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百八十三 壊れる身体

 逃げ回るオリバーを追いかけて何分経っただろうか。数分しか経っていないはずだが、周囲の景色が見えないほどに速度を上げているため、時間もそれと同じ早さで流れているように感じた。しかし、どれだけ追いかけても日野一人ではオリバーを止められなかった。


「追いつけない……もっと速く、もっと速く走れないの?」


 地面を強く蹴って更に速度を上げていくが、ひらりひらりと躱されてしまう。同じ破壊の力を持っているはずなのに追いつけないのは、元々の身体能力の差なのだろうか。必死に捕まえようと追い続けていると、オリバーがくるりとこちらへ振り返り、突然立ち止まった。驚いた日野は小さな悲鳴を上げ、急ブレーキをかけるように靴底で地面を抉りながら身体を止める。


「ちょっと休憩」


 軽く息を吐いて、こもった熱を逃がそうとドレスの裾をパタパタと揺らしながらオリバーがそう言った。冬の風が、走り回って上昇した体温を冷ましていく。

 飛びかかったところで捕まえられない。そう思った日野はオリバーに疑問を投げかけた。


「ねぇ、オリバー。あなたはこの世界を破壊して何をしようとしてるの?」

「アレレ? やっとオレに興味持ってくれた?」

「そうじゃなくて……ただ破壊の力とは別に、あなたの中から大きな破壊衝動を感じるの。それは破壊の力の副作用とは関係ないと思う。だから、どうしてかなって」


 日野がそう言うと、オリバーはニッコリと笑みを浮かべた。


「聞こえるんだ」

「聞こえる?」

「うん。どんなに耳を塞いだって聞こえてくる。可愛くしなさい、お淑やかになりなさい、ピアノを弾きなさい、髪を伸ばしなさい、化粧をしなさい、もっと綺麗に笑いなさい。女の子なんだから、って。そんなコトバが今でもオレの中で這いずり回るんだ」


 眉を寄せて話すオリバーの言葉に、日野は吸い込まれていく。もっと綺麗に笑いなさい……その言葉が引っかかった。自分もよく言われていたからだ。

 あの子はニコリともしない、もっと笑ったほうがいい。幼い頃から色んな人に何度も言われた。笑う練習もたくさんした。だけど、うまく笑えなかった。どうやって笑えばいいのか、そんなものとっくに忘れていたのだ。どんなに耳を塞いだってトラウマのように思い出す。そんな自分と重ね合わせるように、日野はオリバーの声に耳を傾けた。


「……オレは男なのに、女として育てられた。毎日毎日好奇の目にさらされて、可哀想だって囁かれて、何をされてもやり返せなかった。そしてその惨めな姿は何年もかけて他人の記憶に積み重なっていった。どんなに時間が過ぎて忘れたって、オレ自身が忘れようと努力したって、他人の記憶からはオレを消せない。オレは消したいんだ。他人の記憶から、情報屋の記録から、この世界から、オレという存在そのものを消したい」


 ──どこか違う世界に行けたらな。

 いつ言ったのかも忘れてしまったが、そんな言葉を呟く自分の声が聞こえた気がした。壊したいと思っていたのは人間でもこの世界でもなく、必要性を感じられない自分自身の存在だった。

 オリバーの気持ちがほんの少しだけわかった。自分も同じように、自分の存在を消したいと願っていたからだ。だから彼のやらんとしていることを、私は否定できない。ただ、寂しそうな彼の瞳が、自分を消したいという願いがどれだけ悲しいものなのかを訴えているような気がした。そう思うと無意識にポロポロと涙が頬を伝った。日野が溢れた涙を両手で拭うと、それを見たオリバーは困ったように眉尻を下げて笑った。


「なんでオネエサンが泣くのさ?」

「私、あなたのやることを否定できない……けど、世界を壊しても、あなたが幸せになれると思えない。ねぇ、私たち……一緒に別の道を探すことはできない?」

「優しいね……でも、お断りするよ。オレに別の道はない。他人の記憶を抹消するには脳みそを破壊して殺すしかない。起きてしまった出来事を無かったことにするには、この世界ごと破壊するしかないんだ。オレはオレの道を歩くよ。でも嬉しかった……ありがとう、オネエサン」


 そう言って、オリバーは勢いよくその場を飛び退いた。するとドカンと大きな音が鳴り響き、これまでオリバーのいた場所には爪で抉られた大きな穴ができた。そして、衝撃で舞い散る白い雪の中から刻の姿が現れた。


「刻!?」

「チッ……外したか」


 驚く日野を他所に、刻はオリバーを睨みながら舌打ちした。


「あーあ。せっかくオネエサンとお話してたのにジャマするなんて無粋だよ。それとも、そんなにオレと話したかった?」

「貴様の御託に興味はない」


 冷たく吐き捨てられた刻の言葉に、オリバーはぷっくりと頬を膨らませた。そして、どこからか隠し持っていたナイフを取り出すと、日野と刻に手招きした。


「さあ、おいでよ。オマエの死体をローズマリーの足元に飾ってあげる。オネエサンも、オレを止めたきゃ殺す気で来なよ。本気のオレは……速いよ!」


 そう言った瞬間、日野と刻の目の前からオリバーの姿が消えた。辺りを見回しても、どこに行ったのかわからない。匂いを追おうにも、オリバーはアイザックの血に塗れているため彼自身の匂いを追うことは難しかった。


「そんな……これじゃ止めるなんて出来ない」

「何かあるはずだ。目を凝らしてよく探せ」


 刻に言われるがまま日野は辺りに目を凝らして耳を澄ませる。

 ──ザッ

 すると、微かに地面を蹴り上げる音がした。その音を辿りながら日野はジッと地面だけを見つめる。

 ──ザッ

 音と同時に降り積もった雪が舞い上がっている場所を見つけた。目と耳にすべての神経を集中させ、金色の瞳に深紫色の髪がチラリと映った時、日野は大きく声を上げた。


「見えた!」


 日野は自身の出しうる限界まで速度を上げてオリバーを追いかけた。刻もその後を追いかける。


「奴はどこにいる?」

「あそこ! オリバーの着地した場所の雪が舞ってる。動きが速いから、舞い上がった雪も釣られてオリバーの進んだ方向に流れてるの。雪の流れを見ればオリバーを追いやすい」

「なるほど。飛ばすぞ」

「ちょっと待っ──」


 オリバーの位置を指差すと、刻は更に速度を上げた。恐怖に静まり返った街中を刻とオリバーは目にも止まらぬ速さで走り回る。日野も負けじと更に速度を上げようとしたが、ビリビリと電気が走るような痛みを感じて足元に視線を落とした。

 ──バチィッ


「あああっ!?」


 突然襲いかかった激しい痛みに、日野は叫びながら冷たい雪に転がるように倒れ込んだ。見ると、足から血が噴き出している。


「うう……な、何これ? どうして?」


 傷はすぐに塞がり痛みもなくなったが、足が破裂したような感覚はくっきりとそこに残っていた。

 速度を上げ過ぎたからか? それなら刻やオリバーも同じようになるはずだ。そう思い、二人の動きに目を凝らす。真っ白に染まった街の中、二人に踏みつけられて舞い散る雪の中に、真っ赤な血飛沫が混ざっているのが見えた。


「私たちの身体が破壊の力に負けてる……力を使い過ぎてるんだ。このままじゃ、二人の身体が壊れる」


 日野は赤く染まった足で立ち上がった。コートのポケットに残っていた薬を手に取り、必死に考える。


「これを打てれば気絶させられる。でも私じゃ追いつけない。どうすれば……どうすればいい?」

「何をブツブツ言ってんだ?」


 泣きそうになる自分を必死に押さえながら二人を止める方法を絞り出そうとしていると、不意に背後からそう言われた。不安や恐怖さえも掻き消してしまうような愛しい声に、日野は目に涙を溜めたまま振り返る。


「グレン……ローズマリー……」

「足は平気か?」

「うん、大丈夫。でも、刻とオリバーが大変なの! 早く止めなきゃ二人とも力に破壊されちゃう!」

「ショウコ、落ち着いて。あなたは薬を持ってるんでしょ? それならまだ止める手立てはあるわ」


 そう言ってローズマリーは穏やかに笑った。その表情に胸騒ぎを覚え、日野は震える声で聞き返した。


「……ローズマリー、何するつもり?」

「私が囮になるわ。私が捕まった瞬間、みんなでオリバーを拘束して薬を打ち込めば止められる」


 もう決めたことだ。そう言うように、目の前の二人は栗色の瞳で真っ直ぐに自分を見つめていた。

 呼吸が止まり、頭が混乱する。ザック先生と同じように引き裂かれ、倒れたまま動かないグレンとローズマリーの姿が脳裏を過ぎる。無意識に想像してしまう最悪の未来を掻き消すように頭を振ると、日野は声を上げた。


「何言ってるの? 駄目だよ……そんな危ないことさせられる訳ないじゃない。ザック先生は? ザック先生も避難させなきゃ。もう誰にも傷ついて欲しくないの! 傷つくのは私だけでいいから! だからグレンとローズマリーはザック先生と子供たちを連れてこの街を出て──」

「落ち着け! おじさんは止血が終わって建物の陰でハルとルビーが様子を見てる。俺たちは戦う為にここに来た。逃げたところでオリバーはまた俺たちを殺しに来るんだ。それなら今夜、ここですべてを終わらせよう」

「アイザックさんは命を懸けて刻の世界を守ろうとした。こうなったのも私が刻に関わったせいよ。私、もう自分に関わった人が傷付いていく姿は見たくないの。だから、私にも出来ることをやらせて。ね、ショウコ」

「俺たちを信じろ」


 そう言って、グレンとローズマリーはふわりと日野を抱きしめた。寒風の中で二人の温かさが伝わってくる。

 この世界の人たちはどうしてそんなに強いのか。こんな状況で、どうして笑っていられるのか不思議だった。自分が今まで生きてきた世界では命を懸けることなんてなかった。ただ毎日のやるべきことをこなして、眠ってまた起きることの繰り返し。得体の知れない力に翻弄され、頭の中がぐちゃぐちゃになるほど考え、失う恐怖に怯えながら何かを守るために必死になるなんて初めてのことだった。背負い込める容量なんてとっくに超えていた。自分を包み込む温かさに、涙が止まらない。それでも、大切な人たちを必ず守ると決めたじゃないかと日野は自らを奮い立たせた。


「わかった。やろう」


 グッと涙を拭いて、グレンとローズマリーと共に頷き合った。


「俺たちの考えうる最善の策で、この夜を越えるぞ」


 そうして、日野たちはオリバーを押さえる計画を囁き合った。声は風に溶けていき、辺りには建物の壊れる音と人間の悲鳴が響きはじめた。刻とオリバーの攻防は徐々に激化している。日野、グレン、ローズマリーの三人は、囮計画を実行するため、争う二人の殺人鬼の元へと駆けていった。

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