百七十四 思い
日野はピクリと身体を揺らして立ち止まった。突然、周囲の枯れ木がしなりながら雪を落としていったからだ。アルと黒い馬は毛を逆立て、落ちていく雪を追いながら辺りを見回している。
「まさか、オリバーが?」
日野はすうっと冷たい空気を吸い込むが、オリバーの匂いはしない。気配も感じなかった。刻に伺うような視線を送ると、彼もオリバーの気配を感じていないのか、首を横に振った。
雪は、次の街に向かってドサリドサリと落ちていく。誘われているようで、嫌な予感がした。オリバーと接触すれば、おそらく戦いは避けられない。次の街でまたローズマリーを狙ってくるかもしれない。
「気をつけて進もう」
日野は、みんなに声をかけて再び歩き出した。ローズマリーと子供たち、そしてグレンを守らなければ。そんな思いが、顔を強張らせる。
破壊の力を操れるオリバーとまともに戦えるのは、私と刻だけ。グレンも戦えるだろうが、普通の身体でありながら特殊な血を持つ彼は、たった一度の負傷が命取りだ。
何かあった時のために、やはりザック先生が傍にいるほうが安心できる。最悪の場合、ザック先生には私を残してみんなを逃してもらおう……。
冷たくなった手が震えた。これまでが平和過ぎたのだ。嵐が来るような、嫌な予感が止まらない。みんなを守らなければ……その責任感が、重くのしかかる。すると、震える日野の左手をハルが、右手をグレンが掴んだ。
驚いて交互に彼らを見やると、グレン、そしてハルとアルが笑っていた。
「ボクらは大丈夫。死んだりしないから、安心して」
「一人で抱え込むな。俺たちだけ逃がそうなんて考えるなよ。俺たちはお前の手を離さねぇからな」
「うん……ありがとう」
ギュッと繋がれた絆が、力強かった。寒いはずなのに温かくて、少しだけ不安が和らいだ。
私が破壊の力を使うのは、世界を滅ぼすためじゃない。愛する彼らを守るため。日野はそう心に誓った。
憧子は何を思い詰めているのか……俺がオリバーを殺せば全て済む話だ。
刻は、前を歩く日野たちを眺めながら歩いていた。
ローズマリーとルビーをアイザックの元に無事届けたら、一人でオリバーを殺しに行くつもりだった。だが、向こうから誘ってきているのなら、探す手間が省けて助かった。差し違えてでも殺してやる。
キッと次の街へと伸びる道を睨みつけ、眉間に皺を寄せた。その時、後頭部に勢いよく何かが飛びついたような衝撃が走った。
「ルビー、貴様は猿か?」
黒い馬を足場にして背中に飛び乗ってきたルビーに、刻は声をかけた。
それにしても痛い。子供がぶつかった程度でも普通より激しい痛みを感じるこの身体に嫌気がさした。
ルビーは返事をすることもなく背中をよじ登っていき、肩車の時と同じ位置に腰を下ろした。幼い声が、ぽつりぽつりと頭の上から降ってくる。
「私……私たちも、ずっと刻の傍にいるから。だから、死んじゃ嫌だ」
「俺がいつ死ぬと言った?」
「言ってない。でも、死なないで」
「安心しろ。死にたくても死ねる身体ではない」
そう答えると、頭の上から、安心したようなルビーの声が聞こえた。だが、そっか……と呟かれた短い言葉は、安堵の中に、少しだけ寂しさを含んでいた。
刻が頭上ばかり気にして歩いていると、フッと左腕がローズマリーに掴まれた。柔らかく、甘い香りが漂う。
視線をローズマリーへ向けるが、彼女は何も話さなかった。ただ左腕を離さないように掴んで、隣を歩いていた。
言いたいことは、ルビーと同じか……。
刻は、自身の腕を掴んでいるローズマリーの手を離すと、その手を握った。何もかける言葉が見つからないまま、刻はローズマリーの手を引いて歩いた。
そして、日野たちは誘われるがまま、次の街へと向かっていった。