表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/16

9話 往復ビンタの『連れ戻し』騒動

辺境の楽園での生活は、驚くほど快適だった。

朝は小鳥のさえずりで目覚め、レオが焼いた焼きたてのパンを食べ、午前中は兄カイルと鉱山経営の打ち合わせ。午後はレオと庭を散歩したり、彼に剣術(の真似事)を教わったり。


……ただ一つ、レオの距離感が近すぎることを除けば、完璧なスローライフだ。


「お嬢様、このハーブティーはリラックス効果があります。……さあ、一口」


「レオ、だから近いってば。……自分で飲めるわよ」


ソファに座る私の隣、隙間なく身体を密着させてくるレオ。

彼の腕は常に私の腰に回されていて、私が動こうとすると、まるで拘束するように力がこもる。


(……自由って、こういう意味だったかしら?)


私が微かな疑問を抱いていた、その時だ。


「――リゼット! 貴様、こんなところにいやがったか!」


屋敷の静寂を破る、聞き覚えのある、品のない怒鳴り声。

扉が乱暴に開け放たれ、そこに立っていたのは……ボロボロの騎士服を身にまとったアストル王子だった。


「……あら。アストル殿下。……失礼、元・殿下でしたかしら?」


私はティーカップを置き、さも「見苦しいものを見た」と言わんばかりの表情で、ゆっくりと立ち上がる。

アストルの後ろには、数名のやつれた兵士と、泥だらけのドレスで泣きじゃくるマリアの姿があった。


「黙れ! 貴様、よくも私を騙したな! 王家の資産を持ち出し、カイルまで引き抜いて、国を滅ぼすつもりか!」


「滅ぼしたのは、殿下の無能さでしょう? 私はただ、正当な権利を行使して、この土地に移り住んだに過ぎませんわ」


「うるさい! 貴様は私の婚約者だ! 命令だ、今すぐ王都に戻れ! そして、この書類の山をすべて片付けろ!」


アストルが差し出したのは、ぐしゃぐしゃになった外交文書や会計報告書の束。

……どうやら、彼なりに頑張って処理しようとした形跡(インクのシミや破れ)があるが、全く進んでいないようだ。


「……お断りしますわ。私はもう、殿下の奴隷ではありませんもの」


「なんだと……!? 貴様、王族への不敬罪で死刑にしてやる!」


アストルが剣を抜き、私に掴みかかろうとした、その瞬間。


「――お嬢様に、その汚い手で触れるな」


影の中からスッと現れたレオが、アストルの手首を掴んだ。

レオの瞳は、これまでにないほど深く、暗い紅い輝きを帯びている。


「ぐわっ……! 貴様、平民の分際で……!」


「平民? いえ。私は、この土地の領主であるリゼット様の、専属護衛騎士チーフ・ガーディアンです。……許可なく領主に剣を向けた罪、万死に値しますよ」


レオが少し力を込めると、アストルの手首からゴキリ、と嫌な音がした。

剣が地面に落ちる。


「ヒッ……! た、助けてマリア!」


アストルが泣きついた先のマリアは、レオの殺気に完全に怯え、その場にへたり込んでいた。

「……リゼット様……。私、私、こんなはずじゃ……。王子様が、こんなに無能だなんて知らなくて……。私を、私を助けて……!」


(……知らなくて、って。貴女が王子の『無能さ』を『純真さ』だと勘違いして、甘やかした結果でしょう?)


私は呆れ果てて、アストルの前まで歩み寄った。

そして、彼の手首を掴んでいるレオの手を、優しく制する。


「レオ。私の騎士の手を、こんな男の血で汚すのは勿体ないわ」


「……お嬢様?」


私はアストルの顔を見つめた。

かつては「王太子」として敬っていた、その顔。

今は、ただの、プライドだけが高い、哀れな男の顔だ。


「アストル殿下。……いえ、アストル様。貴方に、一つだけ『教育』をして差し上げますわ」


私は右手を高く振り上げた。


――パァァァァァァァァァン!!


静寂な屋敷に、小気味よい音が響き渡った。

アストルの顔が、勢いよく横を向く。


「な……貴様、私を……打ったのか……!?」


「ええ、打ちましたわ。……貴方は、自分がどれほどのものを失ったのか、全く理解していらっしゃらないようですから」


私は間髪入れずに、左手を振り上げた。


――パァァァァァァァァァン!!


往復ビンタ。

アストルの両頬には、見事な紅い手形が刻まれた。


「……これは、貴方を王太子として育てるために、私が費やした数年間の時間と労力。……そして、貴方の無能さのせいで、路頭に迷うことになった国民たちの、怒りの鉄拳ですわ」


私はアストルを見下ろし、冷徹な声で告げた。


「……二度と、私の前に現れないで。……次現れたら、私の騎士が、貴方の首を撥ねるのを止めませんわよ」


アストルは呆然と私の顔を見つめ、やがて恐怖に顔を歪めて、腰を抜かした。

「ヒィィッ……! こ、怖ろしい女だ……! 逃げろ! みんな、逃げろ!」


アストルはマリアを置き去りにして、這うようにして屋敷を逃げ出していった。

兵士たちも、レオの殺気に耐えきれず、アストルを追って逃げていく。


残されたのは、へたり込んだままのマリアと、私たちだけ。


「……リゼット様……。私、私……」


マリアが、涙ながらに私を見上げる。

私は彼女を見下ろし、フッと、慈悲深い(自称)微笑みを浮かべた。


(さて、この『ヒロイン』、どう扱ってあげようかしら?)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ