百十九 鈍感と鈍感
「ありがとう。ごめんなさい、突然泣いたりして」
日野へ笑顔を向けて、ローズマリーは涙を拭った。
そこへ、男二人とネズミが一匹。大きさの違うたくさんの雪玉を持って戻ってきた。
「グレン。ショウちゃんたちの雪だるまの周りに、さっき言った順に置いていってね」
「わかったよ。まったく……注文の多いガキだな」
「文句言うならショウちゃんと離れ離れにしてあげよう」
「あ、離すなバカ! 元の場所に戻せ!」
わいわいと騒ぎながら雪玉を並べ始めた男たち。彼らの会話に入っていくことが出来ず、女二人はポカンとその後ろ姿を見つめていた。
しばらくすると、男たちがせっせと組み立てていたものが完成した。
満足そうに振り向いた彼らの向こうには、たくさんの雪だるまが仲良く集まっていた。
その数は、ローズマリーが作ったものも合わせて十一体。アイザックやアルバート、ネズミのアルもしっかりと作られていた。しかし、二体だけ誰だか分からないものがある。
これは誰を作ったのだろうかと日野がジッと見つめていると、傍に来たハルがニッコリと微笑んだ。
「これは、ボクのパパとママ」
「そうなんだ。優しそうなパパとママだね。それに、どれもよく出来てる」
「でしょ? いつか溶けて消えちゃうかもしれないけど……それでもボクは、これを作りたかったんだ」
家族がまだ生きていた頃のことを思い出しているのだろうか。なにかを懐かしむように、ハルは雪だるまたちを見つめていた。
すると、深緑色の髪を、大きな手がクシャクシャと撫でた。
「完成したなら帰るぞ」
そう言って、グレンはジェマの家の方へ向かって歩きはじめた。その後を、ハルが追いかけていく。
「ローズマリーさん、私たちも帰りましょう」
「そうね」
日野とローズマリーは目を合わせて微笑むと、まるで兄弟のような彼らの後ろ姿を追いかけた。
それから、ジェマの家にたどり着いた日野たちは、各自自由時間を与えられた。
祭りが始まるのは明日の夜から。それまでに、グレンは情報屋を探したり、買い出しをしたりするそうだ。
彼一人に任せるのは申し訳ないと、日野は手伝おうとしたが、ローズマリーの様子を見ておけと断られた。
そして、ハルは街の子供たちと遊んでくると言って出て行った。家主のジェマさんは、祭りの準備で午後は家を空けるそうだ。
──これはローズマリーと二人で話すことができるまたとない機会かもしれない。
人が減り、静かになった室内には、時計の音だけが響いていた。
二人分の温かい紅茶を淹れて、日野はテーブルについた。目の前に座っているローズマリーは、どこか上の空だ。
なにがあったのか。それを聞くために、どう話を切り出すべきだろうか。そんなことを考えながら紅茶を啜った。
「ねぇ。グレンはどんな恋人?」
唐突な質問に、日野は飲みかけていた紅茶を噴き出した。
「え? あ、あの。なんでそんなこ……と」
ハンカチで濡れた口を押さえながら、ローズマリーを見た。すると、彼女は今にも泣き出しそうな顔で、目を逸らせた。
「グレンと手を繋いだことは?」
「あ、ありますけど……」
「抱き締められたり、キスしたことは?」
「……あります」
「ちゃんと好きって、言ってもらった?」
「それは……でも、それっぽいことは言われたかもしれません」
── お前は俺の女だ。
グレンの言葉が蘇り、無意識に頬が熱くなっていった。
だが、どうしてローズマリーはそんなことを訊いてきたのだろうか……。まだ逸らせたままの彼女の目から、抑えていた涙が溢れはじめた。
「あの……オリバーのところでなにがあったんですか?」
「訊かれたの。今と同じことを」
「え?」
「私は、なにも答えられなかったわ。なにも、されたことがなかったの。刻は、私のことを好きじゃない。ずっと、片思いのままなの。私だけが……彼を好きで、大好きで……」
「そんな──」
「傍にいられるだけで、それだけで幸せだと思ってた。でも、それだけじゃ駄目だったの。私も、抱き締めてもらいたかった。好きって言ってもらいたかった。……でも、何年一緒にいても、何もなかったの。結局、彼は私だけを置いて出て行った。ショウコ……私、オリバーのところにいたほうが良かったのかしら」
大粒の涙をこぼしながら伝えられたローズマリーの言葉に、日野は眉間に皺を寄せて考え込んだ。
──おかしい。刻は誰がどう見てもローズマリーさんのことが好きだ。私でも気付くくらいだ。グレンやザック先生辺りはとうに気づいているはずだ。
ローズマリーへの気持ちが恋心だと分かっているのかいないのか、刻自身に訊かないと分からない部分もあるが……。
それを踏まえて考えても、彼が彼女を好いていることは明らかだった。
もしかすると、もしかするとだが、これはどちらも──
「鈍感なんでしょうか?!」
「──へ?」
「刻は、雨の中ずぶ濡れになって……なぜか分からないですが泥だらけにもなって、必死にローズマリーさんとルビーちゃんを探していました。それに、刻はローズマリーさんのことが好きだと思います。恋人みたいなことが出来ないのはきっと……きっと……鈍感で、天邪鬼で、純粋なだけなんです!」
そう言って、バンっとテーブルを叩いた。しかし、思っていたよりも大きな声と音が出たことに驚いて、ハッと我に返った。勢いに任せて、言いたいことを言ってしまったが……大丈夫だろうか?
恐る恐るローズマリーの表情を窺うと、彼女は涙を拭いながら、クスクスと笑っていた。