭くなった。殺意のこもった最後の一言と同時に、オリバーが刻に飛びかかる。
「刻! 避けなさい!」
──ザシュッ
アイザックが叫んだ。しかし、刻は避けなかった。少しでも動けば、ローズマリーとルビーに怪我を負わせかねない。自分が攻撃を受けることで二人を確実に守ることができる、そう思ったからだ。
皮膚の裂ける音と共に、血が噴き出した。真っ赤な雪の中に倒れ込んだ刻に、ローズマリーとルビーが必死に声をかける。
「刻! どうして避けなかったの!? あなたなら出来たはずでしょ……?」
「刻……刻……?」
涙を流す二人を見つめながら、オリバーは指についた血を舐めとっていた。
目の前には自分たちを狙う殺人鬼が立っている。そんな状況にも関わらず、ローズマリーとルビーは刻に声をかけ続けた。二人にはもう刻しか見えていない。オリバーから逃げようという気持ちすら無かった。
綺麗になったオリバーの爪が、ローズマリーとルビーを狙う。助けなければと分かっていても、グレンとアイザックの身体はもう動かなかった。助けようにも助けられない。
そんな時、オリバーの爪の前に緑の少年が立ちはだかった。
倒れた刻と、傍にいるローズマリーやルビーを守るように前に立ち、ハルは両手を広げた。ハルの頭の上で、ネズミのアルも同じように両手を広げている。その小さな姿に、オリバーはグルリと勢いよく首を傾げた。
「……なんのつもり? オマエ死にたいの?」
「ボクは、刻を守ってるんじゃない。これは、ローズマリーお姉ちゃんと、ルビーちゃんを守るためだ」
自分自身に言い聞かせるように、ハルはそう言ってオリバーを睨みつけた。
「死にたいなら先に殺してアゲルよ」
「ボクは死なない。アルの分まで生きるから」
「サヨナラ、おチビちゃん」
二年前、刻に襲われた瞬間の映像がハルの頭の中にフラッシュバックする。鋭い爪が、両親と双子の兄を引き裂いた。恐怖でガタガタと震えるハルの身体に、再び殺人鬼の爪が迫る。それでも、目は閉じなかった。緑色の瞳は、オリバーを睨んだまま逸らさない。殺される──そう覚悟した瞬間、ハルとオリバーの間に、長い黒髪の女が降り立った。
女は勢いよく振り下ろされたオリバーの腕を掴み取り、そのまま捻り上げると、軽々とオリバーの身体を放り投げた。
ドカン──と音を立てて、オリバーは建物の壁を突き破った。
夜風にそよぐ黒髪。傍には青い本が浮いている。華奢な背中を見上げて、ハルはその女の名を呼んだ。
「ショウちゃん?」
声に反応して、日野が振り返った。金色の瞳がいつもより輝いて見える。
「生きて。私が守るから」
そう言った日野は、星明かりに照らされて、美しい笑みを浮かべていた。
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