百六十六 ショ
夜明けと共に、雨が止んだ。
空を覆い隠していた黒雲が過ぎ去り、明るい太陽の光が辺りを照らしていた。冷たい風が木々を揺らし、キラキラと光を反射しながら雨粒が滑り落ちる。
雨上がりの空の下、日野とグレンは墓の前に立っていた。孤児院の庭の隅にあったその大きな墓には、十四人の名前が刻まれていた。グレンを除いた孤児院の家族たちが、この下に眠っている。
日野は両手を合わせ、グレンは胸元に手を当てて静かに祈りを捧げた。そして、冷たい風が頬を掠め、日野はゆっくりと目を開けた。
「お墓、ここにあったんだね」
「ああ、おじさんが建ててくれた」
「ザック先生が?」
「ああ。おじさんは一人に一つずつ建てるって言ってくれたが、断った。こいつらは一人じゃなにも出来ないから、みんな一緒にしてやったほうがいいってな」
懐かしむように目を細めて、グレンはそう言った。
目を覚ました後、雨が止むまでの間にグレンから孤児院で育ったという話を聞いた。ニナのことも、グレンは隠すことなく話してくれた。
そして彼は話の最後に、この孤児院を解体すると言った。ローズマリーはずっと反対している様子だったが、グレンの意思は変わりそうになかった。
前に進むため、だそうだ。
「生まれ変わっても、また巡り会えるといいね」
日野がそう言うと、グレンは首を傾げた。
日野が、懐かしむような表情をしていたからだ。自分と同じように。まるで、すべてを見てきたかのような日野の横顔に違和感を覚えながらも、グレンは日野の肩をそっと抱き寄せた。
「孤児院は解体するが、墓はこのまま残すつもりだ。だから、またここに来るときは、そのときは……一緒に来てくれるか?」
「もちろん。また、みんなに会いに来よう」
日野がそう返すと、グレンは日野の身体をギュッと抱きしめた。頬が赤く熱を帯びていく。寒さのせいだと自分を誤魔化しながら、グレンは冷えた唇を動かした。
「ありがとな。……その……ショ──」
「ふぇーっくしゅい!」
言いかけた言葉を遮って、誰かがクシャミをした。邪魔された怒りから、グレンのこめかみに血管が浮き出る。
それが誰なのかは、声の低さからすぐに分かった。グレンは、ズズズと鼻をすすっている白髪の男を睨みつけた。
「殺す」
「……緑の片割れにならまだしも、なぜ貴様に殺されなければならない? それに貴様如きの力では俺をっへえっくし!」
「風邪、ぶり返しちゃったみたいだね」
「知るか! そのまま寝込んでろ、この白髪頭!」
「そんな暇はない。早くあの男を始末しなければならないからな」
腕を組み、真剣な表情で刻は言った。
だが、何故だろう。なんだか彼から威厳というものが無くなったような気がする。いつの間にか、威圧感や恐怖を感じることが無くなっていた。それは、彼という人間に触れ、不器用な優しさを知ったからだろうか。そんなことを考えながら、日野はあの男のことを思い浮かべた。
フードから伸びる長い深紫の髪。人を傷つけるたびに見せる楽しそうな笑顔。子供のような癖のある話し方。そして、どこか陰のある、あの時の寂し気な表情。
オリバー。彼はおそらく今もどこかで生きている。彼はローズマリーを気に入った。諦めていなければ、また彼女を手に入れようと襲って来るだろう。
これから先、別行動を取るよりは、やはり固まって動いた方が安全だ。刻も風邪をぶり返しているようだし、改めて提案してみようか……そう思い、日野は真っ直ぐに刻を見つめた。
「あの、刻。やっぱり私たちと一緒にいない? 刻がハルの傍にいたくない気持ちも分からなくもないけど、でもやっぱりローズマリーのことを考えると……」
「何を言っている?」
「え?」
「一緒に進むために貴様らを呼びに来たのだろう。そうでなければ、とうに出発している」
少し前に同じ提案を断られたこともあり、緊張気味に伝えたが、やけにあっさりと話が進んで日野はキョトンと目を瞬かせた。そして、グレンが茶化すように声を上げた。
「一人で充分なんじゃなかったのか?」
「俺は一人でもいい。だが、ローズマリーがもう少し憧子と一緒にいたいそうだ」
「ローズマリーが……嬉しい。私も、もっと一緒にいたかった」
思いがけない言葉に、日野は喜んだ。孤児院の入り口で待つローズマリーたちへ目を向けると、刻も同じように入り口の方を見た。
「……それに」
「それに?」
「緑の片割れの空気が変わった。近づき過ぎなければ一緒にいても問題無いだろう」
ローズマリーやルビーと話をしている緑の小さな少年を見つめながら、刻は静かにそう言った。
「それなら、早く出発するぞ。とっとと歩け、白髪頭」
そして、グレンに急かされて、日野と刻は歩き出した。孤児院の入り口、仲間の待つ場所へ。
──グレンをよろしく。
去りゆく背中にかけられた誰かの声は、日野たちの耳には届かなかった。明るい太陽の光の中で、金色にキラキラと輝く小さな光の粒が舞っている。日野たちが孤児院を出て、先へ進んだことを確認すると、その光はゆっくりと空へ消えていった。