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百八十五 甘い女の子

「イヒ……アハハ……ヒヒヒヒ……」


 オリバーの瞳の中で、どす黒いモヤが蠢いている。焦点の定まらない目で日野とグレンをチラチラと捉えながら近寄ってきた。日野はグレンを庇うように両手を広げると、震える声でオリバーに訴える。


「オリバー、ごめんなさい。薬でこんなことになるなんて……あなたに辛い思いをさせるつもりはなかったの。ただ、私はあなたを止めたくて……」

「フフ……相変わらず甘いね、オネエサンは。イイヨ、許してあげる。だからお詫びにオレと一緒に、この世界と一緒に死んでくれる?」


 そう言って、ガクリと勢いよく首を傾げたオリバーは、すうっと微笑んだ。美しくも不気味な表情が星明かりに照らされている。モヤのかかった金色の瞳からは、心の底に沈んだオリバーの悲しみが雫となって滴っていた。

 悲しんでいる……?

 オリバーと日野の目が合った瞬間、その疑問に答えるように、日野の頭の中に幼い少年の泣き声が流れ込んできた。

 悲しかった。寂しかった。愛されたかった。認めて欲しかった。ただ、それだけだった……少女の姿をした少年は、そう言って泣いていた。ヒクヒクと啜り泣くその声が日野の頭の中を這い回る。

 少年の感情が日野の心にぴたりと重なり、涙が伝染(うつ)った。


「わかる、わかるよオリバー。私もたくさん泣いたから」


 日野の瞳は、星の光を吸い込んだように煌めきながら、小さな涙の粒をこぼした。

 暑い夏。狭いアパートの中で、口論とも呼べないような両親の罵り合いがセミの鳴き声と相まって煩く響いていた。あんたさえいなければ……そう言って自分を睨む両親の目がフラッシュバックする。

 愛されたい……ただそれだけだった。なのに、いつの間にか周囲の人間との間に自ら溝を作り、そして傷付けた。オリバーと私は似ているんだ。青い本は運命から抜け出すために、もう一度やり直すために、私たちに与えたんだ。

 ──自分自身の小さな世界を破壊する力を。


「オリバー、やり直そうよ。破壊なんてしなくてもいい。誰も傷付かなくていい世界をつくろう……痛みを知ってる私たちなら、きっとできるよ」


 目の前で爪を振り上げたオリバーに、日野は震えながら訴え続けた。だが、オリバーの爪は躊躇(ためら)うことなく日野の身体を引き裂いた。パックリと斜めに裂けた胸の傷から、赤い血液が噴き出していく。日野は悲鳴を上げるが、両手を広げたままグレンを庇い続けた。


「お願い。グレンだけは傷つけないで。グレンは血が──」

「知ってるよ。でもオレには関係ない。……誰も傷付かなくていい世界? そんな夢物語があるわけないじゃない。オネエサンは甘いよ。甘過ぎて食べちゃいそうなくらい。言ったよね、オレはオレの道を歩く。全部壊してオレも死ぬ。それでいいんだ。そうでしょ、ノワール?」


 虚空に語りかけたオリバーには何かが見えているのだろうか。誰もいないそこにオリバーが微笑む。

 すると日野の背後から、荒い息の音とグレンの苛立った声が聞こえてきた。


「甘いのはお前だ。男のくせにいつまでもメソメソしやがって」

「グレン!? 駄目、今動いたら血が……止血しなきゃ」

「大丈夫だ」


 背中から流れている血は止まる気配がない。早く止血しなければ命に関わる。

 日野はグレンを止めようとした。だがグレンは立ち上がり、オリバーの前に出た。


「オレが甘い? どういうこと?」


 オリバーがムッとして首を傾げる。グレンはオリバーを煽るように鼻を鳴らした。


「辛い過去もお前の一部だろ。それをこの世界ごと破壊する? くだらねぇ。そんなんだからローズマリーに見向きもされないんだ」

「ローズマリーはオマエたちを殺したらちゃんといただくよ。だから心配しないで。オレと刻は同じ殺人鬼なんだ。だからきっとローズマリーはオレを──」

「愛さない。お前は刻に敵わない。背負ってるモノが違うんだ。お前が男だと名乗るなら、過去も罪も全部背負って、生きて生きて生き抜いてみせろ。……女の子には無理か?」


 痛みに表情を歪めながら、グレンが笑った。女の子……その言葉にオリバーの表情は暗くなり、張り詰めていた何かがプツンと千切れる音が聞こえたような気がした。


「……ウルサイ! ウルサイウルサイ! こんな世界も、オマエも、オレも、全部全部消えてしまえ!」


 次の瞬間、ヒールを履いたオリバーの足がグレンの身体を蹴り飛ばした。骨の折れる音がはっきりと耳に届き、数メートル先に吹き飛ばされたグレンは建物の壁に背中を叩きつけて止まった。口端から血を流し、力なく倒れ込む。


「グレン!」

「オネエサン、ちゃんとオレのこと見てって言ったでしょ?!」


 グレンに駆け寄ろうとした日野に、オリバーの爪が迫る。

 逃げられない。日野は咄嗟に目を強く閉じて、自身をかばうように両腕を前に出した。

 ──ザシュッ

 布と、皮膚の裂ける音がした。だが、痛みがない。誰かに抱きしめられたような感覚と微かな甘い香りに日野が目を開けると、目の前にはもう一人の殺人鬼……刻が庇うように抱きしめてくれていた。刻の背中からはポタポタと血が滴り、裂けた傷口がすうっと治っていく。

 刻はふわりと日野から離れると、オリバーの身体に爪を立て、思い切り引き裂いた。そのまま殴り飛ばし、距離を取る。オリバーが吹き飛んだのを確認すると、刻は日野へ向き直った。


「遅くなった。グレンはローズマリーと緑の片割れに任せている。気にせず戦え」


 そう言われグレンの飛んで行った方へ視線を向けると、ぐったりと倒れたグレンに、ハルとローズマリーが駆け寄っていた。

 きっと大丈夫、大丈夫だ。日野は胸に手を当てて心を落ち着ける。そして刻を見て、コクリと頷いた。

 どうなるか分からない。それでも出来る限りの力を尽くして、この夜を超える。

 日野の金色の瞳に、ヨロヨロと立ち上がるオリバーが映った。


 もう一度、止められるなら……。

 必ず殺す。


 それぞれの胸に希望と殺意を抱いて、日野と刻はオリバーへと距離を詰めた。

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