百六十七 食べないよ
寒空の下、日野たちはアイザックのいる街を目指して歩いていた。
姿を消したオリバーを探し出す……という目的はあるものの、日野や刻、アルや黒い馬も、近くにそれらしい気配を感じていなかった。
だが、ローズマリーの傍にいれば、オリバーはいずれ現れるだろう。闇雲に探し回って体力を消耗するよりは、ひとまずアイザックの病院へ戻りながら、途中の街で女や猫に聞き込みをして回ったほうがいいということで皆の意見は一致した。
先へ進みながら、日野はチラリと振り返る。一緒にいるとは言ったものの、刻は一人だけ距離を取るように少し後ろを歩いていた。ローズマリーとルビーに風邪をうつしてはいけないから、だそうだ。
辛そうには見えないが、たまに咳き込んでいるところを見ると、ゆっくりと寝かせてあげたほうがいい気がしてくる。休み休み進んでいるが、孤児院を出てからかなりの時間が経過していた。
「グレン、次の街までどのくらい?」
日野は視線を戻すと、隣を歩くグレンに尋ねた。
「このまま歩き続けたら夕方には着くだろう。おじさんのいる街はまだまだ先だから、アレが治るのもいつになるか分からないな」
言いながら、グレンはケホケホと乾いた咳の聞こえるほうへ視線を向けた。フウッと小さく息を吐くと、再び前を向く。
「お前も雨に濡れたんだから、風邪引かないように気をつけろよ」
「あ、うん。ありがとう。グレンもね」
ぽすん、と頭に乗せられた大きな手が黒髪を撫でた。それが心地よくて、思わず日野から笑みがこぼれる。
そんな仲睦まじい二人の様子が、宝石のような赤い瞳の中に映っていた。ルビーは後ろ向きに歩きながら、まじまじと二人を見つめている。そして、スッとその隣に視線を移した。
赤い視線の先では、ニコニコと笑みを浮かべながらローズマリーが歩いている。だが、時折後ろを見ては、心配そうな表情を浮かべていた。
「なにが違うんだろ……」
ルビーはポツリと呟くと、前を向いて歩き出した。ルビーは腕を組んで考える。不思議な違和感の正体が掴めずに悩んでいると、目の前に小さな手がひらひらと現れた。
「ルビーちゃん、どうしたの?」
ハッとして確認すると、それはハルの手だった。こちらの意識を確認するようにハルはひらひらと手を振っている。
覗き込んできた緑色の瞳に、何故かドキリと心臓が跳ねた。
「……べべ別に、なんでもない」
つっけんどんにそう答えると、ハルはクスクスと笑った。
「気になる? 二人のこと」
「……少し。ショウコたち、仲良しだから」
「そうじゃなくて、ローズお姉ちゃんたちのこと」
「え?」
「あれ? そうじゃないの? おかしいな……ボクたちはそうだと思ってたんだけど。ね、アル?」
ハルは肩の上に乗っているネズミに問いかけた。ネズミはウンウンと大きく頷いている。そして、ルビーと目が合うと、一目散にハルの背中に隠れた。
「食べないよ」
ルビーが言うと、アルは少しだけ顔を出したが、またすぐに隠れてしまった。可愛い……そして相変わらず丸々と太って美味しそうだ。垂れたヨダレを拭うと、ルビーは歩きながらポツリと呟いた。
「……ショウコとローズマリーはなんか違うんだ。ショウコはあまり笑わないのに楽しそう。ローズマリーは笑ってるのに時々寂しそう。どうしてか分からないけど」
「そっか……それじゃあ、ボクたち三人で大人たちを引っ掻き回してみる?」
「へ?」
見ると、ハルはニヤリと悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。この表情、どこかで見たことがある。そう感じて、ルビーは思い出す。どこだったか、誰だったか……唸りながら考えていると、ふとアイザックの顔が思い浮かんだ。
「それだ!」
ビシッとハルを指差して、ルビーは大きな声をあげた。突然のことに後ろで大人たちが驚いている。
「どうしたんだよ、急に大きな声出しやがって」
「ルビー、何かあった?」
「いや、大したことじゃないよ、ただ──!?」
首を傾げる大人たちを笑って誤魔化していると、パシッと手を掴まれた。驚いて見ると、いつの間にかハルと手を繋いでいた。
「大人たちは放っておいていいよ。それよりも、ヒミツの作戦会議をしよう!」
唇に人差し指を当て、パチンとウインクをすると、ハルはルビーの手を引いて駆け出した。
「おい! あんまり離れるな!」
「大丈夫! ちゃんと近くにいるよ! ちょっとルビーちゃん借りるね!」
パタパタと駆け出した子どもたちをグレンが止めるが、構わず走っていってしまった。そして、少し先で足を止めた子どもたちは歩きながらコソコソと何かを話しはじめた。
その小さな後ろ姿に、グレンが顔をしかめる。
「あいつら、いつ仲良くなったんだ?」
「そうねぇ、いつからかしら?」
「キッカケはよく分からないけど、友だちになれたみたいで良かったね」
日野たちは口々にそう言って、仲良く歩く小さな背中に微笑んだ。
次の街まで、あと数時間。子どもたちの計画など知る由もなく、日野たちは冷たい風を浴びながら歩き続けた。