1話 死ぬ前に、幸せを掴み取ると決めました
「リゼット・エル・グラナード公爵令嬢。貴様との婚約を、本日この時をもって破棄する!」
豪華絢爛な夜会会場に、王太子アストルの怒号が響き渡る。
シャンデリアの光を反射して輝く床。着飾った貴族たちの冷ややかな視線。そして、私の目の前で勝ち誇ったように微笑む、愛らしい男爵令嬢マリア。
……ああ、これだ。これですよ。
私は膝をつき、震える手で顔を覆った。肩を小刻みに震わせ、絶望に打ちひしがれる令嬢を演じる。
(よし……完璧。タイミングも、王子のセリフも、周囲のドン引き具合も全部計算通り!)
指の隙間から、私は密かに口角を吊り上げた。
この瞬間、私は「国家の重荷」から解放され、最愛の彼との「自由」を手に入れるための第一歩を踏み出したのだ。
話は、三ヶ月前に遡る。
その日、私は連日の公務による徹夜明けで、自室の机に突っ伏していた。
グラナード公爵家は建国以来の重臣。そして私は、次期国王となるアストル王子の婚約者だ。
王太子の仕事の八割を私が肩代わりし、外交から内政、果ては王子の遊びの隠蔽工作まで完璧にこなしていた。
「……あ、もう無理」
意識が遠のく瞬間、脳裏に鮮やかな映像が流れ込んできた。
それは、いわゆる「前世」の記憶。
そこでの私は、現代日本という国で「社畜」として働き、過労で命を落とした事務員だった。
そして信じられないことに、今私がいるこの世界は、前世で暇つぶしに読んでいたネット小説「聖女と偽りの薔薇」の世界そのものだったのだ。
「……待って。このままだと私、また死ぬじゃない」
小説の中の「リゼット」は、悪役令嬢として断罪された後、国外追放される。
しかし、その後の彼女を待っているのは、身一つで放り出された極寒の地での病死だった。
一方で、そのまま断罪を回避して王妃になったとしても、待っているのは無能な国王の尻拭いに追われる、終わりのない残業の日々。
どちらを選んでも、待っているのは「死」だ。
「冗談じゃないわ。二度も働きすぎて死ぬなんて御免だわ」
私はペンを置き、立ち上がった。
鏡に映る自分を見る。プラチナブロンドの髪に、鋭くも美しい紫の瞳。完璧な教育を施された、氷の人形のような公爵令嬢。
私は、このスペックをすべて「自分の幸せ」のために使うことに決めた。
目標はただ一つ。
「円満かつ、莫大な慰謝料(または資産)を持っての追放」
そして、その計画には欠かせない人物がもう一人。
「お嬢様、お呼びでしょうか」
コンコン、と控えめなノックの後に現れたのは、私の専属護衛騎士、レオだった。
艶やかな黒髪に、射抜くような鋭い黒い瞳。鍛え上げられた長身を騎士服に包んだ彼は、この小説における「最強のサブキャラ」であり、私の唯一の推しだった。
物語では、リゼットが追放された後も、彼は唯一彼女に付き従い、最後は彼女を守って命を落とす。
「レオ。貴方に、一つ聞きたいことがあるの」
「何なりと、お嬢様」
レオは私の前に膝をつき、恭しく頭を垂れる。その動作の一つ一つが絵画のように美しい。
「もし、私がすべてを失って、この国から追い出されることになったら……貴方はどうするかしら?」
一瞬、レオの肩がピクリと跳ねた。
彼は顔を上げないまま、静かに、しかし地響きのような低い声で答えた。
「……その問いに、意味はございません。私は、あなたの影。光が消えようと、奈落へ落ちようと、私が離れることはありません」
(……重い。最高に重いわ、レオ!)
私は必死で表情を抑えた。
小説の設定通り、彼は異常なまでにリゼットに執着している。だが、今のリゼットは彼を道具のように扱い、その愛に気づくことはなかった。
だが、今の私は違う。
レオ、貴方は私と一緒に幸せになってもらうわよ。
二人で辺境ののどかな村に行って、私が稼いだ隠し資産で、毎日昼寝をして、美味しいものを食べて、誰にも邪魔されずにイチャイチャするの。
そのための「追放戦略」だ。
「そう。心強いわね。なら、これから私のやることに、黙って付いてきてくれる?」
「……御心のままに。例え、それが地獄への道であっても」
レオの目が、妖しく光ったような気がした。
地獄じゃないわよ。天国への片道切符よ。
こうして、私の「私による私のための追放戦略」が幕を開けた。
まずは、あのバカ……失礼、アストル王子に「運命のヒロイン」をぶつけて、私への愛想を完璧に尽かせるところから始めましょう。
私は不敵に微笑み、山積みの書類を一つ残らずゴミ箱へ放り投げた。




