#桜003:ココア召喚と恥ずか死バフと経験値ゼロベヒーモス
もう戻らない家族の夢を見た。
両親はいない。
私を育ててくれたおじいちゃんは中学の時に、おばあちゃんは高校卒業の朝に──いなくなった。
遺品整理で見つけた三人の写真を押し入れに突っ込んで、
「家族なんてクソ」なんて悪態をついたくせに。
夜中に、そっと取り出して眺めてた。
……あの笑顔の匂いは、いつもココアだった。
おばあちゃんが、毎晩のように入れてくれた甘いやつ。
だから私は、ココアだけは恨めない。──はずだった。
◇◇◇
「……ちゃん! お姉ちゃんッ!! 起きてよ!!」
遠くで誰かが呼んでいる。
「ん……おばあちゃん……私ね……」
(……違う。そんなはずない)
「……あれ?」
誰かが私を揺らしている。
「ココアは関係ないよね……」
女の子の声が、同時に聞こえた。
(……ココアの匂い? 私から……?いやするわ。めっちゃするわ。)
「えッ? 誰!? ココア!? なに言ってんのッ!?」
私は反射で目を開いた。
──甘い。異様に甘い。
鼻の奥にねっとり絡みつくココアの香りが、まるで私自身から湧いているみたいだった。
「あ、起きたぁ!!」
目の前には小さな女の子。
石壁、石床、薄暗い部屋。湿度だけは妙に高い。
「ここ何!?どこ!? てか君だれ!?」
「魔王のエストだよ!」
ウィンクしながら横ピース。
(……ん? 魔……?)
「やったぁ! 召喚成功だ! わーい!!」
(……この子が魔王?)
足元の召喚陣に広がった、濃い茶色の染みが目に入る。
「……そのシミなに? めっちゃ広がってるけど」
「あ、それ。お姉ちゃん召喚に使ったココア」
「……は?」
時が止まったような気がした。
「人を飲み物で喚ぶなぁぁぁ!!」
ジト目でシミを睨む。
甘い匂いがまだ漂っている。
「……続けていい?」
「どうぞ」
「ここは“常闇のダンジョン”最深部、“魔王の間”!」
エストは嬉しそうに胸を張った。
「ダンジョン……」
「お姉ちゃんの魂、ね……ココアみたいな甘くて寂しい色してたから、呼んじゃった」
(胸が……ちくっとした)
「……お姉ちゃん? 私、サクラ。佐倉 桜」
「可愛い名前!」
「……可愛い、ね……」
目を逸らさずにはいられなかった。
「私ね、世界征服したいの!
一人じゃできないから……お姉ちゃん、手伝って!!」
「は?」
「魔力とココアでお姉ちゃんの体も作ったの!」
「……はい情報過多ァァァ!!」
「えへへ……」
エストはしゅんとした顔になり、小さな声で続けた。
「パパも家臣も……みんな、居なくなったの。
ずっと一人で、寂しかった。
だから……家族が欲しかったの」
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
(……ああ、知ってる。これ)
(ひとりでいるのが当たり前だから、
“欲しい”って気持ちが、すぐ痛みに変わるやつ)
「……話して。続けて」
エストの目が少しだけ柔らかくなった。
……風もないのに、空気が震えた気がした。
湿度の質が変わった。重い。胸にのしかかる。
そして──ココアの染みが、じゅわ…っと広がった瞬間だった。
──ゴガァァァァァンッ!!!
壁が爆散した。
「ひぃぃぃぃいいッッ!」
エストが本気の悲鳴をあげて、私の背中に隠れた。
「え? え?」
「お、お姉ちゃんあれ!!むりむりむりッ!!
あれ絶対やばいやつぅ!! 魔力デカすぎ!!」
「なにが起きてんのコレ!?」
粉塵の向こうから、巨大な影が姿を現す。
──【ベヒーモス】。
岩盤みたいな肩、樹一本分ありそうな腕、牙は全部凶器サイズ。
“近づいたら死ぬ”って、見た瞬間わかるタイプの怪物。
「お姉ちゃん! なんとかしてぇぇぇ!!
お姉ちゃんは強いでしょ!? なんでもできるでしょ!?」
「魔王ォォォ!! 出会って5分!!」
エストが私の腰にしがみついて震えている。
「ちょっ……えっ……魔王さん!? なんで震えてんの!?」
「魔王だけど女の子だもん!!」
「は? いやまぁそうかもしれないけど!?」
叫ぶ間にも、ベヒーモスの足音が近づいてくる。
「グルゥゥオオオー!!」
咆哮。
空気が震え、床石が跳ねた。
エストの肩がビクッと跳ね、私の背中にさらに潜り込む。
『おい、戦え。死ぬぞ』
無機質な聞き覚えのある、あの声まで乱入してきた。
「無理だって! 令和のOLだぞ私!?」
『スキル《怪力》を使え』
「スキル? 怪力? ジム三日でリタイアした女に無茶言うな!」
『仕方ない』
【強制発動:スキル《怪力》】
「は? 強制って何──」
その瞬間、体の奥で何かがゴリッと鳴った。
「っ──!?」
筋肉が軋む。力が内側から膨れ上がる。
何これ。何これ何これ。
『それから、恥ずか死の瞬間を思い出せ』
「やめろぉぉぉぉ!」
でも遅い。勝手に浮かんでくる。
夜中の住宅街。プロレスのポーズ。通報するおじさん。
翌朝のニュース。全国放送のCG再現。
「令和の弁慶」のテロップ。
アナウンサーの引きつった笑い。
「…………。」
「お姉ちゃん!?白目むいてる!!
女の子がそんな顔しちゃダメぇ!?」
【──強制発動:スキル《怪力》── 恥ずか死を思い出したモード】発動!!!
──ぶわっ、と顔が熱くなった。
「お姉ちゃん!? 顔真っ赤!」
「やめて今それ言わないで!」
恥ずかしい。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。
『恥ずかしい記憶は筋肉。サクラの攻撃力が1000%アップ。理由は募集中。以上』
「雑!?」
さらに──体の奥で何かが暴れだす。
ボッ。同時にそんな音がした。
メラメラメラ──
オレンジ色の炎が髪全体を包み込んだ──羞恥心そのものが燃えてる感じがした。
『……おい、燃えてるぞ!? お前、燃えてるぞ!?』
「お、お姉ちゃん!? 燃えてるよ!?」
「えぇっ……私の髪が燃えてる!? 何そのリアクション!?」
『おいおい! 怪力にそんな効果無いはずだぞ?』
「お姉ちゃんが死んじゃう!?」
エストが私の炎を両手でパタパタして消そうとする。
……めっちゃ必死。かわいいと思ってしまった。
『あ、でもキレイだな……』
「感動すんな!」
「……お姉ちゃん、熱くないの?」
「……熱くないわ」
『とりあえず、今……めっちゃ引いてる』
「私も引いてる」
眉間にシワを寄せるエスト。
「おまえら、たすけて!? 魔王って……ガヤ職なの!?」
『スキル怪力は感情を力に変える。……燃えるとは知らんかったが』
「意味わかんない!」
私は叫びながら、燃え盛る自分の髪を鷲掴みにした。
熱くない。むしろ、怒りで頭が沸騰しそうだ。
『俺もわからん』
「お前はわかれよ!」
役立たずの謎の声に毒づく間にも、ベヒーモスは目の前まで迫っていた。
そんな中、エストが「焚き火……焼き芋……」と小声で呟いた。
……私はこの魔王をあとで説教することに決めた。
『その“恥ずかしい炎”を拳に乗せて戦え』
「恥ずかしい炎ってなんだよ!!」
でも次の瞬間──
「グルルルッ!」
ベヒーモスが突っ込んできた。
「くんなぁぁぁ!! まだ気持ちの整理がぁあああ!?」
「お姉ちゃぁぁぁん!」
エストが私の腰にガシィッとしがみつく。
目の前で、丸太のような巨足が振り上げられた。
「ひぃッ!? 来る!? 足が来るよ!?」
踏み潰される。ミンチ確実。
『──掴め』
「うわぁぁぁん!!」
私は泣きながら、落ちてくる巨大な足を反射的に抱え込んだ。
「え?」
止まった。
ダンプカーみたいな衝撃が、私の腕の中でピタリと止まっている。
「……も、持てた……?」
『回せ』
「え?」
『恥を回転力に変えろ。お前の得意技だろ』
その言葉で、スイッチが入った。
そうだ。私の十八番。
ムダ様の得意技。あの技。
「……いけるッ!!」
私はベヒーモスの丸太のような足を、胸板に強く抱きかかえた。
そして──右足を、相手の懐ふところへ深く踏み込む!
(原理は簡単! 足を抱えて、私が回る!)
(そうすれば、相手の膝が悲鳴を上げて──回るしかないッ!!)
「ムダ様直伝んんんん!!」
「お姉ちゃん!?」
軸足に全体重と全羞恥心を乗せる。
体を内側にひねり、爆発的な勢いで回転を始動!
「必殺ッ!! ドラゴン・スクリューゥゥゥゥ!!!」
ギュルンッ!!!
私の回転に合わせて、ベヒーモスの膝関節が悲鳴を上げ──巨体が強制的にねじ込まれる!
「グルッ!? グオオオオオオオ!?」
抗えない回転力。
ベヒーモスの巨体が空中に浮き、きりもみ回転しながら舞い上がった。
「回ったぁぁぁ!! おっきいのが回ったぁぁぁ!!」
腰にしがみついていたエストが、遠心力で足をバタつかせながら叫ぶ。
「感想言ってる場合か!! 振り落とされるぞ!!」
ブォォォォォン!!!
猛烈な竜巻のような風が巻き起こる。
「お姉ちゃんすごぉい……って、あ、あれぇぇぇ!?」
限界突破した遠心力に耐えきれず、エストの手が離れた。
「ぎゃあああああああ!!」
私の回転が生んだ暴風に煽られ、エストが吹き飛ばされた。
「魔王ォォォ!? さっきから邪魔しかしてない!!」
回転がピークに達した瞬間、私は抱えていた足をリリースした。
「飛んでけぇぇぇぇぇ!!!」
ズドォォォォォン!!!
ベヒーモスはドリルのように猛回転しながら、壁を突き破り、遥か彼方へとすっ飛んでいった。
「ギャオオオオオ……クルクルクル……」
遠ざかっていく回転音と悲鳴。
……キラーン。
空の彼方で星が光った(気がした)。
天井から瓦礫がパラパラ落ちてくる。
それ以外、何も聞こえない。
「……え? ホームラン? ……場外?」
『テクニカルな勝利だ』
「助かった……?」
壁からずるずる落ちてきたエストの声が、
やけに広い石室にぽつんと響いた。
「……よかった……」
私は膝から崩れ落ちた。
腰も抜け、そのまま床にへたり込む。
目が回る。世界がまだ回ってる。
シーン……。
静寂が戻る。
『戦闘終了。敵対個体の場外リングアウトを確認』
「……。」
『リザルト表示:獲得経験値ゼロ』
「ゼロ? あんなに綺麗に決まったのに!?」
『倒してないからな。お前が得たのは『徒労』と『回転』だけだ』
「こいつぅううう!?」
『異世界にようこそ』
「ようこそ。お姉ちゃん。」
ドレスのスカートの両端をチョコンと摘まみ、笑顔でお辞儀するエスト。
「……クソ世界ぃぃぃぃぃ!!!」
*
「落ち着け……落ち着け……」
私は深呼吸を繰り返す。
すると、スキルが解除された。
ボワッ。
「……あ」
瓦礫に映った自分の姿は──
「アフロォォォォ!!?」
「お姉ちゃん!? 髪どうしたの!?
カリフラワーみたいで可愛い!!」
「こっちが聞きたい!!」
『女子力も燃えたな』
「カリフラワーじゃない!!ブロッコリーかも!!」
エストが腕を組んで、うんうんとうなずいた。
「天の声、こっち来い。魔王、正座しろ。」
私は拳を握った。
「……正座ってなに?」
キョトンとするエスト。
「よし。座れ。わかんなくていい、座れ。教える。」
指をポキポキ。
*
……とはいえ、怒る気力も続かなかった。
アフロを抱え込んで泣きそうな私を見て、エストが小さく笑った。
「……お姉ちゃん、さっきの『恥ずか死』って……
恥ずかしくて死んじゃったの?」
「そうよ!!生き恥で死んだんだよ!!」
エストはそっと私の袖をつまんだ。
指先が、頼りなく、でも確かに触れている。
「恥ずかしさはね、生きたいって叫んでる音だと思う」
ココアの香りが、ふわりと広がった。
「…………」
時間が止まったみたいだった。
自分の心臓の音だけが、どくん、と響く。
「……あとさ? 誰かが見てくれてるってことだよね。
ひとりじゃないってこと。だから私は──恥ずかしいと、ちょっと嬉しいの。」
その言葉は、子どもみたいに無邪気で。
でも、どこかひどく大人びていて。
(……ああ、この子、強いな)
たったそれだけで、泣きたくなるほど胸が熱くなった。
「…………」
小さく鼻をすする。
「……そんなポジティブ変換ある? ……ずるいわ、あんた」
口元がゆっくり緩む。
自分でも驚くくらい、自然と笑っていた。
(──でも、ちょっと救われた気がした)
しばらく、ココアの匂いだけがそこに残った。
*
エストが言った。
「ねえお姉ちゃん、下の部屋に行こう? ベヒーモスがまた来るかもしれないし……」
──その瞬間だった。
胸の奥が、ひやっと冷えた。
胃が一段、落ちる。
「……あれ」
「お姉ちゃん?」
「いま“下”って言った?」
「うん。階段降りるだけだよ?」
「…………階段」
その単語だけで、足が固まった。
石の階段が、闇へ続いている。
たった数段。なのに。
「……やば。これ、降りれない」
「え? さっき怪物ぶっ飛ばしてたのに?」
「戦闘は平気! 落下も平気!」
「え?」
私は試しに、階段の横の段差を見た。
そして、勢いよく飛び降りた。
ドン。
「ほら! 着地できる! ジャンプなら余裕!」
「できてるじゃん!」
「でも階段は無理!!」
「なんで!?」
「“段が連続してる”のが無理!
脳が『ここで踏み外す未来』を勝手に上映してくる!」
私は一段目に足を出しかけて──
ぞわっ。
即、引っ込めた。
『……おい。階段だけが怖いのか』
「黙れ! 私の弱点を言語化するな!!」
エストがぽかんとして言った。
「じゃあ……お姉ちゃん、降りる時はずっとジャンプすればいいね!」
「魔王!!天才か!?」
──私は階段を一段一段ジャンプして降りた。
ドスン……ドスン……
「ってゴリラみたいだな!?」
(この時はまだ、この弱点が本気で命取りになるなんて、思ってなかった)
(つづく)
◇◇◇
──【エスト理論:恥の中に、あたたかさあり】──
『恥ずかしさはね、生きたいって叫んでる音だと思うな。誰かが見てくれてるってことだよね。ひとりじゃないってこと。』
解説:
恥は、誰かの視線が触れた跡。
だから痛い。だから、あったかい。
ひとりの時は、恥ずかしくない。
恥ずかしいってことは──
誰かが、そこにいるってこと。




