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陰陽師とその守護神と月読神

作者: 讃嘆若人

 伊勢神宮の別宮である月読宮――人口密度が常に高い内宮とは対照的に、別宮は静まりかえっている。

 小さな丘のふもとに、「参道入り口」の看板がある。私は、鳥居を潜り抜けて、参道に入った。

 「参道」は「産道」に通じるのだという。赤ちゃんは、生まれたばかりの時に「母親の子宮の中に戻りたい」という感情を抱くようだ。子供が母親の腕に抱かれると、何とも言えない安心感を抱くのもそのあたりに理由があるのかも、知れない。

 母親が赤子に対して、無償にして無限の愛を注ぐように、神様も人間に無条件の愛を注いでいる。そして、この参道を上ると、「お帰りなさい」と言って抱きしめてくれる――そのように、私には、感じられる。

 私は、ゆっくりと、参道を登る。この鎮守の森の雰囲気を、私は気に入っている。人々の喧騒が聞こえる内宮よりも、別宮の月読宮の方が、ある意味では、雰囲気はいいかもしれない。

 やがて、社務所と手水舎が見えた。手を洗い、口を注いでから、私は体をゆっくりと、左に向ける。

 そこには、月読命を祀る伊勢の別宮があるのだ。






   *   *   *






『幸弘さんには、陰陽師(おんみょうじ)の素質があるんじゃないの?』

 瑞野(みずの)紀香(のりか)の声を、思い出した。

『素晴らしい因縁ですね。前世の夫の近所に引っ越す、なんて。』

 ああ、これは私たちが付き合う前の話だ。

『貴方はもうすぐ、この家を住めなくなるの。』

 最悪の予言。そして、この預言が的中したからこそ、私達は付き合うことになった。






   *   *   *






 陰陽道(おんみょうどう)――それは、日本独自の宗教である。

 歴史的には中国の道教の影響もうけているからしいが。

 神社に参拝するのが神道、お寺でお経を()げるのが仏教だが、日本では神道と仏教以外の宗教は、あまり人々の意識に残っていない。近年のスピリチュアルブームで神社やお寺を「パワースポット」と崇める人がいても、陰陽道はせいぜい、安倍晴明の話が一部のもの好きの間で語られる程度だ。

 だが、実際には陰陽道は人々の生活にかなり根付いている。


 例えば、正月のおみくじ。引いたおみくじを、神社の木――今では、神社側が用意した「結びどころ」と言われる柵や棒のことも多いが――に(くく)り付けるのは、本来、神道ではなく陰陽道の教義である。

 ちなみに、神道では本来、引いたおみくじは家に持って帰ることになっている。

 また、カレンダーにある「六曜」も、中国の影響もあるものの、かなり陰陽道と関係している。「大安」とか「仏滅」とかで吉凶を判断するのは、陰陽道の考え方だ。

 それに、節分の恵方巻は近年の宣伝で広まったイベントだが、恵方という概念は陰陽道の思想が元になっている。


 陰陽道は明治維新の時に弾圧され、宗家である土御門家も今では断絶している。

 だが、瑞野家は土御門家の分家の系統を受けており、紀香にも陰陽師の血が流れていた。






   *   *   *






 厳しい修行の末、私は陰陽師の師匠から免許を授けられ、守護神を呼び出すことを許可された。

「・・・・マジかよ。」

 私の守護神が女神だということは師匠から聞いていたが、まさか、この女・・・失礼、この神様だとはな。

 なお、守護神と話す際には、陰陽道の霊山にある「秘所」と呼ばれる場所で、一人で対面しなければならない。

「ウフフ、美人な守護神で嬉しい?」

軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)様で、よろしいでしょうか?」

「さすが、私が誰かを見抜くとは、優秀な陰陽師ね。まぁ、そうじゃないとあの厳しい師匠が対面を許可しないか。」

「――――よろしくお願いします・・・・・。」

「楽にしてもらってもいいわよ?私は貴方が生まれる前から可愛がっていたのだし。」

 それじゃあ、こちらも女神の許可をもらったことだし、ため口を聞かせてもらおう。

「・・・・貴女が守護神と聴いて、色々と腑に落ちました。」

「そう?あんまり、嬉しそうじゃないわね。こんなに美しい女神に愛されているというのに。」

 厳しい修行を行い、やっと念願の守護神と対面できると喜んだ結果が、これなのか。

「禁断の愛の代名詞――」

「そう、世間では見られているわね。もう、1500年ぐらい前のことだけれども。」

「お兄さんと結ばれた、元祖ブラコンですね。」

「ウフフ、美男美女同士が()かれることが、何かおかしい?」

 うるさい、このリア充が。というか、女神の割には、なんか俗っぽい女にみえるのは、気のせいだろうか?

「兄妹で心中をされた歴史に残る皇族の女性が私の守護神とは、極めて光栄であります。」

「世の中に愛ほど尊いものはないわ?私とお兄様の愛の前には、社会通念だの皇族の良識だのは無意味だったわけね。」

「こんな守護神を持つから、私の恋愛は無茶苦茶になる訳ですね。」

「うん?貴方の好きな人は、誰だったっけ?」

「知っているくせに。」

「う~ん、貴方の口からききたい、かな?」

「こんなSな女神、嫌だ・・・・。」

「で、誰なの?」

「はいはい、瑞野紀香、ですよ?好きになってはいけない人を好きになるのは、守護神の影響でしょうかね。」

「『好きになってはいけない人』?ちゃんと二人は付き合っているんだから、そんなことを言っていると世界中の非モテ・非リアを敵に回すんじゃないの?」

「・・・・お願いだから、もう少し、女神らしい話し方はできないのですか?」

「神は本来(かたち)なき存在なので、相手のレベルに応じて姿を現します。」

「私って、こんなレベルの人間だったっけ?」

「喜んでよ?私は衣通姫(そとおりひめ)というほどの美人だったのよ?服が透けて見えるぐらいの美貌の持ち主は後にも先にも私だけ、世界三大美女なんか、私の足元にも及ばないわよ?」

「だから、俗っぽすぎませんか?」

「事実を言っただけです。小野小町なんか、本当に私レベルの美人なのかしら?国家を傾けた楊貴妃や最終的に身を滅ぼしたクレオパトラなんかに私が負けるとも、思えません。」

「兄妹で心中をするのは、身を滅ぼした内には入らないのですか?」

「私は愛に生きただけです!自分の体を利用しただけの女と一緒にしないでください!」

「だいたい、服が透けるぐらいの美貌って、いまいち意味がよく分からないのですが。」

「服が透けたら、何が見える?」

「露出狂ですね・・・・・。」

「女神には肉体はありませんから、俗世でのそのような用語は当てはまりません。」

 なんなんだ、このしょうもないコントは。

「私は、服を通しても透けて見えるぐらい、お兄様への強烈な愛情を持っていたのです。私は愛情の女神なのです!」

 あんたの体は強烈なブラコン的な愛でできているのか?

「・・・・強烈な煩悩の愛に感じるのは、私だけでしょうか?」

「貴方だけですね。」

「わけ、ないでしょ!」

「それだと、どうして『古事記』には私のことが『衣通姫』(その美しさが衣を通してあらわれるほど美しい女性)として記録しているのかしら?」

「とりあえず、煩悩の愛情は美しくありませんし、衣服は愛情を隠すためのものではありませんよね?」

「いずれにせよ、恋愛の女神である私が付いている以上は、貴方も必ず、想い人と結ばれます!」

「というか、既に付き合っています。」

「女神に対してツッコミを入れるとは、中々のものね。」

「すみません。あまりにも俗っぽい女神だったもので。」

「ま、いいわ。私は必ず貴方の味方。私みたいな美人な女神が付いているとは、頼もしいでしょ?」

「はぁ?」

「いいですか?私はこの力で、自分の兄を手に入れました!」

 何を自慢しているんだ、この人は・・・・。

「この私が守護神として着いたからこそ、貴方も好きな女性を手に入れることができたのです。兄妹の壁すら私にとってはあってなきようなもの、ましてや、どうして貴方に小学生の美少女を与えないということができるでしょうか?」

「・・・・・。」

「貴方が、欲しいと言ったからこそ、私は瑞野紀香を貴方に与えたのです!相手が小学生かどうかなど、関係ないのです!」






   *   *   *






 私が陰陽師の修行を始めたのは、悩んでいたからだ。

 紀香は容姿こそかわいいが、まだ小学生だ。そんな紀香に私が恋をしたのは、私がまだ高校生のころである。

 禁断の恋――のはずが、大学生の時、ひょんなことから私は紀香と再会した。

 そして、紀香の予言通り、私は下宿先を追われることになった――より正確には、社会常識のない友人に巻き込まれて警察に不当逮捕されて大学を事実上の退学となったのである。

 時を同じくして、私の父は大企業の社長であったが、急逝した。私は紀香の両親の許可を得たうえで紀香と二人で新しい人生を歩むことにしたが、あまりもの出来事に精神が混乱していたので、事業は従兄に告いでもらい、自分は陰陽道の修行に入ったのである。






   *   *   *






『月読神を参拝したら?』

 私の守護神は、別れる際にそういった。

 なので、私は今、月読宮を参拝しているわけだ。

 私が伊勢大学の学生だった頃には何度か来たことはあるが、改めてくるとやはり気持ちのいいところである。

 四つある社の、右から二番目に月読尊(つくよみのみこと)が祀られている。もっとも、伊勢神宮の関係者は「ツクヨミ」ではなく「ツキヨミ」と発音しているらしいが。

 二拝、二拍手、一(ゆう)――白川神道流の参拝をしたのち、手を合わせて陰陽道で習った祝詞を言おうとした。


 しかし、それは、不必要だった。


 手を合わせた瞬間、なんとも言えない(たの)しさが込み上げてきたのである。

 それは、大安心の境地であった。

 神の前で何を語ろうか、等という考えは、その刹那に消え去ったのである。

 私はただ、月読神の前での快い感覚にすべてを委ねたのであった。


 そして、そのような人生を送るのが理想であることを、悟ることができた。

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