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2013年3月 悪天候と不良馬場

 トランクバークの再度のオープン入りは求次だけでなく、星厩舎にとってもうれしい知らせだった。

 星厩舎には現在、トランクバークのほかにホーソンフォレスト(牡5歳、23戦1勝、500万下クラス)と、ムラサキツユクサ(牝6歳、31戦3勝、1000万下クラス)の2頭しかいなかった。

 この2頭はそれぞれのクラスのレースで、掲示板に載るのが精一杯で、とてもオープン入りを考えることはできなかった。

 ましてGⅢ以上の重賞レースなど夢のような話だった。

 彼らは去年、トランクバークがデビュー戦を勝って、初めて重賞レースに出られたことは素直にうれしかった。

 しかし、初めてのことが多くて満足に結果を出すことができず、悔しい思いを抱えていた。

 だからこそ、オープンクラスに昇格して、借りを返すチャンスを得られたことを喜んでいた。

 トランクバークは我慢することも覚えたのか、折り合いにも少しずつ慣れてきたようだった。

 はじめは格好悪いと思われていた黒のブリンカーも、今ではすっかり馴染んでいた。


 厩舎の3人は、トランクバークの次走を桜花賞(GⅠ)のトライアルレースにすることを決めた。

 桜花賞のトライアルはチューリップ賞(GⅢ)、フィリーズレビュー(GⅡ)、アネモネステークス(オープン特別)の3レースがあった。

 チューリップ賞とフィリーズレビューは3着以内、アネモネSは2着以内に入れば桜花賞の優先出走権を得られ、除外の心配なく出走することができる。

 そのため、何としても桜花賞に出るんだと、彼らは気合いを入れていた。


 陣営はトライアルの中で最初に行われる、チューリップ賞(阪神芝1600m、1着賞金3900万円)に登録をした。

 このレースに登録した馬は、フルゲート16頭に対し20頭を超えた。

 何頭かは抽選の末に競争除外となってしまうが、本賞金が900万円以上の馬は合計しても14頭だった為、トランクバークは確実に出走にこぎつけることができた。

 星野君はチューリップ賞での作戦を色々立てながら、騎乗する騎手を決めるために、まず坂江騎手に連絡を取った。

 しかし彼には他にお手馬がいて、そちらの方に騎乗しようとしていたため、断られてしまった。

 そのため、今度は久矢 大道ひろみち騎手に連絡を取ることにした。

『本当ですか?今度のチューリップ賞、本当に僕に乗せてくれるんですか?』

 電話越しに星君からの頼みを受けた久矢騎手は、驚きながら返した。

「はい。この前はすまなかったが、ぜひ君にお願いしたい。いいですか?」

『ぜひお願いします!それでは明日、調教の時にそちらに行って、トランクバークの追い切りをします!いいですか?』

「もちろん、ぜひお願いしたい。」

『では、今からトランクバークのレースのビデオを見て、チェックしておきます!』

「よろしく頼む。」

 久矢騎手も重賞に乗るのは、シンガリ負けしてしまった札幌2歳S以来だけに、気合いが入った。

 翌日、彼は星君や、村重君、スクーグさんと色々情報交換をしながら、レースの追い切りを行った。


 3月2日、チューリップ賞当日、この日の阪神競馬場は朝から雨が降っていて、芝状態は不良だった。

 午後になると雨はさらに勢いを増し、ダートコースだけでなく、芝コースにも水たまりができてしまうなど、最悪のコンディションだった。

 まだ不良馬場を経験したことのないトランクバークにとっては、不安材料でもあったが、克服すれば逆に武器になると、陣営は意気込んでいた。

 求次は真っ先に阪神競馬場に到着し、関係者エリアで午前中のレースを観戦していた。

(※彼は笑美子と可憐にも声をかけていたが、断られたため、一人でやってきた。)

 するとそこに村重君がやってきた。

「こんにちは、木野さん。」

「こんにちは、善郎君。今日は一人で来たんですか?」

「いえ、星先生も来ています。ちょっと、トランクバークの様子を見に行きました。」

「スクーグさんは?」

「咲さんは厩舎で他の馬の面倒を見ていますので、テレビでレースを見るそうですよ。」

「せっかくの大舞台なのに、残念ですね。誰か他の人には頼まなかったんですか?」

「できればそうしたかったです。でも、その人に支払うお金と、交通費を節約したかったために、今回はこうしたんです。」

「そちらもまだ金銭的には厳しいんですか?」

「はい。まだまだ厳しいです。僕自身、他の厩舎の厩務員より低い賃金で頑張っていますし、咲さんはアルバイト同然の状態です。先生もずっと家族と出かけられずにいますし、何とかしてこの状況を打開したいと思っているんですよ。」

「そうですか。そのためにはトランクバークに賞金を稼いでもらわないといけませんね。」

「はい。」

 2人はそれぞれの現状について色々と話し合った。

 これまでトランクバークがレースで2291万円を稼いでくれたため、少しは明るい兆しが見えてきたものの、まだまだ足りない状態だった。


 トランクバークは1枠2番に入り、16頭立ての10番人気だった。

 思ったよりは人気薄だったが、大事なのは人気よりも着順だ。

 求次達は何としてもこのレースで3着以内に入り、桜花賞の優先出走権を獲得したいと思っていた。


 レース前、星君は久矢騎手と念入りに作戦について打ち合わせを行った。

「久矢君、スタートしたらまずどうするつもりかね?」

「とにかく先頭に立ちます。内枠なので先頭には立ちやすいですし、何より泥や水しぶきをかぶらなくて済みます。」

「しかし1600mのレースだけにいきなり先頭ではきついかもしれないが。」

「確かに距離は長いです。事実、1400mの春菜賞では先頭に立った後、スローペースに持ち込んで末足勝負に賭けていましたし。でも今日は不良馬場なので、後ろから行っては最後の直線で伸びない可能性が高いです。だから奇襲の意味もこめて逃げます。」

「そうか。」

「それに、レース中に泥や水をかけられては気分を損ねてレースに集中できなくなるかもしれません。だったら、最後にバテることを覚悟の上で逃げます。」

「分かった。君の意見を信じる。がんばってくれよ。」

「はい。悔いを残さないようにがんばります。」

 星君はしっかりと納得した上で久矢騎手を送り出した。


 雨はその後も降り止まず、馬場状態は不良のままチューリップ賞の発走時刻となった。

 16頭の馬は大雨に打たれながらゲートに入っていった。

 レースがスタートすると、久矢騎手はいきなりムチを入れた。

 トランクバークはそれに応えて猛然とダッシュし、一気に先頭に立った。

 各馬は泥と水しぶきを上げながら、走り続けた。

 トランクバークは3コーナー内回りとの分岐点を通過した後も逃げ続け、2番手のオミナエシとの差は2~3馬身くらいに開いた。

「かなり飛ばしているな…。」

「1600持ちますかね?」

「分からん。とにかく大道君を信じるのみだ。」

「はい。」

 星君と村重君は会話をしながらレースを見守った。

 一方の求次は発走してからずっと無言のままだった。

 トランクバークの後ろを走る馬達は、団子状態となっており、何とか集団の前に出ようとしていた。

 どうやら泥や水しぶきをかけられたくないのだろう。

 しかし、各馬に乗っている騎手がけん制しあったため、2番手はめまぐるしく変わり、結局みんなが浴びるはめになった。

 外回り3コーナーに差し掛かる頃には、トランクバークのリードは4馬身近くに広がっていた。

「最後まで持つのかな…。いくら不良馬場だからとは言え、飛ばしすぎだと思うが…。」

 星君は厳しい表情を浮かべていた。

「とにかく、うちの馬は10番人気ですから、正攻法では苦しいです。ここは彼に任せましょう。」

 さっきまで黙っていた求次はそう言って、星野君を何とかなだめた。

 久矢騎手とトランクバークはリードを保ったまま、3コーナーを勢いよく回っていった。

 すでに他の馬と騎手は泥だらけになっている中で、ずっと先頭を走り続けているトランクバークと久矢騎手はきれいな姿を保ち続けていた。

 トランクバークのリードは4コーナーに入っても変わらなかった。

 しかし473mの直線に入ってからリードが少しずつ縮まってきた。どうやらトランクバークのペースが落ち始めたのか、それとも後続馬が一斉にスパートをかけたのだろう。

 坂を下りきる手前(残り200m)では、差は1馬身程に縮まっていた。

 久矢騎手は段々大きくなる後続馬の足音を聞きながら、懸命にムチを振るったが、伸びは鈍かった。

 それまで後ろを走っていた馬達は次々とトランクバークに迫ってきた。

(まずいな…。)

 求次はトランクバークが直線でズルズルと後退していくことを覚悟した。

 しかし、意外なことに後続馬もそこからなかなか伸びてこなかった。

 その中で、ゼッケン15番をつけた1番人気のオミナエシがどうにかトランクバークを抜いて先頭に立った。

 他の馬達も懸命にスパートをかけていたが、なかなか伸びないまま残りの距離だけが減っていった。

 残り100m。トランクバークはすでにスタミナを使い切ってしまい、バテバテの状態だったが、それでも持ち前の勝負根性で走り続けた。

 それでもゴール寸前で併走していたカーテンコールに抜かれ、3番手に後退した。

 それに続くように、今度は外からゼッケン8番をつけたゴールデンコンパスと、カナリヤが襲い掛かってきた。

 先頭のオミナエシは見事に1番人気に応え、1着でゴールを駆け抜けた。

 2番手にはカーテンコールが入り、まずこの2頭が桜花賞の優先出走権を獲得した。

 トランクバークはスタミナと勝負根性を使い果たしながらも、ゴールデンコンパス、カナリヤ並んでゴールを駆け抜けた。

 1、2着はすぐにはっきりと分かったが、3着は写真判定に持ち込まれた。

 しばらくしてターフビジョンには各馬のゴールシーンがスローモーションで流された。

 3番手争いをしながら並んでゴールした3頭のうち、カナリヤは差がはっきりと見えて5着となり、脱落となった。

 しかし、トランクバークとゴールデンコンパスの差はスローでも分からないくらいだった。

 直前まではゴールデンコンパスの方が前に出ていた。

 だがトランクバークの首が前に伸び、ゴールデンコンパスの首が上に上がりきった時に、決勝線にかかったため、肉眼では区別できなくなった。

「どっちだ…。」

「頼む…。」

 求次達は手を合わせながら祈った。

 3着なら桜花賞の優先出走権獲得、4着なら別のトライアルで出直し(もしくは事実上、桜花賞の望みを絶たれる)。

 この着順が大きな分岐点となるだけに、求次達、そしてゴールデンコンパスの関係者の周りには重苦しい雰囲気が流れた。

 それから3分が経過しても、着順掲示板の3着、4着には「写」の文字が点灯していた。

(一体どっちなんだ…。頼む、3着のところに2番が点灯してくれ…!)

 求次は気が遠くなるくらい緊張した。星君も村重君も同じだった。


 恐ろしいまでに長い時間が経過した後、掲示板の「写」の字が消えた。

 そして出た数字は…。


「やったああああっ!」

「3着だ!!」

「桜花賞だ!!」

 飛び上がって喜んでいたのは求次達の陣営だった。

 掲示板には3着のところに「2」が点滅し、4着のところに「8」が点滅していた。

 そして着差のところには「ハナ」と表示された。

 結果的にはわずか4cmの差だった。それも、ゴールの瞬間だけトランクバークが前で、わずかでもタイミングがずれていれば4着だった。

 レースはそのまま確定し、トランクバークは見事3着に滑り込んだ。

「信じられない。こんな格安で購入した馬が桜花賞に行けるなんて…。」

 求次は目に涙を浮かべながら喜んだ。

「こっちだって同じですよ!」

「本当に夢じゃないかと思いました!」

 その気持ちは星君と村重君も同じだった。

 星君は喜びを分かち合った後、厩舎に電話をかけた。

『もしもし…。』

 電話に出たスクーグさんはすでに泣いていた。

「咲か?」

『はいっ…!』

「俺だ。星だ!レース見たか!?」

『はい、見ました!心臓が…止まりそうになりましたが…、3着良かったですね!』

「ああ、本当に良かった。これでGⅠレースに出られるぞ!!」

『はいっ…!夢を見ているようです…。』

 星君は興奮した口調のまま電話をしていた。

 それを見て、求次も携帯電話で家族の元に電話をかけた。

 電話には笑美子が出た。

(※可憐は高校での部活をしていたため、連絡できず。)

 彼女はテレビこそ見ていなかったが、求次の大喜びする声には共感したのだろう。

『おめでとうございます。良かったですね。』

 と、祝福のメッセージを送ってくれた。


 トランクバークの3着は、検量を終えてビシャビシャになった服を着替えている久矢騎手にとってもうれしいことだった。

(不良馬場だから一か八か前半で飛ばしたけれど、思ったよりも飛ばしすぎた。だから最後はどうなるかと思ったけれど、良かった。)

 彼も写真判定の時には、あの恐ろしいまでの重圧と闘っていた一人だけに、3着入線はうれしかった。


 さあ、これで次の目標は決まった。

 これからの1ヶ月は桜花賞に向かってがんばっていこう。

 求次、星君、村重君、久矢騎手の4人はレース終了後にそう誓いを立てて、解散していった。



 この時点でのトランクバークの成績

 7戦2勝

 本賞金:900万円

 総賞金:3271万円

 クラス:オープン


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