2012年8~9月 かかり癖
トランクバークは函館競馬の開催が終わると、ホーソンフォレストと共に札幌に移動し、今度は札幌競馬場のレースに出ることになった。
そのため、村重厩務員は6月に函館入りしてからずっと北海道に滞在し続けていた。
彼は家族に会えず、厩舎にも戻れない日々を送っていた。
せめてもの救いは、彼がまだ独身ということだった。
しかし、厩舎には代わりの人がいないため、交代で休みを取ることもできなかった。
そんな中で、彼は北海道での孤独な一人暮らしに慣れようと必死だった。
トランクバークの次走は8月26日の2歳オープン特別のクローバー賞(札幌芝1500m、1着賞金1600万円)に決まった。
一緒に滞在している4歳のホーソンフォレストは1勝馬で、本賞金は400万円だった。
しかし4歳の夏開催から本賞金が半分になるという規則のために、クラス分けの上では200万円ということになってしまった。
そのため、表開催(東京、中山、京都、阪神、表開催扱いの中京)では除外を受けやすくなり、裏開催で何とか賞金を稼ごうとしていた。
クローバー賞当日、この日はトランクバークだけでなく、ホーソンフォレストもまた3歳上500万下に出走した。
(理由は以前と同じく、星調教師が2度も北海道に来なくて済むからだった。)
札幌競馬場の関係者エリアには、この日に現地入りしたばかりの求次と、ホーソンフォレストの関係者、そして星調教師と村重厩務員が集まり、以前よりもにぎやかになった。
求次とホーソンフォレストの関係者はお互いにあいさつをし、お互いの馬について話し合った。
第7レースの3歳上500万下(14頭立て)に出走したホーソンフォレストは、道中は馬群の真ん中辺りにつけ、最後の直線で一気にスパートをかけようとした。
しかし、伸びを欠いて結局10着でゴールインし、賞金獲得はならなかった。
(もらえたものは出走手当の37万円のみだった。)
「せっかくここまで来ていただいたのに、こんな結果ですみません。」
星調教師は、ホーソンフォレストの関係者をねぎらおうと声をかけた。
「いえ。あきらめずに調教して、レースに出してもらえるだけでも光栄です。」
「そうです。あきらめなければきっと2勝目を挙げてくれる。そう信じています。」
関係者の人達もまた星調教師を気遣いながら返した。
彼らはレースが終わった後、ぞろぞろと競馬場を後にしていった。
(やっぱり、勝てなくてショックなんだろうなあ…。)
求次は彼らの後ろ姿を少し寂しそうに見つめていた。
そしてメインのクローバー賞の時間がやってきた。トランクバークは3戦続けて久矢騎手を鞍上に迎え、2枠2番に入っていた。
星調教師は久矢騎手に対し、次のように指示を出した。
「今回は1500mと距離が長くなるから道中はできるだけ抑えながらも、もし馬がかかってしまった場合には無理に抑えようとはせず、馬に任せてくれ。」
少しあいまいな指示ではあったが、まだベストな方法が見つからず、どうすればいいのかをみんなで模索しているが故の措置だった。
「はい。結果はともかく、悔いだけは残さないように精一杯がんばってきます。」
久矢騎手はそう返して、馬にまたがったまま本馬場に向かっていった。
レースは1コーナーのポケット付近から始まった。
トランクバークはゲートが開くと一瞬先頭に出た後、久矢騎手の指示で3番手に下がった。
そして2コーナー手前までその位置をキープした。ここまでは星調教師の指示通りだった。
しかし向こう正面の直線に差し掛かると、まるで仕掛けたようにどんどん前に出て行ってしまった。
「あちゃー、またかかったな。」
「またかかりましたね。」
星調教師と村重厩務員は以前と同様、厳しい表情でつぶやいた。
3コーナー手前で先頭に並んだトランクバークはそのまま並走してコーナーを回り、最後の直線に入った。
(さあ、あと250mあまりを残すのみだ。大変だとは思うが粘りこんでくれ!)
鞍上の久矢騎手は心の中でそう馬に言って聞かせた。
最初からトランクバークの前を勢いよく走っていた馬達は直線に入るとすぐに失速し、一瞬トランクバークが先頭に立った。
しかし、間もなく函館2歳Sの時と同様に、後ろから来た馬に次々と交わされていった。
「うわあ、やっぱりこうなったか。」
「せめて賞金だけは稼いでくれ。」
「同感。」
求次達はそう言いながら、最後までレースを見届けた。
結局トランクバークは7着でゴールインした。
獲得した賞金は1600万円の6%、96万円だった。
(求次は96万円の80%、76万8千円と、特別競走の出走手当38万円の合わせて114万8千円を獲得した。)
レース後、求次と星調教師、村重厩務員、久矢騎手の4人はトランクバークの走りについて色々と意見を述べながら反省会をしていた。
その中で、村重厩務員は
「正直、2ヶ月間ずっと休みなしで北海道に滞在しているので、疲れました。家族にも会いたいし、息抜きも兼ねて少し関東に帰りたいのですが、いいですか?」
と、星調教師に直訴した。
「…分かった。じゃあ、明日から3日間休暇を与えよう。」
星調教師は快くゴーサインを出してくれた。
「本当ですか?ありがとうございます!」
「君が留守にしている間は僕が面倒を見るから、ゆっくりしてきてくれ。」
「はいっ!」
村重厩務員は元気よく返事をした。
この後、彼は早速飛行機のチケットを手配し、翌日、関東に戻っていった。
トランクバークの次走は、9月29日に行われる札幌2歳ステークス(GⅢ、札幌芝1800m、1着賞金3200万円)に決まった。
短距離向きのトランクバークにとっては明らかに長い距離ではあったが、これから使っていくレースの参考にするためにも、使う方向で意見がまとまった。
札幌2歳Sのある週の土日は3ヵ月半に及ぶ北海道シリーズの最終週でもあった。
そのため、トランクバークはこのレースが終わると関東のトレーニングセンターに帰ることになっており、競馬場には馬運車が待機していた。
(ホーソンフォレストは一足早く関東に戻っていた。)
札幌2歳S当日、求次、星調教師、村重厩務員は再度札幌競馬場に集結した。
「トランクバークは7枠12番か。それにしても14頭立ての9番人気とは低いな。」
人気に納得できない求次が言った。
「まあ、距離が1800mだし、かかり癖を考慮して、敬遠する人が大勢いたためだろう。仕方ない。」
星調教師が返した。
彼ら3人はとにかくトランクバークがレース中にかからないことを願っていた。
久矢騎手も、このレースは勝利にはそれ程こだわらず、1800mという長い距離の中でどれだけ折り合いをつけることができるかに重点を置くように、指示を受けていた。
しかし、そのプランはレースが始まるといきなり崩れてしまった。
トランクバークはスタートすると、騎手の意図を無視してすぐに全力疾走を始めた。
それに即発されたのか、他に2頭の馬も競りかけていった。
恐らくみんなかかってしまったのだろう。
3頭はトランクバークを真ん中に、競り合ったまま1コーナーを曲がっていった。
それまで久矢騎手は何とか馬をなだめようと手綱を引っ張り続けていたが、1コーナー以降ではそれをやめ、馬のやりたいようにやらせていた。
求次達3人は、トランクバークが何とか落ち着いて走ってくれることを願った。
しかし、その期待とは裏腹に、トランクバークは2コーナーを曲がりきって向こう正面に入ると、ラストスパートと言わんばかりに全力で走り始めた。
久矢騎手も馬とけんかをしているようだった。
恐らくこんなやり取りでもしているのだろう。
「かかるな!落ち着け、トランク!」
『うるさいわね!何で止めるのよ!もう直線じゃないの!』
「ここは向こう正面だ!ゴールはまだ半周先なんだぞ!」
『でもアタシは先頭に立たなきゃ気がすまないの!』
トランクバークら3頭は3コーナー手前の時点で4番手以下を5~6馬身以上離し、ある意味独走気味だった。
しかし3コーナーを曲がっている途中からその差はどんどん縮まっていき、4コーナーを曲がり切る頃には今にも馬群に飲み込まれそうな状態だった。
案の定、最後の直線で3頭はどんどん他馬に追い抜かされていき、残り50mを切ってからはまるで歩くような走り方でビリ争いをしていた。
結局トランクバークは14着とシンガリでゴールを駆け抜けた。
「……。」
「……。」
「……。」
最悪のレース内容に、求次達3人は言葉が見つからず、ただ呆然としていたいた。
レース後、久矢騎手も加えてまた反省会が行われた。
「今日は馬が1200m走ったら、レースは終わりと勘違いしているような感じでした。全然抑えが効かなかった。申し訳ありません。」
久矢騎手はレースで感じたことを色々と打ち明けた。
(せっかく実力があるのに、これじゃあなあ…。とにかくこのかかり癖を何とかしないと…。)
大きな弱点を露呈する結果になってしまい、求次も頭の痛い思いをしていた。
星調教師、村重厩務員はトランクバークを馬運車に入れて、運ばれていくのを見届けた後、夜の便で関東に戻っていった。
求次はしばらく札幌の町並みをぶらりと歩いた後、笑美子と可憐のためにお土産を買って、夜の便の飛行機で地元に帰っていった。
この時点でのトランクバークの成績
4戦1勝
本賞金:400万円
総賞金:1116万円
クラス:オープン(10月から500万下)
この章は、発表後に内容を読み返してみたところ、セリフが少なすぎることが気になったため、7月14日に、セリフを追加して再発表しました。




