この国の名前知ってる????
壁面に穴が開いたのを確認したエリュは、必死でセレスを引きずり込み壁の入口を土魔法で塞ぐ。同時に、エリュが立っていた場所を巨大な波が飲み込む音がした。
「壁は平気……助かったぁ」
崩れ落ちるようにエリュはその場に座り込んだ。張りつめた緊張がぷつっと切れ、死の恐怖から逃れ切って生の実感を浴びるように感じる。
しばらくそうしてゆっくりした後、エリュはセレスの様子を確認した。
セレスの服は洗濯中だったため、リヴァイアサンの一撃で吹き飛んだ。つまり、彼女が着ているのは、直前でエリュが着せた上着──自警団の着用するジャケットのみだ。
それも一連の騒動で泥だらけになっている。
「エリュ。セレスちゃんの体を拭いてあげて。あと、今着てるシャツもジャケットが乾くまで貸してあげて」
「でも、今着てるシャツを脱いだらタンクトップだけに……言ってる場合じゃないか」
エリュは犯罪をしているような気分になりながら、セレスに着せたジャケットを脱がして、彼女とジャケットを洗い流す。
魔法で作られた水は、あっという間に泥に汚染され、茶色くなった水だけが床に流れる。その後、エリュは自分のシャツをセレスに着せて、ジャケットを洞窟の天蓋にぶら下げた。
「よし。終わり」
エリュはため息を吐き出してから、ふらふらと洞窟の入り口へと向かう。
「エリュ?」
背後からレーンの不思議そうな声が聞こえたが、構わず入口の蓋に手を付けると、小さなのぞき穴を作り出した。
その後、レーンの方を向いて微笑みかける。
「大丈夫。ちょっと確認するだけ」
エリュはそう言って、開けたばかりののぞき穴の中を覗いた。
穴の先では、リヴァイアサンとスカイギガンテスの激しい戦いが起きている。神と神の戦いと言えばいいのだろうか?
ぶつかり合った一撃一撃が空を割り、雨の勢いを強め、激しい閃光が繰り返し瞬いている。
あんなところに入ってしまえば、瞬間的に粉微塵と化すだろう。
そんな光景を見ているだけで、もうこの世の終わりだという気分になってきた。少なくとも緑豊かだった自然は、超獣の争いによって修復不可能な打撃を受けている。
「悪夢だ……夢なら早く覚めて──」
と、呟くがその直後、悪夢に終わりが訪れた。
一瞬の間にスカイギガンテスの全身に雷が走り抜け、最大限に帯電した電流がリヴァイアサンを貫いたのだ。同時にリヴァイアサンは白目を向き、全身から真っ黒な煙を上げながら水面に倒れ込んだ。
大きな波が発生し、それが静まった後、リヴァイアサンは水面にプカリと浮き上がった。スカイギガンテスはゆっくりと降下すると、前足でリヴァイアサンを鷲掴みにして、こちらの方へと放った。
リヴァイアサンの巨体は宙を舞い、エリュの隠れる洞窟前に巨音と共に落下する。
その衝撃で、エリュの作った壁はガラガラと音を立てて崩壊した。
「っ──‼」
声にならない悲鳴を上げながら二人は洞窟の奥に後退する。その直後、スカイギガンテスはリヴァイアサンの前に降り立った。つまり、エリュ達の真正面だ。
スカイギガンテスが少し顔を横に向けるだけで、エリュ達が見えてしまう。その状況でスカイギガンテスはリヴァイアサンを啄み始めた。
その様子をじっと見ていたエリュは、リヴァイアサンの尾が僅かに揺れ、捕食から逃れようとしていることに気がついた。
「……ねぇ。レーン」
「なに? どうしたの? あまり声は出さないほうが良いと思うよ?」
「分かってるけど、あのリヴァイアサンにトドメってさしてもいいかな?」
「……何言ってるの?」
「リヴァイアサンを殺せば大骨人を倒した時みたいに強くなれる。この先のことを考えるなら、トドメをさしたい」
エリュの言いたいことを理解した様子のレーンは、数秒悩んだ様子を見せてから、真剣な目を向けた。
「……リスクは分かってるよね?」
エリュは静かに頷く。
最初に出会った大骨人をあっさりと倒せたせいで、この場の異常性を見誤っていた。
このドラン大森林の深部は、地獄だ。
生き残るには多少のリスクを取らねば死ぬ。
「今、黙って逃げ切っても、この先絶対に行き詰まる。弱ってるリヴァイアサンなら俺にでも殺せるかもしれないし、こんな機会は多分もうないと思う」
「なら好きにしなよ。でも洞窟の入口は隠して、隙間から攻撃した方が良いんじゃない? 見つかるリスクは下げておいたほうが良いよ」
「うん。そうだね」
エリュはそう言うと、再び土の魔法で洞窟の入口に壁を作り、壁に二十センチ程度の小さな穴を空けた。その後、リヴァイアサンの頭部に向けて魔法を撃つ準備をする。
「大地の咆哮を解き放ち、報いを与えよ《土石弾》」
リヴァイアサンの頭部の鱗が剥げている部分に向けて、岩石を弾丸のようにして射出した。
直後、岩石の弾丸はリヴァイアサンの頭部に直撃し、ドカンッという破砕音とともに砕け散った。
まるで、頑強な壁に直撃したような感触だ。
それを聞いたスカイギガンテスは、異音の正体を探ろうと周囲を見渡すが、やがて敵の姿が見えないと分かると、再びリヴァイアサンを啄み始めた。
しかし、未だにリヴァイアサンの尾はわずかに動いている。
「まるで効果なし、か。鱗の剥げてるところを選んだのに──もう少し工夫が必要かな」
そう言って、今度は後方で寝ているセレスのもとへと向かうと、彼女に着せたジャケットの装飾の鉄片を引きちぎって穴の前に戻ってきた。
「次は鉄を弾にする」
ぽつりと呟いたエリュは、鉄片を手のひらに乗せた。
『浮け《浮遊》』
呪文を省略した簡易詠唱で唱えると、浮いた鉄片を見て再び口を開く。
『大いなる風よ。我が願いに応え、弾丸を加速させよ《加速》』
その瞬間、尖頭弾に魔法陣が刻まれた。だが、まだ弾は発射されていない。
続けてエリュは詠唱する。
『大いなる炎よ。焔の力を解き放ち、物体を射出せよ《爆裂射出》』
その瞬間、爆発音とともに弾丸が発射された。
火魔法により高速射出された弾丸は、風魔法による加速で更に速度を増し、勢いをつけてリヴァイアサンの頭部に直撃した。
同時に、リヴァイアサンのわずかに浮いていた尾が地面に倒れ、軽い地響きが起きる。
──キィィィィィィン‼
リヴァイアサンを啄んでいたスカイギガンテスは、超音波のような声をだして両翼を開く。そのままリヴァイアサンを前足で掴んで飛び去っていった。
「はああぁぁぁぁ……びっくりした」
「びっくりしたのはこっちっ! なんで音が出る魔法撃ったの」
「ごめん……」
レーンの怒鳴り声に頭を下げたエリュは、洞窟の隅に座って自身に鑑定を掛けた。
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エリュ・アドミス
総合戦闘ランク:E
力:G35→G41 耐久:G31→G49 器用:H27→F63
敏捷:G37→F61 魔力:E120→C279
《使用魔法》
【初級炎魔法】【初級水魔法】【初級風魔法】【初級土魔法】【初級光魔法】【初級闇魔法】
【中級炎魔法】【中級水魔法】【中級風魔法】【中級土魔法】【中級光魔法】【中級闇魔法】
《才能》
【魔力・魔法技能成長上限なし】【剣術】【気力付与】【聖力付与】【自己洗脳】【シスコン】
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「よしっ! 成長してる」
小さく拳を握ったエリュは、安堵しながら洞窟の壁に背中を預けた。
すると、その様子を見ていたレーンは静かに口を開く。
「ねぇ。エリュって記憶持ちだったよね」
先程のエリュの戦い方が不満だったのだろう。
レーンは不満そうな口調を残して言った。
「う、うん。そうだけど……なに?」
「記憶持ちって神様から魔物の力を見分ける能力を与えられるって聞いたことあるけど本当?」
「うん。魔物だけじゃなくて人の能力も見れるけど」
そう言った瞬間、レーンの瞳が鋭く光る。
「もしかして、それで私の能力見た?」
「見てない」
咄嗟にエリュはそう言った。
間髪入れず答えたので、レーンの質問に食い込むような形で答えてしまった。そのため、怪しまれていないかと、やきもきしながらレーンの言葉を待った。
しかし、エリュの心配はただの杞憂だったようだ。レーンは露骨にホッとした様子で、口を開いた。
「それじゃあ、今のエリュの魔力値ってどれくらいなの?」
「さっきの戦闘でC279まで上昇した」
「C⁉ 中級冒険者くらいの魔力じゃん」
「そうなの? 基準が良く分からないけど」
「あくまで魔力だけで見るとね。中級冒険者には他の要素も求められるから──でも、かなり上澄みの方だよ」
「そうなんだ……でも、こんな魔境だと魔力Cあっても全然歯が立たないよ」
「深層は文字通り世界が違うからね。他の土地より魔素の濃度が数倍濃いから、魔物も強くなる。そんな土地で生存競争が起きるから魔物もどんどん強く進化していく。本来人が入っちゃいけない土地なんだよ。ここは」
「生きて出られるかな?」
「たぶんね」
レーンはおどけるように言って、セレスの方に視線を向けた。その視線を向けた先のセレスは未だにぐったりとしている。
「というか、どうして魔力値を知ってるの? 女神から与えられた鑑定の力って記憶持ちしか見れないはずなのに」
「エリュみたいな記憶持ちの人が、自分の眼で見える鑑定の能力を数値化して、鑑定魔法っていう魔法を作ったの。特殊な機材がないと使えないんだけど、もう何百年も経ってるから一般に浸透してるよ」
「そうなんだ。あんまり一般常識とか知らないから」
エリュがそう言うと、レーンは意地悪にニヤリと笑った。
「だよね。もう十三歳になるのに、この国の名前も知らないし」
「し、知ってるよ──ま、マゼッタン……だった気がする」
「それは隣の国~」
「うぐっ……じゃあ答えは?」
「ナイショ」
レーンの答えにエリュは不満げに頬を膨らませた。
「国の名前とか知らなくても別にいいよ。どうせ村から出ないし困らないもん」
不貞腐れたように言うと、エリュはその場に横になった。
「俺、先に寝るから」
そう言って目を閉じた途端、睡魔に飲まれて深い眠りに落ちていった。