脱出。そして王城へ
時間の経過と共に肉体の損傷や裂傷、打撲や骨折が癒えていき、痛みから解放されていく。次第に苦悶に満ちたエリュの表情も安らいでいった。
「……ありがとう。回復魔法ってすごいんだね。助かったよ。デメリットも特にないし、戦闘後には必需な魔法だよ」
「……一応幻覚症状とかあるんだけど。ってそれより、なんであの石像に襲われてたの?」
「さぁ……セレスから離れすぎちゃったから、不審者だと思われたのかも」
それを聞いたセレスは、不満そうに頬を膨らませる。
「もうっ! ちゃんとついてきてよ」
「ごめん……まさかこんなことになるなんて思ってなかったから」
言い訳がましいエリュの言葉にセレスはため息を吐くと、手を伸ばす。
「ほらっ。今度は一緒に行こ?」
「分かった」
セレスの伸ばした手を掴んで起き上がると、エリュは周囲を見渡した。
「ねぇ、レーンはどこに行ったの?」
「……え~と、近くにいると思うよ」
「? 一緒に行動してただろ?」
「あはは。そうだね」
妙に困った顔をしながらセレスは頷く。
そしてセレスは神殿のカーペットの先、奥の部屋へと繋がる大きな扉の入り口前に座り込んだレーンの方へと視線を向けた。
エリュもセレスの向けた視線をなぞってレーンを見つけた。
「……なんだ。居るじゃん」
ほっと安堵したエリュだったが、レーンの方は限界に近い様子だ。その様子を見るにエリュが命がけの死闘をしていたことにも気がついていないだろう。
しかし、エリュが近づくとレーンは青い顔を上げてほほ笑んだ。
「大丈夫だよ。先に行こ」
レーンはふらっと立ち上がる。そして大きな扉を開けるように無言で促した。
エリュは扉に手を掛けるとセレスとレーンを見る。
「この先には何があるの?」
「さっきチラって見たけど、転移門があったよ」
「そう」
エリュはセレスの言葉を聞いた後、両開きの扉を力強く押して開いた。
「……暗いな」
奥の部屋は暗室となっていた。部屋の中央には大きな土台が置かれており、土台の上には開かれた状態の本が置かれている。
その土台の奥には、人が一人通過できるくらいの門が置いてあった。セレスはその前に立つとエリュの方を向く。
「たぶん、これが転移門だよ」
そう言ってセレスが転移門の枠に刻まれた手形マークに手を合わせると、転移門全体が蒼く光りだし、転移門の内側が青い膜に包まれた。
それを見てセレスが頷くと、エリュに手を伸ばした。
「一緒に帰ろっ」
「うん」
エリュはセレスの手を繋ぎ、転移門に飛び込んだ。
その瞬間、エリュは全身がバラバラになったような錯覚に襲われた。それは、女神像に投げ飛ばされた時に感じた感覚と全く同じものだ。
しばらくしてその感覚もゆっくりと消え去る。そうして目を開くと、エリュは大きな部屋の中に立っていた。
部屋の豪華な内装や壁の材質からみて、ここが王城であることは間違いない。
そう思って視線を入口の方に戻し、エリュは息を呑んだ。
「げっ……」
視線の先には、鎧を着た騎士のような人間が十数人ほど立っていた。明らかにこちらを警戒している様子で、話など通じなさそうな雰囲気だ。
「あ、あの──」
「良かったっ!」
エリュが言葉を発そうとした瞬間、鎧を着た騎士の一人──一番高級そうな鎧を身につけたロングの金髪女性がセレスに飛びついて抱擁した。
一方の抱擁されたセレスは、硬質な鎧に押しつぶされ、苦しそうな顔をしていたが、文句は何一つ言わず、女性に抱き着かれたままになっていた。
まるでベッドに鎮座するクマのぬいぐるみのようだ。
やがてセレスに抱きつくことに満足し終えたのか、女性はセレスから離れた。
「ご無事で安心しました。姫様。同行したセバスからの失踪情報を聞いた時には頭がおかしくなるかと思いましたよっ!」
「えへへ。ごめんね。アイリーン」
「ホントです! もうすぐお父様とお母さまがいらっしゃいますから、身なりを整えましょう」
「そうだね。お父様にこんなボロボロの姿見せられないし」
と、セレスが言い終えたところで、アイリーンの視線がエリュに向いた。
「……して、この男は?」
アイリーンは訝しむようにエリュを睨みつける。
一瞬、エリュは自身が一発で男と認識されたことに喜びを覚えたのだが、空気感を察するにそのような反応を示している場合では無さそうだ。
「あの、俺は──」
そこまで言って、周りの空気からエリュは自分が発言を許されていない事を悟った。すぐに口を閉ざすと、フォローするようにセレスが口を開いた。
「この人は私の命の恩人、エリュって言うんだよ。私が、魔物に襲われて崖から落ちた時に助けてくれたの。そこからドラン大森林の深部で三日間守ってくれたの」
「そうでしたか。わかりました」
そう言うとアイリーンは、とても優しい笑みをエリュに向けてきた。
先ほどまでの厳しい視線は露と消え、感謝しているようにも見える。そのような表情でアイリーンはエリュに向かって口を開いた。
「なるほど。ではエリュ様、騎士の一人があなたを特別なお部屋に案内するので、そちらで少々お待ちください」
「え……はい。わかりました」
エリュが頷くと、同時にアイリーンの背後に立っていた騎士が前に出てきた。
「それでは、エリュ様。ついてきてください」
エリュに声を掛けてきた騎士の態度はアイリーンよりも丁寧だ。エリュは彼のことを信用して部屋を出た。
その途端、転移門の部屋の扉が勢いよく閉まり、エリュは締め出される。
「あの……レーンは? かなり体調が悪そうなんですけど」
「……その御方はアイリーン様が対応なされるので、お気になさらず。付いてきてください」
そう言うと、騎士は先行して赤いカーペットの敷かれた廊下を進む。
「……その御方って──」
エリュは疑問を覚えたが、騎士は気にした様子もなく歩いていく。その背中を見たエリュは、慌てて彼の後ろを追従した。
廊下は流石王城と言った感じで、随分と広い。加えて装飾などが飾られており、定期的に設置されている煌びやかなランプが目を引く。
「あの、このランプって魔法で付いたりするんですか?」
「……ええ。魔道具というものです。知りませんか?」
「はい。うちの村にはないので……」
「そうですか。魔道具は空気中の魔素を使用して起動する器具ですね。一つで百万シリア以上の価値があるのであまり触れませんよう」
「百万シリア……?」
村では物々交換が主流のため、通貨の価値があまり分からない。
「一シリアで何が買えるんですか?」
「そうですね──質の低い黒パンが買える程度でしょうか」
「じゃあ、このランプ一つでパンが百万個……しかもいっぱいある」
王城の豪華さに目を奪われていたエリュは、騎士に従って階段を下る。そのまま移動してたどり着いたのは──少し狭い歓待室だった。
部屋の大きさや、内装から察するにあまり身分の高くない者を招く時に使われる部屋のようにも感じる。
騎士は部屋の中に置かれた椅子の隣に立つと、入口で固まるエリュの方を見た。
「ここに座ってもらえますか? 今飲み物を用意するので」
「え……はい」
エリュはうなずき、適当な場所に腰を下ろす。
そのまま、ボケーっと王城の室内を観察していると、部屋を出て行った騎士がぶどうの強い香りがする飲み物を持ってきた。
「こちら、王都で取れたぶどうを搾って作られたぶどうジュースです。お飲みください」
「あ、はい」
妙に強引さを感じながらエリュは騎士からぶどうジュースを受け取る。
「……」
「お飲みください」
「……分かりました」
脅迫されるような気を感じて仕方がなくエリュは、それを喉に流し込んだ。
同時に、強烈な眠気がエリュを襲った。
意識が──遠のく。
 




