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2011年9月 経営危機の牧場


 第2、第3場面は第1場面よりも時間をさかのぼっていますが、これは僕の意図的なものです。

 僕自身、第1場面は「プロジェクトX」のオープニング風にしたいと思っていまして、その後に中島みゆきの「地上の星」が流れ、そして第2場面が始まるという形をイメージしてこのようにしました。

 個人的には、第1場面を読んだ後に「地上の星」をかけて、それを聞きながら続きを読んで下さると雰囲気が出ると思います。

(やるかどうかはお任せします。)


 それは木野求次が後にトランクバークと命名される、エンドレスレインの10に出会う1ヶ月前のことだった。

 この頃の木野牧場は全く無名で、そこにはトロピカルスコールという名の繁殖牝馬と、この年の春に生まれたばかりのオスの当歳馬(0歳馬)が1頭ずついた。

 当歳馬にはまだ正式な名前はなく、求次によってトゥイッグリーブズ(TwigLeaves)という仮の名前がつけられていた。

 この牧場には従業員がおらず、牧場長であり、一家の大黒柱である求次が切り盛りしていた。

 彼は毎日早起きして馬のえさやりをし、馬房の掃除、馬の体を洗うなどの仕事をせっせとこなしていた。

 馬房はずっと改装されないまま使い続けていたため、すっかり古くなっていて所々ひび割れていた。

 馬の管理が一区切りすると、今度は事務所でパソコンで予算管理などの事務仕事や、馬のセリ市の予定をチェックするなどの仕事をしていた。

 このパソコンは家族もプライベートで使っていたが、機種がWinbows98ということもあってか接続スピードは遅く、動画もうまく映らなかった。

 しかし、予算的なこともあってそれを買い換えることができず、ずっと使い続けているのが現状だった。

 また、馬が逃げ出さないようにするために設けられている木製のラチ(柵)も、所々虫に食われていた。

 築30年以上になる自宅兼事務所には、求次の他に妻の笑美子えみこと中学3年生の娘の可憐かれんがいた。

 笑美子は主婦をしながら、車で15分くらいのところにあるスーパーマーケットで週4日レジ係として働き、月10万円程度の収入を得ていた。

 可憐は連日受験勉強に励んでいた。

 求次は収入を得られる目処が、これからセリに出そうとしているトゥイッグリーブズの落札金しかなかった。

 そのため、少しでも高値で馬が売れるように必死だった。

 しかし、笑美子と可憐は少しも求次を手伝おうとはしなかった。

 むしろ、生活が厳しいのにいつまでこんな仕事を続ける気なのかと考えているのが本音だった。

 実際、この時点で一家の資金はわずか600万円しか残されていなかったのだから、無理もないだろう。


 セリ市の日、求次は用意された馬運者にトロピカルスコールとトゥイッグリーブスを乗せ、運転手と一緒に会場に向かっていった。

 会場では大勢の売り手と買い手が集まっていた。

 求次はその中で、一体いくらでトゥイッグリーブスが売れるのか(もしくは買う人自体がいるのか)気になって仕方なかった。

 会場の盛り上がりも、今の彼にとっては関係なかった。

 セリは次々と行われていった。

 その様子を、求次は観客席でじっと見つめていた。

 会場では「600万!」、「700万!」、「800万!」と言った、買い手の大きな声が響き渡った。

「1000万!他に誰かいませんか!?」

「……。」

「いませんね?それでは1000万円で落札となります!」

 司会者の男の人は威勢のいい声で叫んだ。

 パチパチパチ…。

 会場には大きな拍手が沸き起こり、1000万円で落札した人は立ち上がってあいさつをした。

 その馬がステージを後にしていくと、いよいよ求次の馬の番になった。

「それでは次、トロピカルスコールの11!どうぞ!」

 司会者は大きな声で叫んだ。

 2人の男の人はそれぞれトロピカルスコールとトゥイッグリーブス(セリでの登録名はトロピカルスコールの11)を引き連れてステージに姿を現した。

「それでは400万円から始めます。始め!」

 司会者の声と共に、セリはスタートした。

(お願いだ。少しでも高い値で競り落としてくれ!生活がかかっているんだ!)

 求次は祈るような思いで観客を見つめた。

 しかし、その思いとは裏腹に声はなかなかかからなかった。

 もしこのまま声がかからなければ、馬は売れないまま自分の手に戻ってくることになる。

 そうなったら収入は入らず、えさ代ばかりがかさんでいくことになる。

 それだけは避けなければならない。求次は高鳴る緊張の中でじっと行方を見守った。

 するとその時、求次の近くで

「450万!」

 という声がした。面識のない人ではあるが、確かに手を挙げてアピールをしていた。

 安い金額ではあるが、これで買い手がついた。求次は一瞬ほっとした。

 しかし次の瞬間には(もっと高い値段をつけてくれ!)という思いに変わっていた。

「500万!」

 別の買い手が叫んだ。

「550万!」

 最初に手を挙げた人は負けじと言い返した。

(そうだ。その調子だ。そのままどんどん値段をつり上げてくれ!頼む!)

 求次は心の中で必死に祈り続けた。

 しかし、なかなか次の声はかからなかった。待ち切れなくなった求次は次の瞬間、思わぬ行動に出た。

「570万!」

 求次は自ら手を挙げてそう叫んだ。

 値段をつり上げさせるために、わざと自分から名乗り出たのだ。

 もし、自分で競り落としてしまえば自分で馬を引き取ることになる。

 そうなれば馬が売れなかったのと同じになってしまう。

 ただでさえ資金繰りが厳しいのに、ここで馬が売れなければ近い将来、資金は底を尽き、牧場が倒産してしまうことは目に見えていた。

 そんなことにはしたくない。

 求次は恐ろしいまでのプレッシャーと闘いながら、セリの行く末を見守った。

 その時、

「600万!」

 と言う大きな声がした。最初に手を挙げた人だった。

(良かった。手を挙げてくれた。これで収入が手に入る。)

 プレッシャーから開放された求次はほっとして大きな息をした。

 その後は誰からも声がかかることなく、セリは600万円で終了した。

 求次はひとまず収入が得られることでほっとしながらも、次の瞬間には新たな不安が込み上げてきた。

(…できることなら1000万円くらいの値段がついてほしかった。1000万円なら少しは牧場経営も良くなったのに…。)

 彼は馬が売れた喜びを忘れ、頭を抱えて生活の不安ばかりを考えていた。

(こうなったら腹をくくるしかない。できればこんなことはしたくなかったが、生活のためには背に腹は代えられない。無理は承知で落札した人に言ってみるか。)

 そう考えると、求次は抱えていた手を離し、ゆっくりと立ち上がって落札者のところに歩み寄り始めた。

 彼が思いついた、その内容とは…。


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