邂逅
気づくと、教壇は血の海だった。
自分の目の前にあるこの肉の塊は、何だろうか。
ああ、多分、あの教師だな、と化け物は思った。
教室の皆に目をやると、あまりの恐怖に動けなくなる者、失禁してしまう者、即座に逃げ出す者がいた。なぜ私のことをそんな目で見るのだろうか。まるで化け物を見るかのような目だ。
こいつらも結局、同じなのだ。そう化け物は思った。嫌なことがあっても、同調圧力に屈して、何もしない。不快な人がいても、それを間接的にでも伝えることだってしない。声を上げなければ変わらないというのに。
この私の目に映る全てを破壊したい。再び抑えきれない憎悪に身を任せた化け物は次の刹那、一人の生徒を次の狙いに定め、再び床が割れるほどの踏み込みで襲いかかった。
落雷のような突進だった。
無我夢中で生徒の喉元に喰らいついたが、聞こえてきたのは鈍い金属音だった。
なぜ、こいつを噛み裂けない…?
化け物が目をやると、自分が噛み付いていたのは美しい浅葱色の柄を持つ日本刀であった。
「こんにちは。夢見探偵社の漆葉時雨と申します。」
刀と同じ浅葱色の着物を着たその女は、微笑を浮かべながら名を名乗った。化け物は一瞬困惑し、正気の沙汰では無いな、と思った。こいつは正気じゃない。つい先刻私に噛み千切られていたかもしれないのに、律儀に挨拶をしてきやがった。しかも、気持ちの悪い微笑を浮かべている。
化け物が戸惑ったのも束の間、日本刀を持った女目掛けて一切の迷い無く右の拳を振り抜いた。
しかし獲物を仕留めた感触は無かった。振るった拳は後ろの黒板を突き破り、隣の教室まで貫通していた。
軽い身のこなしで拳を避けた女は、少しの間こちらをじっと見つめてきた。
「とても、気高いお姿ですね。少し、お話をしましょうか。私は、あなたと話がしたいのです。」
「気高い姿、だと…?」
化け物は先ほどの拳の風圧でヒビが入った窓ガラスに目をやると、改めて自分の姿を確認した。醜悪な姿だ。この訳の分からない女は、どこからやってきたのか知らないが、私を止めようとしているのだろう。この醜悪な姿を気高い姿など無理やり言っている辺り、こいつの下心は丸見えだ。
しかし化け物は、おさげ髪に日本刀の柄と同じ浅葱色を基調とした美しい着物を着た女の微笑の奥に、悪意を感じ取ることは出来なかった。
「この着物が、気になりますか?これ、綺麗でしょう?この着物は、私の勝負服なんです。あなたにもきっと、似合うと思いますよ。」
こいつは馬鹿げている。この状況で普通に話しかけて来るなんて、正気の沙汰とは思えない。もうこいつが誰とかはどうでも良い。全てを破壊したい。
空気が割れる程の咆哮をあげたその化け物は、再び女目掛けて落雷の如く突進した。
しかし次の刹那、化け物は自分の胸に初めての感覚を味わった。
自分の胸に、いつの間にか長い薙刀が刺さっている。ああ、私は負けたのだ、化け物は悟った。しかし不思議と痛みは感じなかった。
目の前には長い薙刀を持った先ほどの女がいる。先刻までの微笑は消え、心配そうな、不安そうな、よく分からない表情を浮かべている。
「ごめんなさい、ね…?でも、こうするしか、無かったの。でもこれで少し、お話が出来ますよ。」
話をする?何を言っているんだこいつは。私はもう死ぬだろう。胸を貫かれたのだから。
ふと手を見てみると、手入れの行き届いた女子高生の手がそこにはあった。朱音は、まだ興奮が冷めていなかったが、先ほどのまでのどうしようもない憎悪は消えかけていた。
ゆっくりと朱音の胸から薙刀を抜いたその女は、微笑を浮かべながら話しかけてきた。
「こんなことをしてしまって、ごめんんさいね。でも痛くは無かったでしょう…?」
女の言う通り、朱音は胸に不思議な感触が残っていたが、痛みは少しも感じていなかった。先ほどまで自分は化け物になっていたようだし、突然女が出てくるし、胸を貫かれたと思えば普通に生きているし、まるで夢でも見ているかのようだ。
「ええ、痛くは無いですけど…。あなたは、何なんですか…?」
「改めまして、夢見探偵社の漆葉時雨と申します。私は、あなたと話がしたくて、ここへ来たんです。」




