百十五 好きにしろ
倒れた刻の頭を隠すようにコートを掛け、グレンが担いだ。
オリバーの遺体から離れた日野は、家の中にいるローズマリーに近づいた。そして、ぼうっとしたまま、言葉を発さない彼女に声をかけた。
「ローズマリーさん」
一体なにをされたのだろうか、明るかったはずの彼女が、今は全く反応を示さない。
その両肩を掴み、大きく揺らした。気づいてほしい、届いてほしい。そんな思いから、次第に呼びかける声が大きくなっていく。
「ローズマリーさん!」
「──っ!?」
影を落としていた栗色の瞳に、ハッと光が戻った。
「ショウ、コ……?」
「よかった──大丈夫ですか? 刻もルビーちゃんも無事です。ローズマリーさんも怪我をしているかもしれないし、一度みんなで街の中へ戻りましょう」
「ええ……」
刻──その名前を出した途端、ローズマリーがピクリと肩を揺らした。怯えている……それとも、落ち込んでいる? よくわからなかった。だが、今はそれどころではない。
子供たちを待たせている。早く街の中へ行かなければ。
柔らかな女性らしい手を掴み、日野はローズマリーを連れ、グレンと共に街の中へと戻った。
◆◆◆
そこはまだ閑散としていた。いつの間にか雨は上がり、少し明るくなった街中を歩く。
ハルたちはどこへ行ったのだろうか──辺りを見回しながら、黒い馬を探した。
すると、見覚えのあるログハウスの前にその姿を見つけた。近付いていくと、そこはジェマの家だった。
日野とグレンは顔を見合わせ、家の前に立った。扉をノックしようとグレンが片手を上げたとき、
──バンッ
勢いよく開いた扉が直撃した。それがよほど痛かったのだろう。グレンは顔に手を当ててうずくまった。
外に出てきたハルは、その姿を横目に日野へ視線を向けた。
「おかえり。無事でよかった」
「ハル、アル……ただいま。ルビーちゃんは?」
「ああ、ルビーちゃんなら──」
「あんたたち、戻ったんなら早く入んな。開けっ放しじゃ部屋が冷えちまうだろう」
ハルの声を遮り、家の奥からジェマの声が聞こえた。慌てて中へ入ると、温かい空気が体を包んだ。
ふと、違和感を感じて辺りを見回す。テーブルは端に寄せられ、既に布団が敷かれていた。
「あんたたちのことは聞いたよ。とにかく、怪我人はそこに寝かせておきな。タオルはそれ、脱いだ上着はそこに集めて。あとで洗っといてあげるから、まずは体を拭きな」
大きく溜め息を吐きながら、ジェマは人数分のカップを用意して、そこに温かい紅茶を注いだ。
円を描くように床に座り、日野たちは紅茶をすすった。
ルビーはジェマのベッドでまだ眠っているとのことで、それを聞いたローズマリーは、黙ったままその様子を見に行った。
すると、暗い彼女の後ろ姿に、ジェマが顔をしかめた。
「あの子、大丈夫かい?」
「そのうちなにがあったか話を聞くさ。今はそっとしておいてやろう。しかし、よく受け入れてくれたな。俺たちのこともそうだが……」
そう言って、グレンの視線は刻へ向けられた。
「本音は今すぐ出て行ってもらいたいけどね。ただ、まあ……私が反対しても、旦那だったら……助けただろうからね」
「そうか……」
「ありがとうございます、ジェマさん」
柔らかく微笑んだジェマに、日野は頭を下げた。
とりあえず、一時的に休ませてもらえそうだ。こんな人数で長居するわけにもいかないが、今は仕方がない。
殺人鬼だとわかった上で受け入れてくれた優しさに、心から感謝した。
その時、意識を失っていた刻が、息を吹き返したように突然体を起こした。
「──っ!? ……ここは、どこだ?」
ゼェゼェと息を切らして、刻は辺りを見回した。どうして家の中にいる?
窓の外は雨が上がっているようだった。クラクラと揺れる景色が、思考を妨げる。
体の傷は治っていた。痛みもない。しかし、全身が怠く、熱い。額に手を当ててみるが、自分の体がどういう状態なのか、よくわからなかった。
すると、グレンの声が耳に届いた。
「ここは、このジェマ姉さんの家だ。オリバーは死んだ。お前が気を失ってる間にな」
──ことの経緯を伝えられると、刻は布団を握りしめた。
ルビーが目を覚まさない。しかしこの街に病院は無く、隣街へ行かなければきちんとした治療は受けられないそうだ。
刻はフラフラと立ち上がり、ルビーの眠る奥の部屋へ向かった。
ゆっくりと扉を開けると、ローズマリーがベッド脇の椅子に腰掛けていた。
「ローズマリー……この街に病院は無いそうだ。ルビーを医者に連れていく。ここに留まる理由はない。今すぐ街を出るぞ」
「…………」
「聞いているのか?」
「…………」
話しかけても、ローズマリーは俯いたまま、答えなかった。
なぜだ? いつもなら、こちらが呼びかけずとも近寄ってくるような女だ。なにがあった? オリバーになにをされた?
クラクラと揺れる視界の中、俯く彼女に近づいた。そして、スッとその肩に触れた。
──パシッ
刻の大きな手は、ローズマリーの手によって弾かれた。目を凝らすと、彼女の目には、たくさんの涙が溜まっていた。
やはり、連れて歩くべきではなかった。こんなことになるなら、離れていた方がマシだった。そんな思いが湧き上がった。
「俺は街を出る」
「…………私は、ここに残るわ」
「好きにしろ」
震える声でローズマリーは街に残ることを伝えた。しかし、刻から返ってきた言葉に、涙がこぼれ落ちる。
その姿を横目に、刻は薄い毛布でルビーの体を包むと、抱きかかえて部屋を出た。
「世話になった。俺は出ていく」
日野が止めようと声を上げ、ハルはルビーを置いていけと騒いだ。だが、その制止を振り払い、刻はルビーを連れてジェマの家を出て行った。