9 遺言
この話を聞いたのは、私が大崎のおじさんと呼んでいる遠縁の者からである。
ちなみに……。
大崎のおじさんは八十歳を少し超えたところで、耳が少し遠くなってはいるものの、今も車を乗りまわすほどの元気者である。
つい最近、平成二十年の秋のできごとである。秋祭りで神楽を舞った日だから十月中旬であったという。
場所は自宅の駐車場。
時刻は夜の十時頃であった。
その夜。
神社の神楽舞から帰り、自宅の駐車場に車を乗り入れると、車のライトに人影が浮かび上がった。ボンネットの直前だったそうだから、軽四の運転席から距離にして二メートルもない。
人影は亡き義姉のヨシエだった。
上半身がはっきり見えたので、ヨシエの顔は見まごうことはない。
おじさんはすぐに車から降り、すでにこの世の者ではない義姉に声をかけた。
「なんで、こんなところにおるんか?」
そのときは……。
すでに死んでいるとわかっているので、それはもうびっくりしたが、無意識のうちに体と口が動いていたという。
声をかけて、すぐ。
義姉の姿は徐々に薄れてゆき、三秒ほどで消えたそうである。おじさんはその様子を、電灯の明かりを絞るふうに薄れていったと例えた。
そのヨシエだが……。
ヨシエの亡夫とおじさんの妻は兄妹という近しい親戚関係にあり、しかも互いの家は道路をはさんで真向いにあった。
それが平成二十年の夏。
ヨシエは自宅前の道路を横断中に車にはねられ、その日のうちに亡くなってしまった。
ちなみに。
ヨシエの葬儀には私も参列している。
最後、おじさんはこう語った。
自分の記憶では……。
ヨシエの幽霊を見た日は、四十九日の頃ではなかっただろうか。
義姉夫婦は子供に恵まれず、跡取りがいない。よって家督を継ぐ者がなく、先祖を祀る者がいない。
あとのことを頼む。
おそらくヨシエは、あの世に旅立つ前、そう言い遺したかったのだろうと……。
この話には続きがある。
空き家となったヨシエ宅には、去年からおじさんの孫夫婦が住み始めた。
この孫が、ときおり口にするのだそうだ。
「じいちゃん、夜勤に出るとき、車のうしろに死んだおばちゃんが乗ってる気がするんやけど」
そのときは、
「そんなことがあるもんか」
一言、こう答えているという。