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百七十五 特技

 日野たちの前から気配を消したノワールは、とある街に移動していた。日野たちが目指している街を通り過ぎた先に大きな川がある。その川を越えた向こう側に、その街はあった。

 オリバーを探しながら街中をゆらゆらと歩いていく。行き交う人々は、その存在を認識していない。まるで空気みたいだとノワールは自嘲する。

 肉球が雪を踏みしめるが、そこに跡はつかない。


 ──猫さんは本当に猫さんなの?


 まだオリビアだった頃、無邪気な笑顔でそう尋ねられたことを思い出した。共に過ごしたすべての時間が、宝物だ。

 過去の記憶を呼び起こしながら、ノワールはオリバーを探して人々の間をすり抜けていった。




◆◆◆




 女の子として生きてきたオリビアは、男の子として生きていくことを決めた。だが、母親はそれを許さなかった。成長するにつれて自我を持ち始め、男の子のような振る舞いをはじめたオリバーを母親は叱りつけた。


「オリビア! その言葉遣いは何!? お母さんはそんな風に育てた覚えはないわよ! それに、そんなに泥だらけになって……一体どこの家の子にいじめられたの?」

「いじめられてないよ。遊んできただけ。ねぇ、聞いてよ母さん。オレ……」

「うるさい!」


 大きな声でそう叫んだ母親は、息子の顔を平手打ちした。赤く染まり、ジンジンと痛む頬をオリビアは押さえる。


「オレ、男の子なんでしょ? オレ、女の子じゃなきゃダメだったの? ねぇ、母さん。どうして……泣いてるの?」


 オリビアの目の前には、大粒の涙をこぼしている母親がいた。何が悲しいのか、理解ができない。でも、オレが泣かせた。それだけは分かった。


「ごめんなさい。ごめんなさい、母さん。オレ、強くなるから。それで、母さんを守ってあげるから。だから、泣かないで」


 オリビアは、ふわりと母親を抱きしめようとした。だが、その手はパシリと弾かれた。悔しさ、悲しさ、寂しさ……母親の瞳に浮かんだその感情は憎悪へと変わり、オリビアを突き刺さしていた。

 それから、休む暇もないくらいに習い事を詰め込まれたオリビアは、再び女の子としての人生を歩み続けた。


 いつの間にか、十三歳はとっくに過ぎていた。傍にいられる期間は十三年。そう決められていたはずなのに、ノワールはオリビアの傍に寄り添い続けた。

 十三回目の誕生日を迎えた日、ノワールはオリビアとの糸が切れたような感覚を覚えた。もう自由だ。彼は大人になった。だから、見守る必要はない。そう自分に言い聞かせ、ノワールは何も言わずオリビアの元を去ろうとした。その時だった。


「ノワール? オマエ、どこ行くの?」


 少し声の変わり始めたオリビアに呼び止められた。


『僕がオリビアを見守る期間が過ぎたんだ。だから……』

「だから?」

『だから……だから僕は、君の……君の傍を、離れ──』

「離れたくないんでショ? 寂しいんだ」


 そんなことない、とノワールは首を振った。その拍子に、大きな瞳から、溜まっていた涙がポロポロとこぼれ落ちた。

 そんなノワールを見て、オリビアは嬉しそうに何かを持ち出した。


「強がっちゃって。猫ってホント、女と同じで可愛い生き物だね。ほら、コレはオレからの誕生日プレゼントだ」


 そう言って、オリビアはノワールの首にリボンを巻いた。

 ──チリン

 大きなリボンの真ん中につけられた鈴が、澄んだ音を立てて揺れた。


「オレは今日からオリビアじゃない。オリバーという名の男だ。ノワール、オマエはオリビアを見守る役目を終えた。だからこれからは、ただのトモダチだ。リボンがボロになったら、いつでも作り直してあげるよ。だからずっと──」

『傍にいるよ。僕は、君の傍にいる』


 オリバーの言葉を遮るようにノワールが答えると、オリバーはフッと口角を上げた。


 そして、再び月日は流れ、オリバーは十八歳を迎えていた。男とも女とも取れる外見をしていたオリバーを、父親や三人の兄は囃し立てた。

 そんな乱暴な男たちに囲まれて日に日に心を壊していった母親は、もう手がつけられない状態になっていた。虚ろな目で街を徘徊する母親を、人々は可哀想だと囁いた。

 そんなある日、オリバーは倉庫で古くなったノワールのリボンを作り直していた。散歩に出かけたノワールが戻ってくるまでに作ってしまおう。

 鼻歌交じりにリボンを縫い続けるオリバーの背後に、ヒタヒタと冷たい足音が近づいていた。


「なに? カアサン」


 オリバーが声をかけると、足音はピタリと止んだ。ゆっくりと振り返ると、そこには、鉈を降りかざした母親が立っていた。狂気に満ちた母親の目が、同じ色のオリバーの目と合わさると、鉈が勢いよく下された。

 ──ガッ

 だが、オリバーはそれを間一髪で跳ね除け、鉈は冷たい石の床に跳ね返された。


「消えてよ! あんたなんか産まなきゃ良かった! こんな世界も、こんな人生も、みんなみんな消えてしまえ!」

「わかったよ、カアサン」


 叫びながら涙を流す母親。その母親から、オリバーは鉈を奪い取った。その速さと力の強さに、母親は驚き目を見開く。そんな母親に、鉈を舐め回しながらオリバーは言った。


「オレのこと、ひ弱な男女だとでも思ってた? でもオレ、女遊びだってするし、ちゃんとした男だよ?」

「オリ、ビア?」

「オリビアじゃないよ。オレは、オリバー。オリバー・テイラー。この世界をブチ壊すために生まれた、鬼だ。ククク……あははははははははは」


 高らかに笑いながら、オリバーは母親の髪を掴み上げた。


「痛い、痛い、痛い! 待ってよ、待って! お腹の中に赤ちゃんがいるの! 次は女の子かもしれない。あなたの妹よ。だからお願い、この子だけ──」


 ──ブシュッ

 首の飛んだ母親から、赤く温かいものが噴き出した。オリバーは顔を上げて口を開くと、雨のように降り注いだそれをゴクリと飲み込んだ。


「バイバイ」


 目尻からこぼれた何かが、赤い雫と交わって滴り落ちる。母親の叫び声を聞きつけてか、こちらへ向かってくる数人の足音が聞こえてきた。父親、長男、次男、三男。ドタバタと品のない音を立てながら現れた彼らを、オリバーは鉈で切り裂いた。


『……オリバー?』


 ガタイのいい男たちがパタリパタリと力無く倒れていき、その向こうから、心地よい響きの声が聞こえた。その声のする方へオリバーが目を向けると、ボロボロのリボンを巻いた黒猫がいた。


「ノワール、オレのこと嫌いになった?」

『ううん。……オリバーは、この道を進むの?』

「ウン」

『そう……決めたんだね。大丈夫、僕は傍にいて見届けるよ。君の歩く道の先に、何があろうとも。決して離れない』

「ウン」


 短く返事をして、オリバーは殺した家族を引きずっていった。明るい太陽の日差しが照らす街の中に死体を投げ出すと、辺りは一瞬で混乱と恐怖の悲鳴に埋め尽くされた。

 足の速いオリバーは、逃げ回る街の人々を捕まえ、その命を引き裂いた。身体中が真っ赤に染まった頃には、街から声が消えていた。


「さあ、ココがハジマリの街だ。誕生日の蝋燭には、火をつけなきゃね」


 そう言って、オリバーは一つ二つと数えながら、街の建物全てに火を放っていった。燃え盛る炎の中で、オリバーの笑い声が聞こえる。


『気分はどう?』

「最高だよ。でも、まだ足りない。オレは、この世界の全てを破壊する力が欲しい。探そう……」


 オリバーの言葉にノワールはコクリと頷いた。




◆◆◆




 懐かしい記憶を辿りながら、ノワールはオリバーが好みそうな地下の飲み屋に来た。案の定、昼間から女の子を侍らせて酒を浴びている……と思ったが、オリバーはいなかった。


『おかしいな……てっきりここだと思ったんだけど』


 そう思い、地上に出ようとした時、背後からふいに抱きかかえられた。ビクリと毛を逆立てて背後を確認すると、そこには、ふわふわと縦に巻かれた深紫色の髪に、長く伸ばしたまつ毛。フリルのついた可愛らしいドレスを身に纏い、真っ赤なリップをつけた女がいた。


『オリバー……可愛いね。でも、どういうつもり? アイザックって医者を殺すんじゃなかったの? 今は遊んでる場合じゃ……』

「遊んでないよ。化粧の練習さ。明日の昼から夜まで、あの医者はこの街の医者のパーティーに参加する。それはノワールが仕入れてきた情報でしょ?」


 正面から抱え直されたノワールは女装したオリバーを見つめて首を傾げる。パーティーをそのまま襲うのではないのか? そう考えて、ハッと嫌な予感が頭を過った。顔を引き攣らせてオリバーを見ると、彼は楽しそうにニヤニヤと笑みを浮かべていた。


「オレも参加するんだ。医者の誕生日パーティーは人が集まるから、紛れ込むのは簡単さ。そこで、あの医者を誘き寄せて、引きずり回した頃にオネエサンたちが到着。絶望した顔を拝んだら一人ずつ殺して、最後に壊れたローズマリーをオレがいただく。楽しい計画でしょ?」

『その最悪の展開は聞いてたけど、女装するのは想定外』

「カタイこと言わない。ほら、ノワール用のリボンも作ったよ」


 目の前の彼がわくわくと目を輝かせているのは、破壊衝動のせいなのか、それともパーティーへの興味からなのか。本当に、何を考えているのか予測がつかない。

 可愛い? と執拗に聞いてくるオリバーに、ノワールは深いため息をついて、クスリと笑った。

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