百六十四 分かりやすく
孤児院の中心にある大きな食堂。壁に穴は空いてしまったが、幸いにも暖炉に火を点けることはできた。
パチパチと散る火花を眺めているだけでも、なんだか不思議と身体が温まるような気がした。
各々着替えを済ませ、今は火の周りに集まっている。だが、誰も口を開こうとしない。ボトボトと重い雨音だけが響いていた。
すると、パラパラと青い本をめくっていた刻が、何かに気づいたように少し目を見開いた。その小さな変化を見逃さなかったグレンが、刻に声をかける。
「なんだよ」
「必要なこと」
「は?」
刻がページを開いたまま、本を皆へ向けた。だが、本の文字が読めないグレンやローズマリーは首を傾げる。ルビーだけは目を細めて読み解こうとしているが、分からないようだ。
刻は皆へ向けていた本を戻し、そのページを読み上げた。
──この地に囚われた魂を、新たなる世界へ。鎖を解く力は、金色の瞳にあり。これは、必要なこと。
「囚われし者の名は、ニナ。そう書いてある。このページには、元々なにも書かれていなかったはずだ」
「ニナ!? どうして……ニナが? 見せろ!」
刻の言葉にグレンが驚き、青い本を奪い取った。しかし、本のページに書いてある文字はグレンには読めなかった。
クソッ、とグレンは腹立たしげに青い本を床に叩きつける。そして、説明を求めるように刻を睨んだ。
「この本の意図は俺にも分からない。これは、憧子に任せろ」
そう言って、刻は青い本をパタンと閉じた。
「なんでこいつに? それに今は薬の力で眠ってるんだぞ」
「……貴様は呼ばないのだな」
「は?」
「いや、なんでもない。憧子を捕まえたとき、一瞬だったが背後に橙色の女の姿が見えた。憧子の力が暴走したのは、おそらくあの女の魂と憧子の魂が共鳴したせいだ」
「ニナの魂と……共鳴?」
「破壊の力は負のエネルギーを動力源としている。人間の恨みつらみが頭の中に流れ込み、思考も身体も支配する。死んでもなおこの世界で起きた辛い出来事に縛られ続けている橙色の女のエネルギーが、孤児院に近づいたことで憧子の中に流れ込んだのだろう」
「……なんなんだよ、それ。もっと分かるように説明しろよ。こいつは、目を覚ますのか? ニナはどうなる?」
グレンの言葉に刻は困惑した。説明……していたつもりだったが、分かるように説明とは一体どうすればいいのだろうか。刻は斜め上を眺めながらジッと考えた。
そして、しばらくして、うーんと唸りながら口を開いた。
「つまりだ。橙色の女の魂は辛い出来事のせいでこの世界に縛られている。そして、おそらく青い本は橙色の女を別の世界に連れて行きたいと思っている。だが、それが難しかった。だから憧子に、橙色の女をなんとかするよう託した。貴様らがここに来たのは偶然ではない。どうなるかは憧子次第。そんなところだ」
「ますます分からん」
「理解するのは難しい。俺の話も推測でしかない。ただ……」
「ただ、なんだよ?」
「この本は、おそらく悪い本ではない」
ますます分からないと言いたげにグレンが目を細めた。しかし、これ以上にどう説明すれば分かりやすいのかが分からない。もう面倒だ、とため息をついて刻は青い本をしまった。
すると、これまで黙ったままでいたローズマリーが、明るい声を出した。
「大丈夫よ、ショウコなら。信じて待ちましょう」
「ああ。俺は最初からそのつもりだ」
「……そう、だな」
ポツリと返事をして不安気に日野の髪を撫でたグレンに、ローズマリーが笑いかけた。
日野が目を覚ましても覚まさなくても、どちらにせよ雨が止まないことには孤児院から出られない。
強く打ち付ける雨音の中で、起きている三人は静かに日野を見守った。きっと目覚めてくれる、そう信じて。