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第一部:自己認識のパラドックス

「エリュ! 逃げてっ!!」


 鬼気迫る叫び声がすぐ近くから聞こえた。

 よく聞けばそれだけではない。他の場所からも金切り声や唸り声。雄叫びや人とは思えない奇声が飛び交っていた。


「い、一体なにが……っ」


 影法師は状況も分からず、周囲を見回す。

 どうやらここはどこかの村のようだ。木造の家が立ち並び、文化的で平穏な生活を送っていることは分かった。


 だが、今の光景は平穏とは真逆だ。

 逃げ惑う人。緑の皮膚をした不気味な化け物。そして、化け物に立ち向かう革の鎧を来た男たち。

 どうやらここは襲撃に遭っているようだ。


「な、なんだこれ……一体何がどうなって」


 と、呟いた直後、右隣から何かが迫ってきた。恐怖に慄き顔を向けると、視界いっぱいに真緑の化け物が映り込む。


「わ、わっ!」


 化け物の手には、荒削りの混紡が握られている。その棍棒には、木釘のようなものが打ち込まれており、極めて凶悪だ。当たれば軽い怪我では済まない。

 それが影法師に向かって振られた。


「う、うわああああ!」


 慌ててよけようとした影法師は、バランスを崩して倒れる。すると、偶然にも振られた混紡が頭上数センチを通過していった。


「ちょ、ちょちょちょ!」


 立ち上がることもできず、影法師は地面を蹴って後ずさる。

 しかし、化け物は影法師を逃がす気はないようで、嬉々として棍棒を振り回しながら接近してきた。


「だ、誰か。助けて!」


 叫ぶと同時に、化け物は棍棒を立て振りしてきた。軌道は完全に影法師の頭部を真芯にとらえている。思わず影法師は顔を伏せ、目を閉じた。

 同時に肉が切り裂かれ、血が滴る音が響いた。死んだと思った影法師は丸まって小さく震える。そうしていると、誰かが抱擁を交わしてきた。


「良かった。エリュ。怪我はない?」

「え?」


 顔を上げると、眼の前には金髪碧眼の美少女の顔があった。彼女は影法師と目を合わせると、ほっと安堵した様子で安堵の息を吐く。


「うん。大丈夫そうだね。今のうちに家に帰ろ。自警団が魔物は討伐したけど、生き残りがいるかも知れない」

「えっと……あなたは?」

「え? も、もしかして……お姉ちゃんのこと忘れちゃった⁉ 自分の名前は分かる?」

「…………」


 先ほど、エリュと呼ばれて抱きつかれた。だから、自分の名前はエリュだろう、と予想はつく。しかし、確信が持てなかったので黙りこくった。

 それを見て、パニックを起こした少女は、肩を掴んできた。


「嘘っ! あ、頭とか打ったの⁉ 待っててお姉ちゃんがすぐにお医者さん連れてくるから!」


 素早く立ち上がった少女は、おそらく化け物を切ったと思われる血塗られた剣を投げ捨て、どこかへ走ろうとする。


 その時、『エリュ』の頭の中にこれまでの人生の情報が流れ込んできた。

 正確には、前世の意識と今世の記憶が統合された、というのが正しいのだが、エリュの体感としては、知らない記憶が流れてきたような感覚だった。


 しかも所々に欠損があるのか、記憶の中の時系列に乱れがある。

 だが、少なくとも自分の名前と姉の名前、自分の置かれている環境などについては思い出せた。

 医者のもとへ駆け込もうとする少女の手を慌てて掴むと、エリュは口を開く。


「フィーネお姉ちゃん……だよね。思い出したよ」

 フィーネはそれを聞いて、目を光らせるとエリュの手を強く掴んだ。


「よ、良かった。自分の名前は分かるよね?」

「エリュ。エリュ・アドミス」

「そう。そうだよ。それじゃあ、この村の名前は分かる?」

「リュナン村……だよね。お母さんとお父さんは数年前に死んじゃって今は二人暮らし。元々は農家をやってたけど、今はやってない」


 エリュの言葉を聞いたフィーネは、脱力した様子で座り込むと大きくため息を吐いた。

「良かった~。後でお医者さんに掛かるとして、今は帰ろっか」

「うん。心配してくれてありがと。お姉ちゃん」

「気にしないの。姉弟でしょ」


 フィーネはそう言って、エリュの手を引いた。

 村の中では、まだ騒動が続いている様子だが、フィーネは構わず村の外れまで移動した。


 そこには、村の中で一番大きな村長宅の次に大きな家が建てられていた。

 一般的には豪邸と呼ばれる本宅と連絡路で繋がれた道場。

 そこがエリュとフィーネの家だ。


「うちの家って大きいよね……」

「何? まだ記憶が混乱してるの? うちはリュナン農家だったから、稼ぎは多かったでしょ?」

「リュナン……?」

「もしかして、リュナンの実も忘れちゃったの?」


 玄関のドアに手を掛けながら不安そうにフィーネはエリュの顔を見る。その顔を見るのが辛いと感じたエリュは、慌てて記憶を掘り出した。

 その結果、すぐに該当の実の姿を思い出す。


「だ、大丈夫。覚えてるよ。林檎みたいな赤い実だよね。村の近くでしか取れない希少な実」


 そう言うと、フィーネはエリュの頭を無言で撫でた。

「そ。私達が住むドラン大森林には、ここでしか取れない希少な実が多く自生してるの。林檎ってのはよく分からないけど、赤くて丸い実なのは間違ってないよ。……もうっ。変なこと言って驚かせないでね」


 フィーネは拗ねたように片頬を膨らませる。そして、家のドアを開けると、エリュの背中を押した。


「さ、今日は家で大人しくしててね。あと──」


 そこで言葉を切ると、フィーネはエリュの頬を掴む。そして、ゴムを引っ張るように何度も引き伸ばした。


「家を出るときは剣を持つこと。前にも言ったよ? 私が剣術を教えてるんだから、戦えるはず。しっかり持たないと。危ないでしょ?」

「ご、ごめなふぁい」


 謝罪を受け、フィーネは微笑むと、エリュの頬から手を離し、優しく頭を撫でた。


「さ。今日は自分の部屋で大人しくしてて。お姉ちゃんは村の人とお話してくるから。何かあったら声だしてね。どこに居てもお姉ちゃん駆けつけるから」

「分かった。行ってらっしゃい」


 エリュはフィーネを見送ると、階段を上り二階に移動した。

「え~と……俺の部屋は~」


 エリュは左右に伸びる廊下を交互に見て右折する。右折した先には、部屋が三つほどあった。手前、真ん中、奥の部屋のドアにはどれも違いはない。

 しかし、エリュは自分の中にある記憶を頼りに一番奥の部屋の前に立った。


「確かこの部屋だよね」


 エリュはドアをゆっくりと開いた。鍵は掛かっていない。

 部屋には、いかにも女の子らしい内装の部屋が広がっていた。特にベッドの上に置かれた手作りの金髪美少女のぬいぐるみが目を引く。


「……この部屋お姉ちゃんの部屋か。ん~あのぬいぐるみ、なんか見覚えある気が」


 首を捻って考えるが思い出せない。


「ま、いっか。隣の部屋だったかな」


 エリュは部屋のドアを閉じると、一つ隣の部屋のドアを開いた。

 先程の部屋と違い特色のない普通の部屋。窓側に机があり、壁側にはベッドが置かれている。そして、部屋の隅に等身大の鏡が置かれていた。


「ここだったね。俺の部屋」

 呟きながらなんとなく鏡の前に立つ。

「え!!」


 鏡に写っていたのは、フィーネをより幼くしたような美少女だった。先程、フィーネの部屋に置かれていたぬいぐるみと同じような容姿だ。


「え……俺。女の子?」

 慌てて自分の体を撫でてエリュはほっと安堵の息を吐いた。

「びっくりした。顔が女の子っぽいだけか」


 エリュは改めて鏡に映る自分の姿を見る。見慣れているはずなのに、初めて見るような奇妙な感覚。しかも鏡に映るのが女の子にしか見えないのだから、違和感を覚えてしまうのも仕方がない。


 朝日に照らされたような黄金の麦畑のような金色の髪。澄んだ空をそのまま閉じ込めたような碧眼。肌は登記を思わせるほど柔らかで白く、小柄で華奢な体つきはガラス細工のよう。


 男の子を表すにはあまりにも合わない表現の数々。それらを内包した少年がエリュだ。


「う、うわぁ……これ、男らしくなるのかな」

 そう呟いた直後、エリュの碧眼に光が宿った。


 エリュ・アドミス

 総合戦闘ランク:H

 力:H(13)耐久:H(12)器用:H(15)敏捷:H(21)魔力:I(0)

 《使用魔法》

【初級炎魔法】【初級水魔法】【初級風魔法】【初級土魔法】【初級光魔法】【初級闇魔法】

 《才能》

【魔力・魔法技能成長上限なし】【剣術】


「わっ!! なにこれ!」


 突然視界に現れた表示に、エリュは慌てて両手をバタバタと振る。しかし、文字列はエリュの視界に張り付いたように消えない。

 エリュは文字列を消そうとバタバタともがく。

 そうしていると、部屋の外でドタドタという音がして、部屋のドアが勢いよく開いた。


「エリュ! 大丈夫⁉ なにか叫び声聞こえたけどっ」

 突然飛び込んできたフィーネの方を見た瞬間、エリュについての情報が別のものに切り替わった。


 フィーネ・アドミス

 総合戦闘ランク:F

 力:E(128)耐久:G(58)用:F(67)敏捷:D(179)魔力:G(49)

 《使用魔法》

【初級光魔法】

 《才能》

【ブラコン】【気力付与】【聖力付与】


「っ‼」


 思わず悲鳴をあげそうになったが、それを何とか抑え込んだエリュは、目の前に映る文字を声に出さずに読んだ。


(こ、これってもしかして女神の言ってた鑑定能力……かな?)


 そんなことを考えている間に、フィーネはエリュの顔を覗き込む。端正な顔が目の前に現れた。しかし、残念ながらエリュの視界には現在も文字列が浮かび上がっており、フィーネの顔は半分以上隠れている。


「エリュ……大丈夫?」

「え、あ……ごめん。大丈夫だよ」


 エリュはフィーネにバレないように必死に取り繕った。だが、フィーネは心配そうな顔つきをしている。


「本当に大丈夫? 今日、変だよ?」

「だ、大丈夫だよ。お姉ちゃんの部屋に俺に似たぬいぐるみがあったからびっくりしただけ。変な声上げてごめん」

「…………」


 フィーネからの反応がない。それを不思議に思っていると、彼女の陶器のような白い肌は、どんどんと朱に染まっていった。


「え、エリュ……見たの?」

「あ、えっと……だめだった?」

「い、いいいいい。良いけど、その……キモくない? お、弟のぬいぐるみ作ったりして。幻滅してない?」

「え~と……」


 エリュは言葉に迷って目を泳がせた。

 だが、フィーネが疑念を抱く前に再び口を開く。


「今度、お姉ちゃんのぬいぐるみも作ってよ。それでお互い様……で、どう?」

 そう言うと、フィーネの不安そうな表情はパッと笑顔に変わった。


「分かった。作ってプレゼントするね。じゃあ、お姉ちゃんもう一回集会に行ってくるから。大人しくお勉強しておくこと。あと、魔法の勉強はしないでね。エリュには魔力がないんだから。変なことしたら危ないよ?」

「え?」


 エリュの疑問を他所にフィーネは顔をぐいっと寄せてくる。


「分かった?」

「あ……うん。分かったよ。大人しく勉強しとく。行ってらっしゃい」


 エリュは手を振り、ドアが閉まるのを見て大きなため息を吐いた。


「はぁ、っていうかお姉ちゃんのぬいぐるみってなんだよ……」


 そう呟いたあと、未だに視界の大部分を埋め尽くしている文字列を払おうとエリュは首を振った。だが文字列は消えない。


「ん~プライバシーもへったくれもないこの力、あんまり好きじゃないな~。消えろ消えろ」


 しばらく文字列を消そうと悪戦苦闘していると、突如、文字列が消失した。今まで視界の大半の埋め尽くしていた異物が消え、視界がスッキリとした。


「おおっ。なんとなくコツ掴んだかも!」


 エリュは歓喜の声を上げる。が、すぐに口を閉ざした。

 さきほど、そこまで大きな悲鳴を上げていないのにフィーネが駆けつけた。それを考えると、あまり大きな声を上げては迷惑になる。

 今度は声のトーンを落としてエリュは呟いた。


「鑑定の力もなんとなく分かったかも。《総合戦闘ランク》っていうのが、この世界における強さの指標。Iが最低ランクで、数字が上昇したらランクも上がる。で、Hランクが一般的な村人の平均値」


 それらの情報は、誰に説明を受けたわけでもないのに、初めから知っていた。おそらくはこの力を与えた女神からのおまけ的な情報なのだろう。


 だが、前世と今世の記憶をごちゃごちゃに混ぜられたことといい、頭の中を弄り回されているようで、あまりいい気はしない。


「っていうか……お姉ちゃん。前世の記憶があるわけじゃないのに、なんで俺の魔力がないことを知ってたんだろ?」


 エリュは先ほど消したばかりの鑑定の力を使用し、自分の才能を確認する。

 魔力:I(0)


 どう見ても魔力の値はゼロだ。つまり、数値だけ見れば才能がないということになる。しかし、この鑑定の力は前世の記憶を持つ者だけの力のはずだ。フィーネがエリュと同じ境遇でない限り知っているはずがない。


「う~ん。まさか……ね」


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