まだ勘違いしてるんですか?
◆ ◇ ◆ ◇
大骨人との遭遇からおおよそ一時間。
宛てもなく歩き続けたエリュ達は大きな湖に到着した。大きさはリュナン村が一つすっぽりと入るほどに大きい。断層の上からでも見ることができる湖だ。
「ここ、結構見通しがいいね。それに水にも困らない」
エリュは湖の水を手で掬って言った。それを見たセレスは首を傾げる。
「水って魔法で出せばいいじゃん。湖の水って汚そうだしやだな」
「お姫様だし、そういうところに潔癖があるのは仕方がないね。でも、魔力は魔物を倒すために使いたい。水を作って魔物に殺されるくらいなら、俺は湖の水を飲むよ。それに、この湖の水は澄んでて綺麗だよ」
「う~ん。そうだね。ごめんね。我儘言っちゃって。でもエリュちゃんって頭いいよね。私、そんなこと全然考えてなかった」
「そうかな? 王族なら俺よりよっぽど良い教育受けてると思うし、セレスの方が頭いいんじゃない?」
エリュの言葉を聞いた瞬間、それまで普通だった彼女の表情が曇った。そのまま目を逸らして指弄りを始めた。
「……えっと~真面目に勉強してないかも」
「そ、そっか……」
庇う言葉を見つけられなかったエリュは、それだけ絞り出した。そして、逃げるようにレーンの方を向いた。レーンは木陰に腰を下ろして、こちらの様子を微笑ましげに見つめている。
「ちょっとごめん」
エリュはセレスとの会話を切り上げ、レーンの方へと歩を進める。
「あ、待ってよ!」
置いていかれたと勘違いしたセレスは駆け出した。同時にエリュの背後からドヂャッ、と泥の撥ねるような嫌な音がした。
結果は見るまでもなく想像できる。エリュは、恐る恐る振り返った。その先には、うつ伏せの恰好で泥だらけになったセレスの姿があった。彼女は双眸からポロポロと涙を流している。
「ぐずっ……、うっ、うええええええええええええっ……、あぐうっ……」
「お、おいおい」
慌ててセレスの傍に駆け寄った。そして、彼女の肩を掴んで優しく引き起こす。
「大丈夫?」
「ううっ……ぐずっ……うん。でも服汚れちゃった……っ。うわああああああああああああんっ…………!」
大雨のような涙をセレスは流す。そこに天真爛漫だった女の子の姿はない。泥だらけになり、ただただ哀れな子供の姿だけがあった。正直一連の流れはコントのようで面白かったのだが、エリュはその気持ちを飲み込んで彼女の肩に腕を回した。
「一旦湖の近くから離れよ」
「うぅ……でも服が」
「汚れた服は洗えばいいじゃん。ちょうど湖も近くにあるし、服は魔法で乾かせる。でしょ?」
「でもさっき、魔法は使わない方が良いって……」
「風邪ひいたら動けなくなるし、魔法で乾かすことは悪くない。違うかな?」
「ぐずっ…ううん。そうだね…エリュ、ありがとっ…ぐずっ」
泣き続けるセレスをレーンのいる木陰まで移動させた。そして、エリュはセレスの汚れた服を見て手を前に出す。
「それじゃあ、服洗ってくるから、脱いでくれる?」
「ちょっと、エリュ⁉」
話を聞いていたレーンが驚愕に顔を染めて咎めるように声を上げる。
それを見て、エリュはとんでもないことを口にしたことに気がついた。
「あ……ごめん。洗濯は俺の仕事だからつい癖で……やっぱり自分で洗った方が──」
そこまで言った時には、セレスはすでに自分の服に手をかけ、服を脱いでいた。
「ちょ、ちょまっ」
慌ててエリュは背を向ける。そして、赤くなった顔を隠すように背後に向けて声を上げた。
「な、なんでそんな簡単に脱ぐっ!」
「? グズっ…別に女同士だしいいじゃん。なんでそんなに恥ずかしがってるの?」
セレスは未だにエリュを女の子だと勘違いしている。それが、セレスから脱衣の恥ずかしさを奪っているようだ。
「そっか……そこの勘違いを解いてなかったのか」
エリュはこめかみをグリグリと抑えると、大きなため息を吐いてレーンの方を見た。
「レーン。悪いんだけど対応してくれない?」
「……」
エリュの言葉に気まずそうなレーンの苦笑いが返ってくる。それを見たエリュは失敗したと思った。レーンは他人の家に土足で上がらないと気が済まないほどの重度の潔癖症なのだ。
初対面の少女の泥だらけの服など触れるわけがない。
「や、やっぱり俺がやるよ。魔物に気が付かれても俺ならなんとか対応できるし、レーンは潔癖症だもんね」
「ごめん。本当はやってあげたいんだけど……ほんと、役立たずでごめん」
申し訳なさそうにレーンが言った直後、セレスから不満そうな鼻息が聞こえてきた。
「すんっ……何、ブツブツ言ってるの? 洗ってくれるんでしょ?」
「あ、うん」
エリュはセレスを直視しないように服だけ受け取ると、レーンの方を見た。
「それじゃあ洗ってくる。ここで待ってて」
すぐに服を洗おうと、湖を向いたエリュの服をセレスは掴む。
「待って……私も体洗いたいよ。一緒について行ってもいい?」
「え、いや……でもさ……」
「別にいいでしょ? 女の子同士なんだから」
「う、うん……」
いまさら男でした、なんて言えるわけがない。直視していないとはいえ、彼女の裸を見てしまった。ここでバレたら、生還しても国のお姫様を辱めた男として極刑だ。
エリュは勘違いされるような自分の容姿をひっそりと恨んだ。そして、肩をガクリと落とすと、セレスを連れて湖へ向かった。