百二十七 欲の街
深呼吸をすると、早朝の冷たい空気が肺へと送りこまれた。まだ眠気は残っているが、そろそろ出発の時間だ。
日野は口元を両手で隠しながら欠伸をすると、リュックを背負った。他の三人も準備は整っているようで、続々と家の外へ出て行った。
「ジェマさん、ありがとうございました」
「私までお世話になってしまって、ごめんなさいね」
「いいんだよ。気にしない、気にしない。雪道が続くだろうから、気をつけて進むんだよ。それと……そこの寝坊助さんたちを、よろしくね」
そう言って、ジェマが明るく笑った。その視線の先には、まだ目の覚めきっていない男たちがいた。
ウトウトと左右に揺れている少年と、その肩の上で同じように揺れているネズミ。隣には、いかにも不機嫌そうな顔で目を閉じかけている男。
こんな状態でも立っていることが不思議なくらいだった。
日野とローズマリーは、ジェマへ別れを告げると、足取りの重い男たちを連れて、街を出た。
しばらくすると、ようやく目の覚めたグレンが前を歩きはじめた。ハルは、日野とローズマリーの間に入り、二人と手を繋いで歩いている。
この先は平坦な道が続き、小さな街が短い間隔でいくつもある。今までよりは安全ということで、迂回しながらアイザックの病院を目指すことになった。だが、冬は日暮れが早いため、行動はなるべく朝から夕方までとグレンが決めた。その彼が一番朝に弱いのだから、困ったものだ。
日野は、前を歩くグレンの背中を見つめながら、小さく笑った。
今日一日歩き続ければ、暗くなる前には新しい街へたどり着けるだろう。身体に吸い込まれていく空気に意識を集中させてみても、オリバーの匂いはしない。しばらくは安全そうだ。
ザクザクと足音を立てながら、四人と一匹は雪道を進んでいった。
それから何時間歩いただろうか。空は薄暗くなり、太陽はその姿を隠そうとしていた。相変わらず足元は雪で歩きづらい。そろそろ新しい街へ着く頃だが……。と、地図を広げていたグレンは、背中に届く楽しげな話し声に、ムッと拗ねたような顔をした。
「あの女どもは何時間喋ってんだよ……よく飽きねぇな」
すっかり仲良くなった日野とローズマリーは、ハルやアルと一緒に道中ずっと話し込んでいた。
一つの話題で盛り上がったかと思えば、まだその話が終わらないうちに、突然別の話題で盛り上がる。そんな女同士の会話についていけず、グレンはただ先を急いでいた。
二人に挟まれ、自然と会話に参加できている緑のマセガキが羨ましい。
チラリと後ろを振り返り、日野の顔へ視線を向けた。すると、今まで見たことのない、楽しそうな笑顔がそこにあった。相変わらず表情は硬く、笑っているかどうかも微妙なところだが、ずっと見ているとそんな些細な変化も分かってくるものだ。
いいこと……ではあるのだが、何故かそれが気に食わない。少し先に明かりを見つけ、グレンはポケットに地図をしまった。そして、目的地を指差して、ローズマリーに声をかけた。
「おい、フリフリおばさん。新しい街だ。喋ってないで早く歩け」
「なんですって!? お姉さんだって言ってるでしょ!」
怒りの炎を纏ったローズマリーがグレンへ言い返したが、グレンは彼女を挑発するように舌を出した。
それが火に油を注ぎ、ローズマリーはグレンの方へ走って行くと、歩きながら喧嘩を始めた。
そんな二人の姿を眺めながら、日野はハルを連れてのんびりと後を追いかけた。
「新しい街はもうすぐみたいだね。夜になる前に着いてよかった。寒くない?」
「ボクは大丈夫。でも、お腹空いちゃった。あったかいものが食べたいな……いっぱい苺が入ったお鍋とかどう?」
「……そのうちジャムになりそうだね」
「あ、それもいいかも!」
たわいない会話で笑いながら歩を進め、たどり着いた。
目の前に広がった、新しい街。暗い空が明るく見えるほどにギラギラと光るそこは、金と欲の匂いに満ちていた。