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百七十三 友だち

 その子は、男の子だった。そして、女の子だった。

 僕はその子を見守る役目を与えられた。誰にそれを命じられたのかはわからない。自分という存在がどうして生まれたのかすら覚えていなかった。気がつけば、しなやかで真っ黒な毛に覆われた身体があって、僕の歴史がはじまった。


 目を覚ました場所は、小さな部屋。ベッドのようなものに女が仰向けになっていて、それを数人の男女が取り囲んでいる。女はなんだか苦しそうだ。一体何をしている? くるくると周りを歩いてみても、その人たちが僕に気づくことはなかった。

 しばらくして、女から小さな人間が出てきた。赤ん坊というらしい。しかし、女は生まれてきた赤ん坊を見て顔を引き攣らせた。また男……そう憎々しく呟いて、血が滲むほどに唇を噛み締めていた。


 生まれたのは男の子だった。身体に付着したよごれを手早く洗い流し、ふかふかの布に包まれたその子は、オリビアと名付けられた。僕は不思議と、見守るべき存在はこの子だと確信していた。誰に言われるでもなく、僕はオリビアの傍で時間を過ごしはじめた。


 オリビアは六人家族だった。父親、母親、それに兄が三人いた。兄たちは父に似てガタイがよく、態度も大きく、小さな母の言うことなど聞かなかった。騒がしい男たちとの暮らしに疲れた母親は、いつしか女の子を望むようになっていったようだ。オリビアと名付けたのも、せめて名前だけでも女の子にと思ったからだった。


 オリビアが生まれて二年ほど経った頃、オリビアはおぼつかないながらも歩けるようになっていた。深紫色の髪を揺らしながら、花のように笑う姿が可愛らしい。

 すくすくと育っていくオリビアを見て、母親は気がついた。長男、次男、三男……これまでに産んできた子供たちはみんな身体が大きく、なぜか夫によく似ていた。しかし、四男のオリビアは違った。身体が小さく、柔らかで、母親にそっくりだった。

 母親は、オリビアを女として育てることを決めた。髪を巻き、可愛いドレスを着せて、外を歩かせた。三歳、四歳と誕生日を迎える毎に母親の教育は厳しさを増していき、裁縫やピアノ、ダンスなど、女の子らしいものは何でも習わせた。

 僕はそれを止めようとはしなかった。何故なら、僕の役目はオリビアを見守ることだからだ。オリビアの意見を尊重し、ただ傍にいて見守ること。期間は十三歳の誕生日まで。誰から聞いたかも忘れてしまったその掟を、僕は真摯に守り続けていた。それしか、やることがなかったから。

 僕が声をかけても、人間は反応しなかった。同じ形をした猫という生き物に話しかけても、多少の反応はあるが言葉が通じない。当然だ。僕は人間の言葉しか話せない。猫語なんて分かるわけがなかった。

 誰とも話せないまま、僕は女の子として育っていくオリビアを見守り続けた。


 ある日、オリビアが泣いていた。部屋の隅でポロポロと涙を流すオリビアの前に僕は座った。どうせ声は届かない。僕のことなんて見えやしない。そう思っていた。


「猫さん?」


 聞こえてきた声に、僕は目を見開いた。深紫の目が、僕を見つめていた。


『猫……そう、猫かな』


 少しうわずったように僕は答えた。


「猫さん、お話できるの? 私はオリビア。お名前は?」

『名前は……ないよ』

「お名前無いの? 可哀想……それじゃあ、私がつけてあげる。真っ黒さんだから……ううんと、ノワール! ノワール、私のお話聞いてくれる?」


 首を傾げたオリビアに、どうぞ、とノワールは先を促した。


「私、本当は男の子なの。お父さんも、お兄ちゃんも、そう言って笑うの。街のお友だちも、みんな私のことを男の子だって言っていじめるの。でも、お母さんは……女の子だって言うの。私、本当はどっちなのかな?」

『どっちでもいいんじゃない? 好きなほうで生きていけば。もし迷うなら、君が生きやすいと思うほうを選べばいい』

「好きなほう。それなら私、男の子になりたい。強くて、かっこよくて、優しい人になりたい。ね、ノワール。ボクとオレだと、男の子っぽいのはどっちかな?」

『オレ、かな?』


 僕がそう答えると、オリビアは嬉しそうに笑った。そして、僕を抱きかかえて、そっと囁いた。


「ねぇ、ノワール。オレたちは、友だち?」

『友だち……そうだね。僕らは友だちだ』


 オリビアの腕の中で、ノワールはそっと目を閉じた。

 初めて言葉が通じて、触れることができて、お互いの存在を認識できた。これまで感じることのなかった温かさに包まれて、僕は嬉しかった。

 そして、こんなにも温かく優しいオリビアが、百人以上の人間を殺害する鬼になるとは、その時の僕は夢にも思っていなかった。




◆◆◆




 ──チリン。

 身体を動かすたびに、首に巻かれたリボンが揺れ、鈴の音が鳴り響く。ノワールは木の上を軽やかに走りながら、ローズマリーを探していた。


『ローズマリーがオレのいる街に来るように誘き寄せてこい、って言われてもねぇ。僕の音、普通の人間には聞こえないし、姿も見えないのにどうしろっていうのさ。まったく猫使いが荒いよ。寒いから着込めって言っても言うこと聞かないし……』


 ブツブツと溢れ出る愚痴を止める気はない。時折ため息を混ぜながら探していると、遠くに日野の姿を捉えた。ピョンと飛び移った木の上で、ジッと様子を観察する。


『ローズマリーもいる。この進路なら、オリバーの予想通り、あの人の病院まで向かってるようだね。それなら僕が何かしなくても、そのうち会えるよ。オリバーが描いた、最悪の物語の中でね』


 ──チリン。

 ノワールが立ち去ろうとして、再び首元のリボンが揺れた。その時、冷たい風に乗って、鈴の音がアルと黒い馬の耳に届いた。

 アルと黒い馬は瞬時に反応し、辺りを見回す。その様子に気づき、ノワールはフッと微笑んだ。


『そうか……あの二匹、僕の音が聞こえるんだ。オリバーが傍にいなくて退屈だし、少しからかってやろう』


 そう言って、ノワールは木の上を颯爽と飛び移りながら、日野たちの元へ向かった。近づくと、辺りの木々を揺らしながら鈴の音を響かせた。


 君が望むなら、何でもする。君が決めた道なら、僕はついていく。たとえ君が嫌と言っても、僕は出来るだけ君の傍にいる。必ず君の最期を見届ける。だって僕は君の……友だちだから。そうだよね、オリバー。


 ノワールはピタリと動きを止めると、日野たちを急かすように、オリバーの待つ街の方向へと姿を消した。

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