1 白い影
この話はずいぶん昔、私の祖母アキが子供の頃、アキの祖父から聞いた話である。
アキは明治三十八年生まれであるが、アキの祖父が奇妙なその白い影を見たのは、おそらく祖母が生まれる前のことだったと思われる。
祖父の名は仲作といった。
その日の夕暮れどき。
仲作は飼い犬を連れ、同じ村の者と二人で、所用があって隣村へと向かっていた。はっきりとした時刻はわからないが、暗くなっていたそうだから黄昏どきはとうに過ぎていたのだろう。
隣村までは一本道であった。
村境あたり。
薄闇の中、前方からぼんやりとした白い影が近づいてくるのが見えた。
このとき仲作は、この白い影が自分の村の者だと思ったそうだ。
白い影との距離が十間ほどになる。
と、そのとき。
飼い犬がいきなり吠えて走り出し、それから白い影に向かって飛びかかった。
その瞬間。
白い影が消えたそうである。
道の両側は田んぼで、水が張られた中には稲が一尺ほどに伸びていた。
――田んぼに落ちたのでは?
仲作たちはあわててその場にかけ寄った。
だが、そこにはだれの姿もなかった。
さらに田んぼにはだれかが落ちた形跡はなく、稲もなんら乱れていなかったそうである。
犬だけがやみくもに吠え続けていた。
この犬はずいぶんおとなしく、普段は決して人に向かって吠えたりしなかったそうだ。
二人はそのまま村に引き返したという。
アキは子供のころ、この奇妙な話を、祖父の仲作から幾度となく聞かされたそうだ。
白い影が何者であったかはわからない。
だが、あのとき二人同時に見た。それに犬が吠えかかったのだから、あの場に何かがいたのはまちがいないことだ。
仲作はいつもこう話していたという。
ちなみに。
その現場は私もよく知っている。
私が小学校のとき、通学路として通っていた道である。
祖母からこの話を聞かされていたので、夕暮れ時にここを通るときは、いつも全速力で走り抜けていたものだ。