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残念な戯言的散文

いつかジッドに至るのか?~白旗を降りながら、狼煙をあげて~

作者: 残念な戯言遣い

 偏見まみれの私論です。

 タイトルのジッドですが、作家さんです。

 ジッド何それ?アンドレってるの?で、お馴染みのアンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド(1869-1951)さんです。オイルライターの社名ではありません、ジッドさんです。

 フランスの小説家です。

 個人的に文学と言えば、このジッドかドストエフスキーかなんてなコトを想像をしてしまうのですが、こればっかりは時代によるところも大きいでしょうし、個人差もありますから、断言はしません(ぼやかしていきます)


 そんなことを思いつつ、みなさまゴキゲン如何でしょうか?残念な戯言遣いアルファタウと申します。

 ちょいとした時間潰しにお付き合い願いまして、駄文雑文失礼します。


 さて、そんな大作家の云々を記した理由ですが、とある映画の、とある場面(シーン)を思いだしたからです。


 その映画(吉田大八監督作品)の中、屋上の場面にて、神木隆之介演じるスクールカースト低位で映画部の学生が、東出昌大演じるスクールカースト上位の学生に向けた台詞を思いだしました。

 “自分たちの好きな映画と、今、自分たちが撮っている映画がつながっているんだなと思う時がある”という旨の台詞です。

 そのセリフ、言葉を自分に置き換えたとき、今までそんな風に感じれたことはあったかな?と自問自答してみてもどうにも上手く思索できないでいます。もしかしたら、その次元にすら立っていないのかもしれませんが。

 書きたいモンを書いてなにが悪いか!もしくは、「そんなの関係ねぇ」と芸人さん並みに拒絶される方もありましょう。

 書くってそういうコトでしょうが!もしくは、「はぁ?あんたバカ?そんなの当り前じゃない」とテレビ版と新映画版で苗字が違うヒロイン並みに馬鹿にする方もいるでしょう。

 僕にはどちらも思い当たる節がありますし、どちらも違う気がするのです。矛盾していて「ナニ言ッテンダ、コイツ」な発言ということは、重々承知ニンニン。

 何かを生み出す、といっては大袈裟かもしれませんが、そういう行為全般を行う時は何故か孤独で誰かと繋がっているとも言い替えれる台詞だと言えるのではないか、と思うのです。

 作り手というはゼロからイチに、頭の中の物語を言語に、もしくは別の媒体(絵、歌、詩、映像)に、描き写そうとするとき“心地よい苦痛”を伴います。記述するとトンでもなくMな印象に驚きますね。

 何故苦痛なのか?と考えるに、ヴィトゲンシュタインくんの有名なアレを思い出しました。


 “語りえぬものについては、沈黙しなければならない”


 あれですね、例のアレ。

 ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン(1889-1951)くんの意図とは外れているのですけれど、“作る手”が創作をするということは、「沈黙したくないんじゃい!黙ってられないんじゃい」と言っていることなのではないだろうかと思えたのです。

 真面目な言い方をすると、言語化できない欠落部分を探している行為そのものが、執筆(=創作)行為なのではないだろうか、と思えるのです。例えるなら、崖から飛びたいと思う()がいて、「人です、無理です。人は飛べませんよ」と理性が止めても()()()()()()ようなことでしょう。つまり、鳥人間コンテスト。

 それは孤独な行為でしかありません。なにせ今まさに描こうとするモノは、眼前になく、その描こうとする人の中にしか存在していないからです。

 そして、その衝動発端は、誰かの物語です。

 何処かの光景です。

 そこに居もしない誰かの存在を感じます。


 あの物語を、その一文を、この言葉を、紡げられたのは、

 今日に、昨日の、半年前の、十年前の、

 あの人に、アナタに、お前の、

 言葉や、感情に、

 僕自身が、

 出逢えたからだと心底思うのです。


 コレは、一度…、いやいやそれどころか何度も何度も心が折れて、文書を書く物語を紡ぐことを諦めた人間のぼやきなのです。

 作り手としては。弱者の弱音で強がりです。

 文字を書くことに白旗を全力で降りまくって、旗が折れるまで降り続けて、気がつけばまたペンを握っているような駄文書きのぼやきです。

 文章を書くのが好きです。ただ下手の横好きで、駄文を散らかしてしまうのはご容赦くださいと低頭平身するしかないのですけれど。

 文書を書き続けるのは苦痛です。一文字も出てこない苦しみを味わうのはゴメンです。苦しいのは嫌いですから。

 物語を綴るのが好きです。好きすぎて研究職までついてた時期がありました。四六時中、世界に潜んでいる物語や浮かび上がった物語に一喜一憂していた時期もありました、今思えば病気的です。

 物語を綴るのは、恐怖です。これってもう誰かが書いてるんじゃないだろうか?調べ尽くして徒労に終わったり、ぬか喜びに終わるのはゴメンです。疲れるのは嫌いですから。

 そう、また懲りずに、やめときゃいいのに、ペンをとるのです。言葉を探して、文に紡いで、物語を綴りだすのです。

 そして大見得をきるのです。狼煙をあげるが如く。


 いやいや、まったく、戯言なんですけどね。



Rewrite.

Reason? I want to be a creator.

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