#椿001:違う、違う、私は──……聖女です……
──私の名前はツバキ。目を開けた瞬間、私の世界は崩れていた。
石造りの天井。見知らぬ広間。古い絵画と紅い絨毯。
昨日まで自分の部屋で寝ていたはずなのに、目覚めた場所はまるで異世界の劇場だった。
ここはキューシューの国。
火山と火竜を信仰するこの地には、古くから
“紅蓮の神竜が吠える時、聖女が降臨する”
という伝承があるらしい。
──もっとも、その神竜は数日後、パンジャ大陸で鬼の女に殴られて温泉堀りのバイトにされる。
キューシューの民はまだ知らない。
◇◇◇
「ここは……どこ……?」
昨日まで自分の部屋でカイ様のアニメ見てたのに。
(えっと……昨日は確か……)
(カイ様の新作見て……カッコよかったな……)
(それで寝て……起きたら……ここ……?)
「……夢?」
でも、石造りの天井も紅い絨毯も妙にリアル。
大勢の人に囲まれてるのもリアル。
怖いくらいリアル。
「す、すみません……ここはどこですか?」
震える声で尋ねるが、誰も答えない。
代わりに、ざわめきが広場に広がる。
「聖女様だ!」
「聖女様が召喚された!」
理解できない言葉が飛び交う。
頭が混乱し、吐き気が込み上げてくる。
「え?聖女……?違います……」
私の言葉に、周囲の表情が変わる。
困惑、そして怒りの色が見える。
「聖女様、お戯れはよしてください」
「貴方様は我々をお救いくださるのです」
圧倒される声の数々。
後ずさりしようとするが、人垣に阻まれる。
「違う……私はただの人間よ!」
必死の叫びは届かない。
周囲の目が冷たく、鋭くなっていく。
「偽の聖女か?」「詐欺師を処刑せよ!」
『処刑』── その言葉で全身の血が凍りつく。
息ができないほどの恐怖が、喉元を締め上げる。
逃げ道はなかった。もう後戻りもできない。
一瞬で様々な可能性が頭をよぎる。処刑。拷問。奴隷。
私に残された道は、たった一つだった──
葛藤する心。しかし、生きるためには……
……震える唇を必死に動かす。
「も、申し訳ありません……
突然のことで……私は……私は……」
言葉につまる。喉が渇き、声が出ない。
周囲の期待に押し潰されそうになりながら、最後の決断を絞り出す。
「……聖女です……」
その瞬間、歓声が沸き起こる。
私の心は叫んでいた。
(嘘だ!違う!違うの!私はただの人間なんだ!)
しかし、その声は誰にも届かない。
◇◇◇
部屋のドアが開く音。
激しい動悸。逃げ出したい衝動。動けない現実。
「聖女様、王がお呼びです」
従者らしき女性の言葉に、私の恐怖は頂点に達した。
王座の間。
威厳に満ちた王の前で、震える膝をなんとか折り曲げた。
「聖女よ、我が国はモンスターの脅威にさらされている。恐らくは魔王が動き出したのだ。汝の力で魔王を倒し、我が国を救うのだ」
頭が真っ白になる。
耳鳴りがする。
視界が狭まる。
吐き気がする。
今にも気を失いそうだ。
「私には……そんなことできま……」
震える声で本当のことを言おうとした瞬間、側近たちの冷たい視線が突き刺さる。
「聖女様?今なんと?」
「きっと聖女様のご冗談かと?」
「すべては聖女様にかかっております。」
その言葉の裏に、脅しが見え隠れする。
断れば、私はどうなるのだろう?処刑?拷問?奴隷?
死にたくない。
苦しみたくない。
帰りたい。帰りたい。帰りたい。
「お、おうけいたしました……」
今なんて言った?
自分の声だった?
今のは私の声ではない!
きっと他人の声なんだ!
やっぱり誰にも私の声は届かない。
私にできることなど……何一つない。
これは……ただの時間稼ぎ。
生きるための最後のあがき。
「聖女様、魔王討伐の旅に必要な準備はすべて整えさせましょう」
私には彼らの言葉がわからない。わかりたくない。
頭の中は真っ白で、ただ一つの思いだけが渦巻く。
どうすれば生きられる?
この絶望的な状況から、どうすれば逃げられる?
でも答えは見つからない。
ただただ時間だけが過ぎていく。
そして私は、偽りの聖女として絶望的な旅路へと押し出されていった。
毎日が恐怖との戦い。
聖女ではないとバレる恐怖、無力さへの絶望、そして死への恐怖。
死にたくない。生きたい。生きなければ。
どんなに苦しくても、どんなに怖くても、生き抜かなければ。
それが、それだけが、今の私にできる唯一のこと。
心の中で、ただ祈る。
誰か……助けて。
誰か……この悪夢から私を救い出して。
しかし、誰も私を救ってはくれない。
私は神に使える聖女らしい。
──でもその聖女に神は居ない。
「私の名前はツバキ……私はここに居る。
誰か私を見つけて……誰か私を助けて……」
「誰か……サクラ……カエデ……」
二人の顔が浮かぶ。
子供の頃から、いつも三人で一緒だった。
サクラは無茶苦茶で、カエデは天然で、私は臆病だった。
サクラが前に出て、カエデが笑って、私が後ろにいた。
「……でも、サクラはもういない」
涙がこぼれた。
あの日、サクラは死んだ。
私は何もできなかった。
「だから……せめてカエデだけは……」
拳を握る。
「カエデに、もう一度会いたい」
それが、私が生き延びる理由。
嘘をつく理由。
この状況、サクラなら……きっと……
『やってやるぜ!ぬん!!』
って叫んで突破する。
カエデなら……きっと……
『わーい!聖女だー!』
って天然で受け入れる。
でも私は……怖くて……嘘ついて……
「……弱くても、震えてても……
それでも私は、生きて前に進まなきゃ……
サクラには……もう、何も届かないんだもん……
せめて……カエデだけは、失いたくない……」
だから……頑張る。
怖くても……頑張る……。
──そしてこの5分後に左目からレーザー(ホーリービーム♡)が出た。
…
……
………
テーブルには、小さな焦げ跡と、
うっすらと蒸気だけが残されていた。
マグカップは……無かった。
私は焦げた跡を、黙って見つめていた。
──脳裏にアニメのカイ様の名台詞が響く。
『神よ…その手が差し伸べるのなら、俺の影まで抱きしめてみせろ。──Contradiction.』
「ん……?」
(つづく)
──遥か、世界の深層。
「……三つ目の鍵。……これで、揃ったか……」
声なき声が、冷たく微笑む。
世界は、知らぬ間に歯車を刻み始めていた。
◇◇◇
──【今週のカイ様語録】──
『神よ…その手が差し伸べるのなら、俺の影まで抱きしめてみせろ。――Contradiction.』
解説:
光だけを求める者に、影の痛みは理解できない。
だがカイ様は“影ごと抱く”と宣言した。
ツバキにとっては神より信じられる言葉。
*カイ様はツバキが影響を受けた厨二アニメキャラ




