13話 聖騎士の残党と、秘密の協力者
ゼノス聖騎士団長率いる精鋭部隊が、たった一人の護衛騎士によって全滅に近い惨敗を喫したというニュースは、数日のうちに国境を越え、大陸全土を揺るがす衝撃となって駆け巡った。
エリュシオン聖王国の王宮では、枢機卿エドワードが「リゼット様からの贈り物」である巨大な魔石を愛でながら、真っ青な顔で立ち尽くす国王に対し、平然とこう告げたという。
『陛下、あの御方を敵に回すのは、国家予算をドブに捨てるのと同じです。……いえ、ドブに捨てた方がまだ、インフレは起きませんよ』
一方、当のリゼット・エル・グラナードは、ルナ・グラナード領の執務室で、優雅に羽根ペンを走らせていた。
「……あら。エドワード枢機卿、仕事が早いわね。……聖騎士団の遠征を『独断による暴走』として処理し、ゼノスを公職追放。……さらには、不当な侵入に対する賠償として、国境付近の肥沃な農地三箇所を私に譲渡する、と」
私は届いたばかりの親書を閉じ、ふっと溜息をついた。
隣には、淹れたてのコーヒーを持って影のように控えるレオ。
「……お嬢様。その農地、私が接収しに参りましょうか? ……まだ息の根が止まっていない聖騎士がいるかもしれません」
「いいえ、レオ。血生臭いことはもう十分よ。……それより、この農地を『元・グラナード王国の難民』たちの受け入れ先にしましょう。……あちらの国は、もう保たないでしょうから」
私がそう呟いた瞬間、部屋の扉がノックもなしに開かれた。
現れたのは、銀髪を冷徹に整え、完璧な事務服を纏った私の実兄、カイル・エル・グラナードだ。
「……リゼット。……相変わらず、甘いな。……難民を受け入れるなど、コストの無駄だと思わんのか?」
「あら、兄様。……いらっしゃいませ。……コストではありませんわ。……『将来の納税者』への投資です」
カイル兄様は私の向かいの席に座り、レオが差し出したコーヒーを一口啜ると、不敵な笑みを浮かべた。
彼はリゼットが辺境へ移った後、すぐにグラナード王国の財務卿を辞任し、現在はリゼットの領地の「最高顧問」兼「情報統括役」を務めている。
「……投資、か。……なら、私の方の『投資』の結果も報告しておこう。……例のプロジェクト――『王国の空洞化』は、九割方完了した」
カイル兄様が机に広げたのは、グラナード王国の詳細な経済地図と、そこに記された無数の赤い×印。
「……アストル王子の度重なる失政。……そして、貴女という『実務の心臓』を失ったことで、王宮の機能は完全に麻痺している。……私はこの三ヶ月で、王国内の主要な商会、職人ギルド、さらには近衛騎士団の半数以上に、こちらへの『移住予約』を取り付けた」
「……移住予約、ですか?」
「そうだ。……彼らには、リゼットが治めるこの領地が、いかに豊かで、いかに『法と秩序』が守られているかを、徹底的にプロモーションしておいた。……国民の意識は、すでにアストルではなく、貴女に向いている」
(……流石はお兄様。……やることに容赦がないわ)
つまり、兄様はグラナード王国という「殻」だけを残し、中身である「人材」と「富」をすべてこちらへ吸い上げようとしているのだ。
それは、戦争をして国を奪うよりも遥かに残酷で、かつ完璧な国家解体術だった。
「……リゼット。……貴女は、自分がただの『追放令嬢』だと思っているようだが、世界はそうは見ていない。……貴女は今や、大陸で最も強力な『経済圏の主』だ。……そして、近いうちに、貴女を『女王』として推戴する声が、王国内部から上がるだろう」
「……女王? ……冗談ではありませんわ。……私はレオと、のんびりスローライフを送るつもりなんですのよ?」
「……お嬢様を女王に。……ふむ。……悪くない響きですね」
レオが、私の肩を抱き寄せながら、独占欲の滲む声で囁いた。
「……お嬢様が女王になれば、私がその唯一の『配偶者』として、貴女を害する不届き者を、公的に根絶やしにできる。……王冠という名の、さらに強固な檻……。素晴らしいですね」
(……レオ。……貴方も兄様と同じようなこと言わないで!)
私は頭を抱えた。
平穏を求めて王宮を飛び出したはずが、私の周りには、私をさらに高い場所へ押し上げようとする「有能すぎる男たち」ばかりが集まってくる。
「……まあ、いいわ。……兄様。……難民の受け入れ態勢を整えて。……それから、アストル王子の動向はどうなっているかしら?」
「……フン。……あのアホか。……マリアという令嬢を聖女に祭り上げ、教団から資金を引き出そうとして失敗したようだ。……今は、わずかに残った近衛兵を連れて、エリュシオン聖王国の『聖教過激派』と接触しているという噂がある」
カイル兄様の目が、冷たく光った。
「……窮鼠、猫を噛むという言葉がある。……あのアホが、最後に何を仕掛けてくるか……。レオ、護衛を怠るなよ」
「……言われるまでもありません。……お嬢様の影すら、誰にも踏ませない」
レオの影が、ゆらりと執務室の壁に伸びた。
その影は、もはや人間の形を留めておらず、巨大な翼を広げた異形の化け物のようにも見えた。
辺境の楽園は、今や大陸のパワーバランスの中心となっていた。
そして、私を「悪役」として切り捨てたはずの王国が、自らの重みで崩壊し始める日は、すぐそこまで迫っていた。




