百十二 人形
ハルは、床につけられている硬く重たい鉄の扉を開こうと試みた。両手に力を込め、体重を使って引き上げてみる。しかし、それはびくともしなかった。
「お前には無理だろ。俺がやる」
へなへなと尻もちをついたハルにそう声をかけると、グレンは鉄の扉に手を掛けた。フッと軽く息を吐き、力を込める。
──ギギギギ
重く無機質な音が響いた。ゆっくりと開いていったその扉の下には、地下への階段が伸びていた。その先は暗く、どこまでも繋がっているように見える。
すると階段の奥から、ふわりと甘い香りが漂ってきた。日野はその香りに反応して扉へ近づいた。視線をアルへ向け、頷き合う。
「この下に、ローズマリーさんと、ルビーちゃん、それに……オリバーがいる」
室内に緊張が走った。日野たちは様子を窺いながら、地下へ降りていこうとした。
だがその時、アルがしきりに騒ぎ始めた。アルは焦ったように、鈴の音がなっていると三人へ伝えた。
すると、暗い階段の奥から、コツコツとこちらへ向かってくる靴音が響いてきた。
「あーあ。こんなに早く見つかっちゃうなんて、想定外かも。またオレとキスしに来たの? オネエサン」
「オリバー……!? ルビーちゃん!?」
姿を現したのは、フードを被った男。オリバーだった。その瞳は金色に変化し、片腕にはルビーを抱えている。ルビーは足をばたつかせ、呻きながら抵抗していた。しかし、口を縛られ、両手には手枷を付けられている為にその腕の中から抜け出せない。
「その子を離して!」
驚き、叫んだ日野へ、オリバーはからかうように声をかけた。
「あれ? オレの名前調べたの? 興味を持ってくれたなんて、嬉しいなあ。今からデートする?」
「しねぇよ」
「オマエに聞いてない。弱いヤツは黙ってなよ」
間髪入れずに否定したグレンを、オリバーは不満気に睨みつけた。険悪な雰囲気の中、ジタバタと体を動かして逃げ出そうとしている赤髪の少女に、オリバーは深いため息を吐いた。
「この子、意地でも懐こうとしないんだ。ローズマリーはあんなに心を開いてくれたのに……」
『心を開いたっていうより、堕としたんでしょ?』
「煩いなあ……いいじゃない、どっちでも。ローズマリーはもうオレのモノなんだから」
『はいはい。お好きにどうぞ』
──なにか違和感を感じる。日野はオリバーを見つめながら眉間に皺を寄せた。
今、彼は誰と話していた? 今ここにいるのは、私とグレン、ハルとアルに、ルビーちゃん。その誰も言葉を発していないのに、彼は誰かと会話をしているかのようだった。
他に人の匂いはしないが、もしかして奥に仲間がいるのか? そう思って目を凝らした。
すると、オリバーの背後でフッとなにかが動いた。だんだんと近づいてくると、それが人影だとわかった。そして、その姿を見て、日野たちは驚愕した。
「ローズマリーさん!?」
「ローズマリー!」
「お姉ちゃん!」
明るかった筈の表情に影が差し、暗くぼうっとした瞳はどこを見ているのかわからない。
ルビーと違い、どこも拘束されていないようだ。だが、ローズマリーはその場から逃げようとはしなかった。
「ローズマリー……さん?」
日野が声をかけても、届いていない。まるで、魂の無い人形だ。
チッ、とグレンの舌打ちの音が聞こえた。
「ローズマリーになにしやがった?」
「なにって? 別に、お話してただけだよ?」
「ふざけんな! 話しただけでこんな風になるわけないだろ!」
「おー、怖い怖い。気になるなら、この子に聞きなよ。もういらないから、オマエらにあげる」
そう言って、オリバーはルビーを放り投げた。宙に浮いた小さな体を、ハルが抱き留める。
口元で縛られていた布を解くと、ルビーは息を切らしながらオリバーを睨みつけた。その赤く大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
両手に付けられた鉄の手枷は外れそうにない。すると、ルビーは重く硬いそれを自身の額に打ちつけた。何度も、何度も、それを繰り返した。
「ルビーちゃん!?」
「ちょっと、なにしてるの!? やめなさい!」
日野が駆け寄り、ハルと共に止めに入ったが、ルビーの額からは滲んだ血が流れ落ちた。
急いで止血しようとした日野の腕を振り払い、家の外へ出る。少し息を吐き、立ち止まると、空気を目一杯吸い込んだ。
「刻──!!」
ルビーの叫び声が、辺りに響き渡る。まだ止まない雨が、涙と共に頬を伝った。
「私の血だよ! 分かるでしょ!? 早く、来……て……」
次第にか細くなっていく声。小さな体はふらふらとその場に倒れた。
泥にまみれたルビーに、日野とハルが駆け寄った。力の抜けた体を、ゆっくりと抱き起こす。
「無茶しないの……遅くなってごめんね、ルビーちゃん」
日野は涙を流しながらそう言うと、額の傷にハンカチを当てた。