#椿005:聖女、巡礼に連行される
──我が名はツバキ。
闇を纏いし灼瞳の神子。神の言葉を紡ぎ、迷える子羊を導く者。
だが今、私はリュックを背負い、ガタゴトと馬車に揺られていた。
(……いやいや、ちょっと待って!?)
窓の外を流れるのどかな田園風景を見ながら、私は白目をむきそうになっていた。
(これ、ドナドナじゃん……!)
◇◇◇
すべてのきっかけは、昨日の悪夢のような会話だった。
「聖女様! 布教の巡礼へとご出発ください!」
侍女のローザが満面の笑みで告げた。
「ちょ……待っ……漆黒の導きに抗うこと叶わず……」
(ちょっと待って!? まだ心の準備が──!)
「既に隣領の信者、五百人の魂が、貴女の神託を待ち望んでおります!」
「……我が咆哮を求めし者どもが五百……」
(いつの間に五百ぅぅぅ──!? 多すぎィ!!)
五百人て。ライブハウスなら酸欠になるレベルだぞ。
さらに、トドメとばかりにローザが一歩前に出た。
「道中の安全は、このローザがお守りします! もちろん命をかけて!」
「ローザ!? まさかの同行者!? 強制加入の忠誠の盾よ!」
(待ってローザ!? お前ついてくるの!?
一番やりにくいのが来ちゃった!)
「はい! 第一信者として当然の使命でございます!」
……ダメだ。
ここには冷静なやつが、一人もいない。
気づけば、ローザ特製の「聖女様用デラックス弁当」と、
印刷されたばかりの「カメリア聖典 (最新版)」百部をリュックに詰め込まれ──
私はローザと共に、馬車に放り込まれた。
──文字通り、物理的に放たれたのだ。過酷な世界へ。
◇◇◇
【第一の村──アナグラ村】
森の奥深くにぽつんとある、静かな集落。
ここが最初の巡礼地だった。
村人たちが不安そうな顔で集まってくる。
どうやら、ただの握手会イベントではないらしい。
「聖女様……最近、森の奥から変な音がするんです」
村長が震えながら言った。
「変な音……とは、いかなる旋律か?」
(どんな音?)
「ドガン!とか、ズガン!とか……」
「……」
「木がなぎ倒される音もして……誰も怖くて近づけないんです」
(なにそれ!? 工事現場!? いや、ヤバいやつじゃん!?)
背筋が凍った。
それは「布教」の管轄外だ。「討伐」クエストだ。
(え、私が行くの? 無理なんだけど!?)
「ち、力なき者に、抗う術など……」
(え、無理無理無理!!
退治するなんて聞いてない……帰りたい……)
私が震えていると、隣でローザがキラキラと輝きだした。
「ご安心ください!
聖女様は左目から神の裁き(ホーリービーム)を放てます!」
(ローザ! 話をややこしくしないで! ハードル上げないで!?)
「わ……我が瞳に宿るは、浄化の閃光──
ってだからアレは事故なの!! マジで止めて!!」
私が小声で抗議しようとした、その時だった。
ミシ……ミシ……。
森の奥から、巨木が軋む音が聞こえた。
私は思わず言葉を飲んだ。
(……え?)
ざわ……ざわ……。
風もないのに葉が揺れ、空気がピリつく。
次第に、足音ともつかない音が近づいてくる。
ズル……ズル……。
何かが、重い体を引きずる音。
ローザが私の背中をドンと押した。
「聖女様、あれを!」
「ま、待て……ローザ……!?
あれは何だ……あの森の裂け目より現れし“影獣”の気配は──!?」
(ま、待ってローザ!? あれって何──)
──ズルルッ。
木々の間から、そいつは姿を現した。
三メートル級。
全身剛毛。
そして、凶悪な牙。
巨大なイノシシだった。
ブフォォォォッ!!
イノシシの鼻息が、地面の落ち葉を突風のように巻き上げる。
ズシンッ、ズシンッ。
蹄が大地を抉るたびに、地面が揺れる。
(デカいデカいデカい! 縮尺おかしいって!!)
(やだやだやだ! これ絶対死ぬやつじゃん!!)
私の本能が「逃げろ」と叫んでいる。
しかし、背後には期待に満ちた村人たち。
隣には目を輝かせたローザ。
退路は、ない。
「ふ……ふふふ……我が力を恐れぬとは……!」
(ヒィィ来たああああ!! こっち見たぁぁぁ!!)
私は震える手で左目を押さえた。
頼む。空気読んでくれ、私の左目。
いつもみたいに、勝手に出てくれ……!!
左目、ピリッ──。
来た。来そう。お願い来て……!!
「堕ちよ、蠢く悪意よ……!!
我が左眼にて貫かれよォオオオッ!!!」
カッ!と目を見開く。
…………シーン。
風が吹いた。
枯れ葉が舞った。
ビームは、出なかった。
「……は?」
(は!? なんで!? なんで今に限って……え!?!?)
ブモォォォォッ!!
イノシシが前足を掻く。助走に入った。
殺る気だ。
私は後ずさる。脚が震えて力が入らない。
もうムリ。ぜったいムリ。
「ローザァァアア!! ビーム出ない! 無理! 無理ィィィ!!!
死ぬ! 私死ぬぅううううう!!」
聖女の仮面をかなぐり捨てて叫ぶ私に、ローザは涼しい顔で言った。
「頑張ってください聖女様!
『奇跡は焦らずとも訪れる』って、昨夜の寝言で仰ってました!」
「一回で良いから人の話を聞こう? あとそれ私、本当に寝てる?」
そんなこと言った覚えない!!
ただの寝言を伏線にするな!!
ドドドドド……ッ!!
イノシシが突っ込んでくる。
質量を持った絶望が、目の前に迫る。
私は完全にテンパっていた。
「ふ、ふふ封印されしわわわ我が左眼よ……い、いいいまこそその真にょ──」
「聖女様、声裏返ってます。」(冷静)
「うっさい! そりゃ声も裏返るわ! あとなんで冷静なの? 凄くない?」
もうダメだ。
ミンチになる。
さようなら、サクラ、カエデ。
私は異世界のイノシシの餌になります。
だが、その瞬間──
ズキリ。
左目が再び、焼けるように疼いた。
(つづく)




