百三十四 本物
泣き疲れて再び眠ってしまったルビーをベッドへ運び、刻はアイザックの後について院長室を出た。寝ているように言われたが、そういう気分にはなれなかった。
ルビーの言葉が気になって仕方がない。何故あんな質問をしたのだろうか。ローズマリーは、俺にとって……。
ぐるぐると頭を悩ませながら、刻は隣を歩くアイザックを睨んだ。先程から、彼の肩はずっと小刻みに震えていた。
「いやあ、子供の言葉は直球ですね。あなたの困った顔がおかしくておかしくて……」
「笑うな」
「すみません。でも、どうするんですか? ローズマリーさんのこと」
どうするのか……その問いにも、答えられなかった。どうしたいのか、自分でもよく分からない。
すると、突然アイザックがある扉の前で立ち止まった。見上げると、扉の上には診察室と書いてあった。
「寝ないのなら診察します。入ってください」
促されるままに入ると、そこには机とベッドが一つずつ。それと、椅子が二つあった。机の側にある医師用の椅子にアイザックが腰掛け、その目の前にある丸椅子に刻が腰を下ろした。
口を開けて、喉の腫れを診たあと、胸の音を聞かれた。その後、アイザックは紙になにやらメモを取りながら、いくつかの質問をしてきた。
「最近、発作のように破壊衝動に襲われることはありますか?」
「たまにある。慣れたものだ」
「食欲はどうですか?」
「普通だ。甘いものが食べたい」
「駄目です。それじゃあ、身体に疲れを感じることは?」
「常にある」
「ローズマリーさんのことを抱き締めたいと思うことは?」
「常にある」
そう答えた途端、目の前の医者はこちらを見た。そして、彼は大きな目を見開いて驚いていた。
そんな顔をするほど、俺は何かおかしなことを言っただろうか。
至って真面目に答えていたつもりだったが、彼は何故か机に突っ伏して、腹を抱えて笑いはじめた。
「聞かれたことに答えただけで、なぜ笑う?」
「いや、もうおかしくって……最近は日野さんとグレンをからかうのが趣味だったんですけど、また新しい楽しみが増えましたね」
時折痛みに表情を歪めながら、アイザックは玩具を買い与えられた子供のような顔をして、嬉しそうにそう言った。
悪趣味だ……刻は心の中でそう思ったが、口には出さなかった。すると、笑っていたアイザックが自身を落ち着かせるように小さく息を吐いた。
「抱き締めたいと思ったり、守りたいと思うのなら、あなたはローズマリーさんのことが好きなんじゃないですか?」
「好き……仮にそうだったとしても、俺は危険だ。いつ我を失うか分からない。周りに集まってくるのも、おかしな人間ばかりだ。これ以上行動を共にすれば、命を失うことになりかねない。俺といるより、あいつらと一緒にいたほうがまだ安全だ」
破壊の力を持つ者と共に生きることがどれだけ危険なことか、アイザックも身をもって知っているはずだ。
街も、命も、残された者の人生も壊してしまう。人から避けられることも少なくない。そんな環境では、普通の幸せを得ることは出来ない。彼女には、もっと普通の人間と、普通の生活をして、苦しむことなく笑って生きていって欲しい。
しかし、そうやって彼女のことを考えれば考えるほどに、会いたいという気持ちも膨らんでいった。
「刻。彼女の希望や身の安全を優先したいという気持ちも分かりますが、今はあなたがどうしたいかを優先してみてはいかがでしょうか」
「俺が、どうしたいか……?」
「そうです。女性ってたまに気持ちと逆のことを言ったりしますから。その時はそれが本心だったとしても、すぐに気持ちが変わっていたり……本当に面倒で理解し難い生き物です。案外、ローズマリーさんの気持ちももう変わっているかもしれませんよ?」
「だが、ローズマリーが俺のことを好いているのかも、俺が本当にローズマリーのことを好いているのかも分からない」
「それなら尚更、確かめにいきましょう。あなたの体調と、ルビーちゃんの怪我がよくなったら」
確かめに……それでハッキリするのなら。それで、彼女にとっての幸せが何なのか分かるのなら。もう一度会ってみるのも良いかもしれない。
出て行った手前、のこのこと戻るのは気が引ける。しかし、自分の気持ちを優先させるのなら……彼女に会いたかった。
「そうだな」
短くそう返した刻に、アイザックが微笑んだ。
それから二人は院長室へ戻り、しばらくしてルビーが目を覚ました。
「じゃあ、私の怪我がよくなったら……」
「ああ。ローズマリーのところへ行く」
そう伝えると、ルビーの表情が晴れ、笑顔が戻った。あの質問責めには困ってしまったが、今の嬉しそうな表情を見ると、ホッとした。
ルビーの怪我が治り次第、ローズマリーの元へ向かおう。だが、迎えに行くのではない。確かめに行くだけだ。
──彼女に対する俺のこの気持ちが、本物かどうか。