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百四十五 ハートの人参

 味付けをした鍋がグツグツと音を立てている。日野はそれにそっと蓋をした。このまましばらく煮込んで、火が通れば完成だ。

 魚の下処理に苦労はしたが、なかなかうまく出来たような気がする。彩りを気にして入れた人参は、ローズマリーが持っていたクッキーの型を使って、すべてハート型になっていた。

 いつもより可愛く出来たこの鍋を、グレンは喜んでくれるだろうか。そう思い、ふとベッドの方を見た。

 彼は横になったままだ。少し前にハルと話している声が聞こえたが、また眠ってしまったのだろうか。温かい鍋で、多少なりとも元気が戻ればいいが……。

 アドルファスと出会って以降、グレンの様子がいつもと違っていた。

 心配ではあるが、どう接していいのかも分からない。日野は、グレンから視線を外すと、その場の片付けをはじめた。


「お疲れさまでした。片付けは私がするわ。ショウコは少し休んでて」


 声と共に、コトンと音がして、近くにカップが置かれた。その中で、温かいココアが、ゆらゆらと静かに揺れていた。


「ローズマリー……ありがとう」


 そう答えて、片付けをローズマリーと交代した。ゆっくりとココアを含むと、甘さが口の中に広がり、身体が温まった。


 しばらくして、食欲を誘う香りが室内に漂いはじめ、夕食が完成した。日野とローズマリーは、テーブルの上に大きな鍋を運び、蓋を開けた。

 グツグツという音に合わせて、中の具材が揺れている。魚に貝類、野菜をたくさん入れた、海鮮鍋だ。

 眠っていたグレンをハルが起こし、四人と一匹は仲良くテーブルについた。

 そして、グレンが温かい鍋を口にしたとき、自然と彼に視線が集まった。日野は、グレンを見つめながら、おずおずと尋ねた。


「どう……かな?」

「美味い。お前ら、慣れないのによくここまで作れたな」

「ほんと? 良かった」


 その言葉に、日野はほっと胸を撫で下ろした。向かいの席では、ハルとローズマリーがハイタッチしていた。

 グレンの口に合ってよかった……そう思いながら、バクバクと食べ進める彼に、顔が緩んだ。その時だった。


「おい、口開けろ」


 グレンにそう言われた。日野は突然の指示に驚いて、言われるがままに口を開けてしまった。

 すると、彼は箸を使って温かい何かを口に入れてきた。疑いもせずに、もぐもぐと咀嚼すると、それの正体はすぐにわかった。


「……人参?」

「正解」


 そして、グレンは何事も無かったかのように、鍋を食べ進めた。

 今のは何だ? 彼は一体何がしたかったのだろう……味が良かったと褒めてくれたということだろうか?

 日野は、意図の分からなかった彼の行動に首を傾げつつ、自分の食べる分を取ろうと鍋へ目を向けた。

 すると、その鍋の先に、悔しそうに人参をかじっているローズマリーがいた。


「ローズマリー、どうしたの?」

「……私も! 刻に! あーんって、されてみたい!」

「へ?」

「いいなぁ、ショウコは。いいなぁ」


 深い深い溜め息を吐きながらそう言ったローズマリーは、どこか遠くを見つめながら、ハート型の人参をかじり続けた。


 温かく賑やかな食事を終えた四人と一匹は、片付けを済ませると、就寝の準備をはじめた。

 明日も早朝から歩くことになるため、今日は早めに寝ることにした。日野は、全員がベッドに横になったのを確認して部屋の明かりを消した。


「おやすみなさい」


 小さな声でそう言うと、寒さに身を震わせながら、ベッドに入った。しかし、何故か今日に限ってなかなか寝付けなかった。

 ハルやアル、ローズマリーは、明かりを消してすぐに寝息を立てていた。グレンも、もう眠っているだろう。そう思って寝返りをうった時、コトンと何かを置く音がした。

 何の音だろうかと目を凝らしてみると、テーブルに座る人影が見えた。

 誰だろう……目を擦りながら日野が上体を起こすと、月明かりがその人を照らした。


「グレン?」

「……悪い。起こしたか?」

「ううん。眠れなくて、目が覚めちゃったから大丈夫だよ。グレンも眠れないの?」

「まあな」


 短くそう返した彼の前には、酒瓶と飲みかけのグラスが置いてあった。

 彼が一人で酒を飲む姿は初めて見たような気がした。いつもと違うグレンの行動に、日野は心配になり、テーブルへと近付いていった。


「大丈夫?」


 椅子に座った彼の前に立ち、そっと顔を覗き込んだ。その時、グッと腕を引かれ、日野の小柄な身体はグレンの腕におさまった。


「……グレン?」

「悪い。少しこのままでいさせてくれ」


 日野が顔を上げると、か細い声でグレンがそう言った。抱き締めている彼の腕に力がこもる。

 どうするべきか、何か声をかけるべきか、迷った。しかし今は、このままでいたいという彼の希望を叶えてあげるだけで、それだけでいいのではないか。

 無理に言葉をかけるより、黙って傍にいることのほうが良い時もある。そう考え、日野は何も言わず、グレンの胸に身体を預けた。

 静かな部屋に、椅子の軋む音が響いた。

 しばらくすると、グレンはウトウトと頭を下げはじめた。そこで日野は、グレンの胸を何度か叩き、彼から離れようとした。完全に眠ってしまう前に、ベッドに移動させなければならない。


「グレン、寝るならベッドに行こう」


 他の二人を起こさないように小声で伝えた。しかし、彼の腕は緩まない。身動きが取れないまま、どうしようかと日野は頭を抱えた。


「私も一緒に寝るから。ほら、少し起きて。移動しよう」

「…………ああ」


 何度か声をかけていると、ようやく返事が返ってきた。グレンの腕の中から脱出すると、眠そうな彼をベッドまで連れて行った。

 そして、彼が横になったのを見届けると、日野はテーブルの上の酒を片付けにキッチンへと向かった。

 グラスを洗いながら、考える。グレンはこんなに酒に弱かっただろうか……? そんなはずはない。ザック先生といる日はよく夜中に二人で酒を飲んでいたようだった。

 朝起きて、結構な量のボトルが開けられていたところを見ると、二人とも酒には強いはずだ。


「グレンがこんな風になっちゃうのも、大切な人のことが関係してるのかな?」


 ポツリと独り言を呟きながら、洗ったグラスを片付けた。

 そして、グレンに布団を掛けてあげようと、彼のベッドへ近づいた。


「……終わったか?」

「ん?」

「片付け」

「ああ、うん。終わったよ」


 眠ってしまったと思っていたグレンはまだ起きていた。

 薄く開いた目がこちらを見つめてきて、思わず頬が赤くなった。もしかすると、こんな風に酔って甘えてくる彼の姿は貴重なのかもしれない。

 そう思い、日野はグレンの栗色の髪をそっと撫でた。すると、グレンに手首を掴まれ、引き寄せられた。


「一緒に寝るんだろ?」

「うん」


 掴まれた腕は、離してもらえそうにもなかった。日野は頷くと、グレンのベッドに入った。ぎゅっと抱き締められ、寒さも感じない。

 今夜はこのまま、グレンの傍にいよう。そして、明日は誰よりも早起きして、あの二人に茶化される前に、彼の腕の中から脱出しよう。そう心に決めて、日野は目を閉じた。

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