5話 兄様、妹をどうか見捨ててください
「……というわけで、兄様。私は『無能な王子に愛想を尽かされた哀れな悪役令嬢』として、華麗に追放される予定ですの」
私は紅茶を啜りながら、事も無げに告げた。
向かいに座る兄カイルは、銀縁の眼鏡を指で押し上げ、冷徹な瞳で私を凝視している。
「フン……。王家の予算を横流しし、宝石を模造品にすり替え、さらには次期王妃の座を自らゴミ箱へ投げ捨てるとはな。グラナード公爵家の血を引く者として、呆れるほどに強欲で、かつ合理的だ」
兄様はそう吐き捨てたが、その口角は微かに上がっていた。
彼は、私が王太子の尻拭いで過労死寸前だったことを知っている。そして、彼自身もまた、無能な王族のために国の財政をやりくりすることに限界を感じていたのだ。
「いいだろう。貴様の『資産移動』の証拠は、私がすべて闇に葬ってやる。その代わり、追放された後は二度とこの国に関わるな。……死んだものと思え」
「ええ、もちろんですわ。死んだつもりで、第二の人生を謳歌しますもの」
「……それと、一つ忠告だ。リゼット」
兄様の視線が、私の背後に控えるレオへと移った。
レオは相変わらず影のように無機質な表情で立っているが、その手は常に剣の柄に近い。
「その飼い犬の首輪、締め方を間違えるなよ。……私には、そいつが貴様を連れて『逃げる』のではなく、貴様を『攫う』機会を伺っているようにしか見えん」
「……!」
私は思わず振り返った。レオは恭しく頭を垂れる。
「カイル様。私はお嬢様の忠実な騎士に過ぎません。お嬢様が望まぬことは、決して」
「……ならいいがな」
兄様は興味を失ったように視線を外し、部屋を出ていった。
静まり返った室内。私はレオの顔を見上げた。
「レオ? 大丈夫、兄様はああ見えて私の味方をしてくれるって……」
「お嬢様」
遮るように、レオが私の前に膝をついた。
いつになく強引に私の両手を掴み、その指先を熱に浮かされたように自分の頬に寄せる。
「レオ……? 手が、震えているわよ?」
「……怖ろしいのです。あなたが、自由を手に入れた瞬間に、私の手の届かない場所へ消えてしまうのではないかと。……あなたが私を『追放の道具』としてしか見ていないのではないかと」
レオの瞳には、絶望に近い渇望が渦巻いていた。
普段の冷静な彼からは想像もつかない、剥き出しの執着。
「そんなわけないじゃない。……貴方がいなきゃ、私はどこへも行かないわ。……だって、貴方だけが、私をリゼットとして見てくれるのでしょう?」
私は彼の頬を包み込み、優しく微笑みかけた。
レオは一瞬、弾かれたように目を見開いたが、やがて私の手のひらに縋り付くように顔を埋めた。
「……ああ。誓います。たとえ神があなたを裁こうとも、私がその喉を掻き切り、あなたを楽園へお連れしましょう。……断罪の日が、待ち遠しいですね」
その声は、甘い毒のように私の耳に溶け込んだ。
……少しだけ、兄様の忠告が頭をよぎる。
でも、もう後戻りはできない。
それから一週間。
私は「王子の婚約者」としての最後の大仕事を終えた。
王家の隠し資産の半分を(合法的な手続きを装って)私のダミー口座へ移し、マリアには「王子をその気にさせる最高にエッチ……もとい、扇情的なドレス」をプレゼントした。
準備は、すべて整った。
「お嬢様。お迎えの時間です」
レオが差し出した手を取る。
私は、鏡に映る自分の姿を見た。
宝石一つ付けていない、だが最高級のシルクで仕立てられた、夜の闇のような黒いドレス。
「さあ、行きましょうか。最高の『バッドエンド』を迎えに」
私は不敵に微笑み、断罪の舞台――王立学院の卒業パーティー会場へと足を踏み入れた。
背後でレオが、獲物を狙う獣のような目で、会場に集まる貴族たちを睥睨していたことには、まだ気づかないフリをして。




