百八 不気味な街
すっかり辺りが暗くなった頃だった。少し不気味な森の中を、傘を差して歩く。近くにねぐらがあるのか、どこからかカラスの鳴き声が聞こえていた。
どろどろと歪んだ空に、ぬかるんだ道。ランプの明かりを頼りに、日野たちは次の街を目指していた。
ここから、そう遠くはないはずだ。もう少し歩けば着くだろう。二匹が聞いたという鈴の音が、どこかでするかもしれないと、グレンは周囲の音に耳を澄ませていた。
──カタカタカタカタ
しかし、鈴の音は聞こえない。チラリとアルに視線を向けてみても、その小さな頭は横に振られた。
アルに聞こえないのであれば、刻の言うように次の街で女に聞き込みをするしかないか。
手がかりと呼べるものがない状態での人探し。刻を追いはじめた頃からそうだったため、慣れてはいるが……今回はあまり時間がない。
辺りを見回しても、ランプの明かりが照らす範囲しか見ることは出来なかった。
歪んで生えている木々たちを、じめじめとした空気が包み込む。進むにつれて、森の不気味さはどんどん増していった。
──カタカタカタカタ
ローズマリーが刻に想いを寄せていることも、ルビーが刻を大切に思っていることも、二人の表情を見れば分かった。
慕う相手がたとえ殺人鬼と呼ばれる男だったとしても、彼女たちに罪はない。早く助け出してやらないと……。
──カタカタカタカタ
「だああっ、うるせぇ! お前いつまで震えてんだ。幽霊なんているわけないだろうが」
先程から聞こえていた、上下の歯がぶつかる音に、我慢できなくなったグレンが勢いよく振り返る。
その視線の先には、震える両手で傘のハンドルを握り締めて歩いている日野がいた。
暗くなってからというもの、彼女はキョロキョロと辺りを見回したり、たまに臨戦態勢をとるように構えてみたり、見えないものにずっと怯えていた。
ハルに笑われていることにも気づいていないようだ。
「いつもと同じ夜だろ。誰と戦ってんだよお前は」
「違うよ……いつもはこんなじゃない! その辺りに幽霊がいてもおかしくないよ」
「そういえば、さっきからボクたちの後ろを女の人がつけてきてるよね──でもその人、足が……無いんだ」
「いやああああああああああ!」
「ハル! やめろ! 余計に煩くなるだろ!」
泣き出した日野にため息を吐きながら、グレンは傘を閉じた。そして、日野の持つ傘を取り上げると、華奢な体を引き寄せた。手を繋いで、再び歩き出す。
「面倒臭い女だな、お前。多少汚れるのは我慢しろよ」
「そう言う割に、ボクには嬉しそうな顔してるように見えるけど」
「うるせぇ、さっさと行くぞ」
恐怖で泣いている日野を連れて、グレンとハルは足早に次の街へ進む。確かに、かなり気味が悪くなってきたが、距離を考えるとそろそろ着く頃だ。
暫く歩くと、ポツリポツリと明かりが見えはじめ、なんの変哲もない普通の街が目の前に現れた。
「もう怖くないだろ?」
「うん……ありがとう」
「もっとおどろおどろしい街が出てくるかと思ってたら、意外と普通だねぇ」
手を離す様子のない日野とグレンを他所に、ハルは街中を見回す。立ち並ぶ建物には明かりがついているが、街中に人がいない。
いつもなら、雨の日でも夜はお酒を飲んでいる大人たちで賑わっているところが多いのだが、ここの人間たちはそうではないのだろうか。
シンとした街をハルが不思議に思っていると──
「あんたたち! 早く! 早くこっちに来なさい!」
近くの家の扉が開き、白いエプロンをした、ふくよかな中年の女性が焦ったように手招きしていた。
「早くしな! 殺されちまうよ!」
そう言って、女性は必死に家へ入るように促した。
「なんだあのババア」
「……とりあえず、話を聞いてみる?」
「ボクもショウちゃんに賛成。女の人ならオリバーについて何か知ってるかもしれないよ」
「まあ……一応、女だな」
早く入りなと叫ぶ声が、徐々に大きくなっていく。よほど焦っているようだった。日野たちは頷き合って、走り出した。
招かれた家は、平家の小さなログハウス。扉の傍にある窓の向こうに人影はない。どうやら一人暮らしのようだ。
何か少しでも手がかりが掴めれば──、そんな思いを抱いて、三人は家の中へと入っていった。