百四十七 友達
薄暗い地下室に、黒猫がすうっと姿を現した。動くたびに、首元の鈴がチリンチリンと音を立てている。
ゆっくりと近付いてきた黒猫に、オリバーが声をかけた。
「おかえり、ノワール。何か収穫は?」
『あった。それより、そんなところでゴロゴロしていたら風邪を引くよ』
猫の頭の形をした大きなクッションを枕にして、オリバーはソファーに寝転がっていた。近くに暖炉もあるため、寒くはない。だが、ノワールはそれでも気になるのか、ブランケットをかけろと視線で訴えてきた。
「ハイハイ、わかりました。で? どうだった?」
オリバーが起き上がり、ブランケットに身を包みながらそう聞くと、ノワールが頷いた。
『まず、ローズマリー。彼女はいま四人で行動している。傍にいるのは、ショウコ、グレン、ハロルド。この先の大きな川の向こうにいた』
「フーン。川の向こう……ね」
『もう一つ。トキはアイザックっていう医者の元へ。あの赤毛の女の子も一緒。調べられたのはこの程度だけど、これで良かった?』
「ウン。充分だよ。ありがとう。それじゃあ、まずは一番邪魔なモノを壊しに行こう」
ニヤリと笑みを浮かべて、オリバーは立ち上がった。名残惜しそうに猫型のクッションを抱きしめると、その場に置いて、代わりにノワールを抱えた。
『オリバー、どこへ行くの?』
「医者のところ」
『トキのところじゃなくて?』
「ウン。あの医者が持ってた薬……アレを打たれてから動きが鈍い気がするんだ。力が抑えられている感覚がある。せっかく破壊の力を手に入れたのに……だから、アレがあるうちは安心できない。医者は真っ先に殺す」
そう言って、オリバーは握った拳を開いて、手のひらを見つめた。
少し前のことだが、不意を突かれ、あの医者におかしな薬を打たれた。幸いすぐに抵抗したため、体内に入ったのは少量だった。しかし、その効果が今も続いているような気がしてならない。
アレは予想以上に強い薬だ。もしあの時、全て体内に入っていたら、意識を保てずに気を失っていただろう。
このままあの医者を放っておけば、また薬を使われる可能性もある。アイツが生きている限り、薬は無くならない。早めに始末しておいて損はないはずだ。
「刻が傍にいるなら匂いで気付かれる。……どこかに誘き寄せるか? それとも……」
ブツブツと呟きながら、オリバーは地上へ出た。久しぶりの外だった。日の光が眩しくて、フードを深く被った。
その時、ガタンと音がした。視線を上げると、少し遠くにある店からガタイのいい色黒の男が出てきた。どうやら彼は店員のようで、客が飲み終えたボトルをまとめていた。
「いいな……オレもあんな風になりたい」
日に焼かれたような小麦色の肌に、逞しい腕。男らしいとはああいうのを言うのだ。
真っ白な自分の肌を見て溜め息を漏らすと、肩の辺りからノワールの笑い声が聞こえた。
『オリバーは色白だもんね。背も低いし』
「……人が気にしてるコト言うなんて、ヒドイ猫だね。これでも力は強いんだ。足も速いしね」
『まあ、その辺の男より強いのは確かだね』
「でしょ?」
強いと言われていい気分だ。意気揚々と歩き出すと、やれやれと呟いたノワールの声が耳に届いた。
この黒い猫は、いつの間にか自分の傍にいた。いつからだったかハッキリとは覚えていない。だが、幼い頃から、自分にとって唯一の友達だった。
心配性で口うるさいけど、いいヤツだ。でも、他の人間には見えないし、声も聞こえない。
ノワールと話していると、独り言を言っている変なヤツだと思われることもよくあった。そのため、街中や人前ではあまり話さないようにしている。
今も耳元で、この先は雪道だから気をつけてだの、もう少し厚着したほうがいいんじゃないだの、色々言っているが、聞こえないふりをした。
この世界を破壊して、死んだあとも、コイツと一緒にいられるだろうか。ふとそんな考えが浮かんだ自分に笑みを浮かべると、オリバーは足早に街を出た。