男とバレるか、騙せるか
それだけ言うと、エリュは底なしの断層へ向けて移動を始めた。
◆ ◇ ◆ ◇
エリュが自警団に加入して約一年が経過した。その間、底なしの断層に移動した回数は数え切れない。
移動ルートも効率化され、かつては四時間かかった道のりも一時間程度で済む。だがそれでも、子供の身に一時間の山道はなかなか堪えた。
「ふぅ……やっと着いた。いつ見ても変わらないな。ここは──」
崖の縁に近づけば、その先に広がる世界は、広大な森。そして、木々の隙間から覗く化け物の姿。巨大な個体がいるようで、稀に樹木より大きい魔物が徘徊している。
「不気味だなぁ」
偶然、断層の下にいる巨大な骸骨の化け物を見たエリュは、体を震わせた。
フィーネ曰く、底なしの断層の深層と呼ばれる場所にいる魔物は、一体で村を蹂躙できる力を持っているらしい。
「たしか、断層の下は独自の生態系になってるんだっけ? だから、魔物は独自に狂暴化していくって……地獄だな」
その呟きを聞いたのか、先ほど見た骸骨の魔物がエリュの方を向いた。同時に、全身を悪寒が駆け抜ける。
「うっ……なんか目があった」
地獄へ招かれるような不気味な感覚。骸骨の顔はまるで、お前もこっちに来いよ、と言っているようだった。
「き、気の所為気の所為。さっさと仕事終わらせて帰ろう」
崖から離れたエリュは、巡回ルートへと戻る。
「え~と……人なし、魔物なし、問題なし。よしっ帰るかな」
人が見たらそんな適当な仕事があるか、と言うような雑な確認をした。どうせ、この辺りには人が来ない。そんな慢心からくる確認だった。
そのまま村の方へと数歩進んで、エリュは足を止める。
「……ん?」
踵を返すと、エリュは村のある方向とは逆の方に目を凝らした。
「……なんか、人影?」
肉眼で見るもの難しいくらいに遠く。おおよそ五百メートル先に人影らしきものが見える。
「またゴブリン?」
エリュは深い溜め息を吐き出す。
「めんどくさいなぁ……でもヴェインさんには戦うなって言われてるんだよねぇ」
だが、理性では逃げた方がいいと分かっていても、好奇心は留まることなく湧き上がってくる。前世の記憶があるとはいえ、ベースは子供なのだ。好奇心が抑えきれる訳がない。
「中級魔法も覚えたし……ちょっとくらい──いいよね?」
誰に聞かせるでもない言い訳を呟く。
そして欲に負けてエリュは人影の方へ歩を進めた。
しばらく歩くと、幅の広い大きな川が見えてきた。水量は多くないようで、流れも急ではない。緩やかに流れていく川の水は、そのまま底なしの断層から下へ落ちていく。
崖の下には大きな湖が見えるので、湖の水はこの川から供給されていると分かった。
「さっきの人影……水浴びでもしてたのかな? ゴブリンにそんな知性があったなんて」
そんなことを呟きながら崖下から視線を外し──エリュは石のように固まった。
もちろんメデューサを見たように物理的に石化したわけではなく、驚きで体が硬直してしまっただけだ。
なぜなら振り向いた先には──今にも服を脱ごうとしている少女の姿があったからだ。既に手にかけた服は半分ほど脱げかかっており、下着や素肌の大部分が露出している。
「…………」
(うわああああああああああっ人だった! ゴブリンじゃないじゃん!! やばいって。覗きで捕まるっ!)
心の中で叫び声を上げたエリュは、バレないように息を殺し一歩後ずさる。
しかし、川の周囲には大小様々な石が散乱しており、不運にもエリュは足を滑らした。
一瞬の宙に浮かぶような感覚の後、後頭部に痛みが走る。
「いだっ!! っ──」
(やばっ。声出ちゃった)
咄嗟に口を押さえたものの、漏れた声は防ぎ切れなかった。
恐る恐る顔を上げ、少女の方を見る。視線の先には、乱れた着衣を押さえながら、驚いたような表情でこちらを見つめる少女の姿があった。
「……あ」
目が合ってしまった。
そこからしばらくの間が過ぎ去る。両者の間に流れるのは完全な沈黙だ。その間、審判を待っていたエリュは、若くして性犯罪者として捕まる未来を見て、諦めの境地に至っていた。
しかし、少女の方は沈黙を破るように胸を抑えてほっとため息を吐き出す。
「なんだ。女の子じゃん。びっくりしたよ~」
「へ?」
少女が何を言っているか理解できず、エリュの思考は一瞬固まった。
しかしすぐに今朝、鏡を見た時に写った自分の姿を思い出した。
(まぁ、普通に間違えるよね……)
そんなことを考えている内に、着衣を整えながら少女はいたずらっ子のような笑顔を浮かべ、エリュの方へ歩み寄ってくる。
「ねぇ。私の裸、見た?」
エリュは少女の質問に激しく首を横に振る。
その時、初めて気がついたのだが、少女が着ている服は明らかに高級なものだった。以前、似たような服を見たことがある。
その服を着ていたのは、大商人の娘だった。それを思えば眼の前の少女は、かなりのお金持ちということになる。
商人の娘か貴族の娘──。
と、エリュはそこまで考えて顔を青くした。
そう。ちょうど今朝、似たような話をレーンから聞いたばかりなのだ。
──そうだ。昨日少し聞いたんだけど、近いうちにこの村に王女さまが来るらしいよ? 知ってた?
レーンの言葉をフラッシュバックするように思い出す。
もし──と、エリュは考えた。
もし、この少女がレーンの言うお姫様なら、今エリュはとんでもないものを見てしまったことになる。未婚のしかもお姫様の下着や素肌を見たとなれば、男のエリュは王族の顔を守るために極刑に処される可能性がある。
そんな事を考えていると、恐怖で顔と体が硬直してしまった。
(で、でも。まだ男ってバレてない! 話題を逸らさないと)
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