7 奇人
この話は親戚の女性から聞いたものである。
彼女は九州の片田舎の出身であり、高校の修学旅行中に体験したことを話してくれた。
その修学旅行は半世紀近く前――昭和四十四年の秋にあり、一番の目的地はその年に開かれていた大阪の万博会場だった。
彼女も万博見学を楽しみにしていたのだが、大阪に向かう寝台列車の中で高熱に襲われる。風邪が原因だったのか、のどがひどく痛かったそうだ。
このとき。
それを聞き知った担任教師から「波多野先生なら治してくれるはずだ」と誘われ、その教師のいる客車に移動することになった。
波多野という教師は生物を教えており、保健の担当でもなんでもない。それでも、その教師の元に行くことになったのは、それなりの理由があった。
それはのちほど語るとして……。
彼女は波多野の元に行くのがイヤだった。
というのも以前より、波多野に対し強い嫌悪感を抱いていたからだ。
まず容姿が嫌いだった。
生徒たちからは「ハタブー」と呼ばれるほど太っており、しかも脂ぎった赤ら顔をしていた。
さらに生徒らからは奇人と言われていた。彼女にとっては、気持ち悪いという印象しかなかったのだ。
次に授業。
彼女は生物の授業を受けていたのだが、波多野は授業前に奇妙なことを行っていたという。
そして……。
この奇行こそが、先ほどの理由を語るにうえで重要なことになる。
その奇妙な行為とは……。
言葉二十個を――いつも必ず二十個であったそうだが、生徒の一人に思いつくままを黒板に書かせ、反対向きに立った波多野がすべてを言い当てるというものだった。
それは書いた順、反対の順、いずれからでもあっても必ず言い当てたそうで、なぜ言い当てられるのか生徒のだれもがわからなかったという。
担任に半ば強制的に手を引かれ、彼女はフラフラする足取りで車中を歩き、波多野の元に行った。
彼女がそのときのことを話してくれる。
波多野は自分の正面に立ち、頭の上に左の手のひらを乗せた。それから頭をやや押さえ、口の中で何やら言葉を唱え始めた。
それは呪文のようで、言葉の意味はまったくわからなかった。
そのときは……。
波多野にさわられるのはイヤだが、万博は見たいので早く治りたい。ただ、その一心だった。
二十秒ほど過ぎたとき。
右手の指が顔に向かって、パッ、パッ、パッという感じで三度振られた。
その瞬間。
身体の熱が一気に引くのがわかったという。
翌日の大阪。
のどの痛みは少し残っていたが、彼女はなにごともなく万博見物をしたそうだ。
今にして思えば……。
あのとき一瞬にして熱が下がったのは、授業前の奇行と関係していたのだろう。だが当時は嫌悪感が先に立ち、そんなことは考えもしなかったという。
その波多野という教師。
当時、四十歳前後だったというから、存命であれば今は八十五歳ぐらいであろう。
奇妙な教師がいたものである。