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2012年8月 ビギナーズラック

 トランクバークのデビュー戦を見届けた求次は、星調教師と村重厩務員にあいさつを済ませた後、すぐに函館空港に向かい、地元に帰っていった。

 星調教師は求次と別れた後、今度はホーソンフォレストの馬主と会い、翌日に控えた500万下のレースについてあれこれと打ち合わせを始めた。

 ホーソンフォレストはそのレースで6着になり、1着賞金740万円の7%、51万8千円を獲得した。

 日曜日のレース終了後、星調教師は飛行機で関東のトレーニングセンターに戻っていったが、村重厩務員は函館にとどまり、その後もトランクバークとホーソンフォレストの調教を続けることになった。

 星調教師は次のレースを、1ヵ月半後の8月5日に行われる函館2歳ステークス(GⅢ、函館芝1200m、1着賞金3200万円)に定め、村重厩務員にそれを目標に仕上げていくように指示を出した。


 家に帰った求次は、早速笑美子と可憐にトランクバークの勝利を伝えた。

 彼女ら2人は「ふーん。」「良かったわね。」くらいしか言ってくれなかったが、所持金が1000万円を超え、ひとまず破産だけは当面回避することができたことで、内心ではほっとしている様子だった。

 求次はトランクバークのおかげで大金を手にしても一切調子には乗らず、その後も地道にアルバイトを続けた。

 彼はこの時期にはすでに職探しをやめており、ひとまずバイト生活に落ち着いていた。

 理由は、トランクバークが放牧のために牧場に戻ってきた時、仕事を中断する必要があることがあるからだった。

 若い人に混じってイベントの仕事をしていくことは抵抗感もあったが、そこはすでに割り切っていた。


 そして1ヵ月半後、函館2歳S当日になった。

 このレースには11頭が出走し、トランクバークは6枠7番に入った。

 求次はレース当日、飛行機で函館入りした。

 前回の新馬戦は発走が午前だったため、前日に函館入りせざるを得なかったが、この日の函館メインレースで、発走が3時20分ということで当日来ることにした。

(※ちなみに中部国際空港と函館空港を結ぶ飛行機は毎日1往復で、函館着は1時55分です。)

 関係者エリアでは求次、星調教師、村重厩務員の3人が集結し、会話に花を咲かせた。

 求次の表情には新馬戦のような切羽詰った雰囲気はなく、落ち着いていた。

 むしろ緊張しているのは星調教師と村重厩務員の方だった。

「2人共どうしたんですか?」

 求次はそんな彼らの様子を見逃さなかった。

「いやあ、今までは『重賞は遠い存在だな~。』なんて考えていたんですが、いきなり出走できることになったものだから、何だか落ち着かなくて。」

 星調教師が言った。

「僕もです。この1ヵ月半、重賞を勝つためにどうやって調教していこうか試行錯誤したんです。ある意味、新馬戦とは別のプレッシャーを感じていました。」

 村重厩務員も正直な気持ちを話した。

「重賞って、そんなに大変なものなのかな?」

「大変ですよ。強い馬しか挑戦できないレースなんですから!」

 星調教師は顔をしかめながら求次に言った。

「へえ…。何かトランクバークが新馬戦を勝って、あっさりとこのレースにコマを進めたもんだから、『あれ、重賞ってこんなものなのかな?』なんて思えてきたんだけど。」

「それはビギナーズラックってやつですよ。競馬の厳しさはこれからです。実を言うと、久矢騎手だって重賞初騎乗なんですよ。」

「それじゃうちらはみんな初めてばかりなんですね。」

「そうです。久矢君も緊張しながら『どうしよう、どうしよう。』って言っていましたし。」

「そうそう。で、僕が『大丈夫、大丈夫。』って言ってあげて。まあ『どうしよう』って言いたいのはこちらの方でしたけれどね(笑)。」

 星調教師が話しているところに、村重厩務員も加わった。

 3人が話に夢中になっていると、いよいよ本馬場入場の時間になった。

 トランクバークは緑地に7の数字と名前が書き込まれたゼッケンをつけて登場した。

 時々うるさい素振りを見せてはいたが、そこは久矢騎手がうまくなだめていた。

 投票締め切りの時点で、トランクバークは11頭立ての3番人気だった。


 やがて発走時刻の3時20分が近づき、北海道での中央競馬の重賞で流れるファンファーレが辺りにこだました。

(あっ、これ僕、好きだな。)

 そのファンファーレを一発で気に入った求次は、ついついそちらのほうに気が行ってしまった。

 一方、星調教師と村重厩務員はさっきからずっと緊張したまま、トランクバークと久矢騎手にじっと見入っていた。

 11頭の馬達は順番にゲートに入っていき、全頭が納まったところでゲートが開いた。

 トランクバークはうまくスタートを切ると、新馬戦と同じように先頭に立った。また逃げ切る作戦だ。

 だが、すぐにもう一頭の馬が内から先頭に立とうと競りかけてきた。ゼッケン3をつけたシルバーファイヤーだ。

 そのため、向こう正面の中間点を過ぎる頃には3と7のゼッケンをつけた2頭が並んで先頭を走っていた。

「かかったかな?トランク。」

「かかりましたね。」

 星調教師と村重厩務員は厳しい表情でつぶやいた。

(※かかる…馬が騎手の意図に反して勝手に前へ前へと行こうとすること。)

 2頭はその後も並んだまま全速力で走ったため、3コーナーに差し掛かった時には3番手に3馬身以上の差をつけていた。

 コーナーではトランクバークの方が外を回ったために距離が長くなり、トランクバークは少しずつ遅れを取り始めた。

 後方からはすでに何頭かの馬がペースを上げており、差は少しずつ縮まってきた。

 4コーナーを回って最後の直線に差し掛かった時、先頭は3番のシルバーファイヤーで、トランクバークは1馬身程遅れて2番手、その1馬身後ろにはすでに何頭もの馬が迫ってきていた。

(それっ!ラストスパートだ!)

 久矢騎手はムチでトランクバークをビシバシとたたいた。

 トランクバークは残り200mの時点ですでにバテていたシルバーファイヤーを交わし、先頭に立った。

「よし、行け!」

「押し切れ!」

「がんばれ!」

 求次達3人はまた手に汗握りながら叫んだ。重賞初挑戦で初制覇という快挙が一瞬3人の頭によぎった。

 しかし数秒後、トランクバークは残り150mを切った所で後ろから来た馬に交わされ、2番手に後退した。

 その後も懸命に走り続けたが、次々と後続馬に交わされていった。

 求次達3人は顔をしかめながら(頼むから早くゴールしてくれ!少しでも上の順位になってくれ!)と懸命に願った。

 トランクバークは最後に失速しながらも、どうにか5番手で入線した。

「5着か…。」

「まあいいとしましょう。」

「そうだな。賞金は獲得したし。」

「初めての重賞で5着なら上出来だ。」

 星調教師と村重厩務員はどこか無念そうな表情を見せながらも、さばさばとした表情で言った。

(うーーん、やっぱり新馬戦勝利はある意味ビギナーズラックだったかもしれないな。重賞になるとレベル高いな…。果たしてこれからどれくらい賞金を稼いでいけるのかな…。)

 重賞のレベルの高さを見せつけられた求次は、5着賞金320万円の80%、256万円と重賞の出走手当て39万円の、合わせて295万円を獲得した喜びも忘れて、そのように考えていた。

 レース後、久矢騎手は求次達の所に来て、

「道中、かかったのを押さえられずに、5着に終わってしまってすみませんでした。」

 と言ってきた。

 求次は何て言えばいいのか分からずにオロオロしていたが、星調教師は

「大丈夫。初めての重賞騎乗で掲示板に載っただけで十分だ。こちらこそ、指示が不十分ですまなかった。」

 と言い、騎手をなだめていた。


 求次はこの日は近くのビジネスホテルに泊まり、翌日飛行機で地元に帰っていった。


 この時点でのトランクバークの成績

 2戦1勝

 本賞金:400万円

 総賞金:1020万円

 クラス:オープン


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