百十三 私も
ガチャリと音を立て、グレンは銃を突きつけた。目の前にいるフードの男は相変わらず笑みを浮かべている。
「いいの? こっちに撃ったらローズマリーに当たっちゃうよ?」
「そいつを離せ」
「そう言われても……オレはなにもしてないじゃない。ローズマリーは自分の意思でここにいるんだ。それより、大丈夫なの? あの赤い女の子」
チラリと視線を外へ向けるようにオリバーは顔を上げた。そして、スタスタと階段を登りきった。
邪魔者は早く消してしまうほうがいい。銃を向けたまま動かないグレンにニヤリと笑いかける。床板を蹴り、素早く移動すると、右の拳をグレンの腹部目掛けて打ち込んだ。
「──っが!?」
「その銃、飾りなの? 全然撃たないじゃない」
いくら飛び道具を持っていても、普通の人間など相手にならない。
うずくまるグレンに微笑むと、ローズマリーの手を引き、歩き出した。途中、床に落ちていた傘を拾い上げる。俯いたまま、トコトコとついてくる彼女の様子を気にかけながら外へ出た。
雨に濡れないよう傘を開く。地下にこもってどのくらいの時間が経っただろう。外の空気が新鮮に感じ、目を閉じて、スゥッと深く息を吸い込んだ。その瞬間、身の危険を感じてオリバーは目を見開いた。
手を繋いでいた彼女の体を強く押し、自分から遠ざける。空気を吸い込んだ時に感じた、鼻につくこの匂い……これは。
「──っ!?」
──ドンッ
ゾクゾクと全身に鳥肌が立ち、オリバーは慌ててその場から飛び退いた。
先程まで立っていた地面は深く抉られ、湿った土が辺りに飛び散った。
ゆっくりと立ち上がった目の前の男は、濡れた白髪をかき上げ、怒り狂ったような顔でこちらを睨んでいた。
「──殺す」
「ははっ、よく来たね。噂の殺人鬼さん」
「オリバーを倒すなら、私も」
刻の隣に、日野が立った。どちらも、金色の瞳に、長い爪。力を開放している状態だった。
ククク……と楽しそうに笑うと、オリバーは持っていた傘を捨てた。
『大丈夫? あいつら……というより、白髪のほう。かなり怒ってるみたいだけど』
フッと肩に気配を感じた。くねくねと尻尾を揺らしながら、頬を擦り寄せてきたノワールの頭を撫でる。
「大丈夫、あいつら弱いから。邪魔者はすぐ殺してあげるよ」
そう言って、オリバーは地面を蹴った。
◆◆◆
まただ。また誰かと話している。
日野はオリバーの挙動に違和感を感じていた。そこにはなにも見えない。しかし、オリバーの傍になにかがいるような気がしてならなかった。
ルビーの額にハンカチを当てた時、聞こえてきたのは馬と人の走る音。それがものすごい速さでこちらへ向かってきた。
本の気配と、刻と、黒い馬の匂い。それらを感じてから、一瞬で目の前まで距離を詰めてきた刻のスピードに、日野は驚き動けなかった。
「……刻!?」
「遅いよ! ルビーちゃんがこんなになるまで、何してたの?」
「…………」
怒りを含んだハルの言葉に、刻は日野の腕の中で意識を失っているルビーを見た。
無言でその場に膝をつき、ルビーの頬についた泥を拭い取る。
──ドクン
その時、日野の心臓が跳ね上がった。目の前にいる刻の表情が、怒りで支配されていく。今までに感じたことのある威圧感とは比べ物にならない程のそれに、体が震え、心音が速くなった。
「憧子」
「は、はい」
「馬を使え。ルビーを街へ。ヤツはここで俺が食い止める」
ルビーを医者へ……そう言って、刻は唇を噛んだ。
立ち上がり、家の方へ向かっていく刻の背中を見つめて、日野は悩んだ。
少し遠くからグレンとオリバーの声が聞こえる。ルビーの治療も必要だが、なぜだかここを離れてはいけないような気がした。
ルビーを黒い馬に乗せると、日野は自身のコートを脱ぎ、小さな体にそっと掛けた。そして、力を開放すると、ハルを抱き抱えて、馬へと乗せた。
「……ごめんなさい、ハル。ルビーちゃんのこと、頼めるかな?」
「そう言うと思った。ルビーちゃんはボクに任せて」
「ありがとう。絶対に、みんなで戻るから。街で待ってて」
「うん」
日野の言葉に頷くと、ハルは馬を走らせた。賢い馬だ。なにも言わずとも、察して街まで運んでくれる。
だから私は──
「オリバーを倒すなら、私も」
戦う。どこまで出来るかわからないけれど。持っている力を全て使って。オリバーをここで食い止める。
パラパラと弱まった雨が体を濡らした。震えているのは、戦いへの恐怖か、寒さのせいかはわからない。
日野は震える手をギュッと握り締め、刻の隣に立った。