#楓001:異世界に舞い降りたスリッパ勇者
──ある朝。
ギィィ……
ドアノブを回す音。
いつもの朝、いつもの動作。
私──カエデは、あわただしく玄関のドアを開けた。
「やばっ、遅刻する! テレビ消して……上着羽織って……」
その瞬間。
シュパッ!!!!!
足元が光った。
「え!?」
魔法陣。
青白い光が床から這い上がり、私の体を包み込む。
視界が回る。
体が浮く。
そして──
「ちょ、待って!? なにこれ!?」
ゴチン☆
突然知らない床に頭をぶつけた。
「いったぁああああ!?」
◇◇◇
──魔王の住むタマイサの常闇のダンジョンより、はるか遠く西の地。
たこ焼きと笑いが支配する、陽気な国──オサカ。
「勇者様や!!」
「出たで! 伝説の勇者様や!!」
耳に飛び込んできたのは、聞き慣れない言葉と、ソースの匂い。
「召喚陣、反応してるわ!」
「せやけど……あの子、よう見てみぃ!」
「なんやあの装備……!? 右手になんか『黒い棒』持っとるで!?」
「左手には『三角形の刃』や!」
「足元は……布製……!?」
「音を殺す“暗殺用の戦靴”や!!」
「間違いない、フル装備や!!」
「……いや、スリッパやで?」
「黙れ!! 伝承を汚すな!!」
私は魔法陣の中心で、呆然と立ち尽くしていた。
「え? えええ?……これって!?」
周りを見渡す。
ローブを着た魔法使いたち(みんな白と黒のシマシマ柄)。
石造りの部屋。
床に描かれた発光する魔法陣。
自分の格好を見る。
足元には、愛用のピンクのスリッパ(うさぎの刺繍入り)。
右手には、テレビのリモコン。
左手には、なぜかクリーニング屋の黒いハンガー。
「……え? なんで?」
記憶を巻き戻す。
そうだ、テレビを消そうとしてリモコンを握りしめ、
上着を取ろうとしてハンガーごと引っこ抜いて、
そのままドアを開けたんだ。
「……あ、またリモコンとハンガーとスリッパで出社しかけたのか……」
私は頭を抱えて叫んだ。
「……ってここどこ!?
……もしかして? 異世界転移ッ?……マジッ!?」
◇◇◇
──それから数時間後。
私は城の一室で、窓の外を眺めていた。
ここはオサカという国らしい。
たこ焼きの匂いがして、人は陽気で……
うん、今のところ異世界感が薄い。
ただの道頓堀かもしれない。
でも、モンスターが活性化して魔王が復活したとかで、みんな焦っているらしい。
……でも本当のところは、誰にもわからない。
元の世界に帰るには魔王を倒さなければならないらしい。
「はぁ……本当に私なんかに魔王を倒せるのかな……」
思わず漏れたため息と一緒に、窓ガラスに額を押し付けた。
冷たい……でもこの感触が、現実味を取り戻させてくれる。
じわっと、窓ガラスに白い息がかかり、曇っていく。
「帰りたいな……お父さん、お母さん、みんなに会いたい…」
左手に持ったままのハンガーが、カチャリと窓枠に当たった。
右手のリモコンを強く握りしめる。
目に涙が浮かんできた。
視界が滲む。外の景色がぼやける。
(なんで、私なの……?)
頬を伝う涙が落ちそうになった、その時だった。
『……おい。泣くなや』
窓ガラスの曇った部分から、湿っぽい声がした。
「えっ?」
私は涙をこらえて、窓を凝視した。
すると、私の吐息で曇ったガラスの表面に、
水滴でできた小さな顔が浮かび上がっていた。
半透明で、常にジメジメしていて、なんか涙目だ。
「誰……?」
私は右手のリモコン、左手のハンガーを構えていた。
『ワイか? ワイは窓の結露の精霊、ケツロウや』
「け、結露の精霊……?」
『せや。結露や。湯気の野郎とはちゃうで!?』
「湯気にも精霊が!?」
ケツロウと名乗る水滴の顔は、
ガラス面をツーッと滑り落ちそうになりながら必死に留まっていた。
「え? 精霊ってもっとこう……火とか水とか……結露?湯気?」
私は戸惑いを隠せなかった。
『アホか! 結露も立派な水属性や!』
ケツロウさんは窓ガラスの上でプルプルと震えながら反論した。
『お前な、水属性いうても色々あるんやぞ?
「清流」とか「湧き水」みたいなエリートもおれば、
「泥水」とか「下水」みたいな汚れ仕事もおる。
ワイら「結露」はその中でも……こう……「隙間産業」的なポジションなんや!』
「隙間産業……」
『ワイかてな……本当は……』
ケツロウの声が急に湿っぽくなった。
『本当は……冷たくて美味しい「クリスタルガイザーの精霊」とか「エビアンの精霊」とかになりたかったわ……!
泣いてへん!!これは結露や!!』
「そうですか……」
『んでな?カエデちゃん、頼みがあるんやけど──』
「え。嫌です」
私はため息をつき、近くにあった布で窓をサッと拭いた。
『言い終わらせろやァァァ!?』
ケツロウさんは布に吸い込まれて消滅した。
「……はぁ。異世界の精霊って、なんか世知辛いなぁ」
私は拭いた窓の外を見上げた。
涙はまだ頬に残ってるけど、なんだか少しだけ笑えた。
ケツロウのおかげで、少しだけ寂しさが紛れた気がする。
……さようなら、ケツロウさん。
──そして、こんなとき、ふと頭の中に浮かぶのは、いつだってあの子だった。
(……サクラだったら、どうするかな)
私の親友は、いつも強かった。
いや──本当は強いんじゃなくて、弱さを吹き飛ばす勢いがあっただけかもしれない。
《迷った時はね、私ならどうするか考えなさい。ロクな案は出ないけど、元気だけは出る》
いつもの呆れた笑顔で、私に言ってた。
「……ぷふっ」
思わず声が漏れた。
涙が頬を伝ったけど、今度は不思議と苦しくなかった。
「ほんとサクラって、いつも無茶苦茶だったよね……」
あの日、「明日早い」の一言で誘いを断った自分を、ハンガーで叩きたくなる。
(会いたいなぁ……サクラもこの世界に来てたりして…)
「まさかね……でもサクラなら……きっと魔王になってるわね……あはは」
そう呟いて、私は脱いだスリッパを足元に置き、両手に持った「武器」を見つめた。
……いや、置いたのは一瞬だ。
床が冷たくて、すぐ履き直した。
暗殺用の戦靴、冷えには弱い。
右手にはリモコン。
左手にはハンガー。
「私、カエデ。普通の女の子……
私も、少しだけ無茶苦茶になってみようかな」
サクラならきっと、泣き言を言う暇があったら敵をぶん殴ってる。
私は鏡の前でポーズを取った。
シュッ!
左手のハンガーを振ってみる。風を切る音がした。
「……これ、普通に強そう」
ピピッ!
リモコンの「電源」ボタンを押してみる。
「……魔王のスイッチ、これで切れないかな」
切れるわけない。でも、なんとなく強気になれた。
「あれ!?すごいことに気がついた!
スリッパって武器になるよね!?
足も守れて武器にもなるって凄くない!?」
スリッパを振ってみる。
シュッ!!
「あ、これ……強いわ……」
胸の奥から、確かに勇気が湧いてきた。
私は三種の神器 (スリッパ・ハンガー・リモコン)を抱きしめたままベッドに倒れ込んだ。
「あ……お腹すいたな……」
ぽよん☆
胸が揺れた。
リモコンの角が脇腹に刺さってちょっと痛かった。
異世界に舞い降りた女勇者、装備は生活用品フルセット。
本人は、運命が近づいてることにすら気づいていない。
◇◇◇
──その夜。
遥かな深淵より、さざ波のような声が這い出す。
「……これで、二つめ。鍵は揃いゆく。
ならば、我らも──抗うとしよう。“闇の底”よりな」
誰も、まだ知らなかった。
このあと、この勇者が石ころと会話する奇行に走ることを。
そしてこの天然勇者の特殊能力が『とんでもなくヤバい』ということを。
(つづく)
◇◇◇
──【今週のサクラ語録:カエデの心の支え】──
『迷った時はね、私ならどうするか考えなさい。ロクな案は出ないけど、元気だけは出る。』
解説:
カエデがいつも頼りにしてきた親友サクラの破天荒な名言。
思い出すのは部署異動、警察沙汰、飲み会の修羅場と事件ばかり。
いつだって真っ直ぐだった。
状況は悪化しても、不思議と元気が出る──それがカエデの心の支えだった。




