百五十三 おもいで
真っ暗になった世界に、その光景がフラッシュバックした。日野は眩しさに目を細めながら、じっと目を凝らした。
そこには、ゴミの間に隠れるようにして、やせ細った一人の少女がうずくまっていた。それを知ってか知らでか、大人たちはゴミの入った袋をそこへ置いていく。
パチパチとまばたきするごとに、日野の目に映る光景は変わっていった。
すると、街中を歩いていた一人の少年が少女に気づいた。そして、栗色の髪を風になびかせながら、少年は少女へ近づいた。汚れた少女の髪にそっと触れ、顔を覗き込むように首を傾げる。
「お前、ひとりか?」
少女は何も答えなかった。ただ、うつろな目で少年を見つめた。なぜゴミに向かって話しかけるのか、理由が分からなかったからだ。
すると、少年はにっこりと笑って少女へ手を差し出した。
「おなか空いてるだろ? ついてこいよ」
しかし、差し出された小さな手を見て、少女はどうすればいいのか分からなかった。おなかが空いている、なにかを食べたい、そんな欲求はとっくに無くなっていたのだ。もう腹の虫が鳴くこともない。ついていく理由もなければ、ここに残る理由もない。
少女が少年を見つめたまま戸惑っていると、少年は無理矢理少女の手を引き、窮屈なゴミの山から連れ出した。
パチパチと、日野のまばたきに合わせてまた目の前の景色が変わっていく。どこかで会ったことのあるような小さな子供たちの姿から、まるで古い映画を見ているようだった。
「グレン、誰だよそいつ」
眩しい太陽の下を少し歩くと金髪の少年が待っていた。少女の手を引く少年は、金髪の少年にグレンと呼ばれた。
グレンに声をかけた金髪の少年は、長いまつ毛を揺らしながら、まじまじと少女を見た。だが、うつろな少女は反応を示さなかった。金髪の少年は、うーんと悩むように口を結ぶと、意を決したように少女へ声をかけた。
「俺、ルーク。お前、名前は?」
ルークと言った金髪の少年がそう言って顔を覗き込んできたが、それでも少女は何も言わなかった。名乗る名前など無かったからだ。それに、人間に話しかけられたのも久しぶりだ。困った少女は、ただ地面をジッと見つめていた。
すると、グレンがハッと気がついたように手を叩いた。
「もしかして、名前が無いのか?」
その言葉に、隣にいたルークも眉を寄せ、二人はこそこそと耳打ちをしはじめた。なにを言っているかは聞き取れなかったが、なんだか楽しそうだ。
数分だろうか、少し時間が経った頃、二人の少年は少女へ向き直った。
「お前、名前無いんだろ? 無さそうだから、俺とグレンで今決めた」
「ニナ。お前の名前は今からニナだ。自分の名前、言ってみろよ」
「……ニ、ナ」
か細い声だったが、確かに少女はそう言った。そして、その名前を口にしたとき、少しだけニナの口角が上がった。
「うん。それでいい」
「名乗れる名前ができたなら、院長先生に会いに行くぞ。そろそろ買い物も終わってる頃だろ」
心からの笑顔ではなかったが、小さな表情の変化に、グレンとルークは満足そうに笑った。
再びパチパチとまばたきをして、また次の景色が見える。そう思っていたが、今度は、まばたきをする度に明るい日差しが目を刺激した。
日野がそっとまぶたを開けると、そこは孤児院のニナの部屋だった。ベッドに寝かされた身体を起こし、日野はそっと髪に触れた。短い橙色の髪。……まだ、戻っていなかった。
先ほどまで見ていた世界は、ニナの思い出なのだろうか。小さな頃にグレンやルークと出会い、これまでこの孤児院で過ごしてきた。そのほんの一部を、夢として見たようだった。
そして、ふと日野は自分の意志で身体を動かせていることに気がついた。多少ふわふわと浮いたような感覚はあるものの、動けないほどではない。大丈夫そうだ。
両手を見つめ、拳を作ったり開いたりしてみる。
──動かせる。
そう思った時だった。ガチャリと扉の開く音とともに食事を持ったグレンが入ってきて、彼と目が合ったと同時にニナの身体は日野の意志では動かせなくなった。
──グレン!
彼の名前を叫んでも、声にならない。目の前の彼に、日野の叫びは届かなかった。
「落ち着いたか?」
そう声をかけてきたグレンに、ニナは大丈夫と短く答えて、小さく笑った。