39 未練
赤ちゃんが天井などを目で追ったり、または指をさしたり、目に見えぬものに反応するといった話はよく耳にする。
この話は、見えぬものを見ていたという知人の女性に聞いたものである。
もちろん彼女はそのときのことを覚えているはずもなく、彼女ものちになって父親から聞いたという。
知人の場合は特別である。
なにしろ彼女は言葉をしゃべり始めてもなお、この世の者でないものが見えていたらしい。
父親の話によると、彼女は亡き母親の姿を見ていたそうだ。
こう言っていたのだから……。
「お母さんがいる」
実のところ彼女の母親は、彼女を産んでまもなくこの世を去っていた。
二歳の頃。
そうしたことが頻繁に続き、そのうち彼女は高熱を出してしまった。病状はかなりひどく、医者からは覚悟をするようにとまで言われたそうだ。
だが、彼女は一命をとりとめた。
以来……。
目に見えぬものに反応しなくなった。
これを機に彼女の内部に変化があり、そうしたものが見えなくなったのだと思われる。
この話には続きがある。
彼女の一人娘もまた、言葉を覚えてもなお目に見えぬものが見えていたのだ。
彼女の父親が亡くなり……。
葬儀が終わった直後から、娘が覚えたての言葉でしきりに言うようになった。
おじいちゃんがいる、と。
これより彼女の言葉である。
「娘は父の四十九日が過ぎて、ピタリと言うのをやめましたので、たぶん父の姿が見えなくなったのでしょう。それで、私は父が成仏したのだと……」
それからこう言い添えた。
「母の場合は、赤子の私に未練が残っていたのでしょう。ですから四十九日を過ぎても、母の魂はなおこの世に残っていたんです。ですがそのことで、私の命に危険がおよぶことを知り、泣く泣く未練を断ち切ったのだと思います」




