卒業試験
「出かけてくるね。いってきます」
それだけ言ってエリュは背を向けた。
その瞬間、フィーネはパッと笑顔を作って深く頷く。
「うん! 気をつけてね。夜には帰って来るんだよ?」
エリュは背を向けたまま頷く。そしてすぐに家を出た。その足で向かったのは、この三年間通い続けた花畑だった。
花畑へと繋がる道は、毎日通ったおかげで、道になっている。そこを通り抜けて進むと、花畑の中央には、いつものようにレーンが立っていた。
彼女の表情は普段よりも引き締まった真剣な面持ちだ。まるでこれから重要な戦が始まるかのような雰囲気だが、それはエリュも同様だ。
「エリュ。最終試験だよ。一発勝負しっかり決めちゃって」
「うん。三年間の成果を見せるよ」
一般的に『中級魔法』の習得には、どんな才能のある人間でも五年は掛かる。
しかし、エリュは修行開始からおおよそ三年で、中級魔法を使用できるまで成長した。
今日はその集大成。
レーンを前にして中級魔法を一発放つ。言葉にすれば、ただそれだけだが、三年間の修行をしてきたエリュと、それを教えてきたレーンからしてみれば、もっと重い意味があった。
レーンは、決意の眼差しを向けるエリュを見て懐かしそうに空を見上げる。
「この三年間。色々あったね」
「そうだね。最初の頃なんて失敗ばっかりだったし」
エリュの言葉を聞いたレーンは思い出し笑いを始めた。
「エリュが水魔法に失敗して、空に飛んでいったのは、今思い出しても笑えるよ」
「気合を入れてるところで思い出させないでよ。あの時は死ぬかと思ったんだから」
「結局助かったでしょ?」
レーンはウィンクしてほほ笑む。助けてやったという感じの雰囲気だが、彼女はエリュが空に打ち上がった際に何もしてない。普通に面白がっていただけだ。
ちなみに着地の際には風魔法で落下速度を減衰させて、木の枝葉の上に落下することで衝撃を和らげた。
もちろん全身擦り傷だらけになって、その日はフィーネに泣いて心配された。
それをレーンは思い出すたびに笑い話にしてくる。
よほど吹っ飛び方が面白かったのだとは思うが、吹っ飛んだ方としては笑い事ではない。
「っていうか、私だって心配してたよ? エリュが大した怪我をしてなかったから笑い話になっただけだよ」
「ふぅん?」
エリュは疑わしげにレーンを見る。それを受けた彼女は心外だと言わんばかりに、ふん、と鼻を鳴らした。
「とにかく、早く最終試験始めるよ。準備はいい?」
「オッケー。一発で決めるから見てて」
レーンは覚悟の決まったエリュの顔を見て静かに頷くと、数歩後ろに下がった。
一方のエリュは、花畑の隅に設置された人型の的に手のひらを向ける。視線の先にある的は既にボロボロだ。それは、三年間雨や風、そしてエリュの攻撃を耐え続けた強固な的だ。だが、エリュは今日、この日に破壊するつもりだった。
「大いなる水よ。澄み渡る波の刃となり、敵を打ち砕け《水斬刃》」
三年間の努力を想いに変え、全てを込めてエリュは叫ぶ。手のひらからは水泡が出現し、高速で形を変えていく。即座にそれは刃物のように鋭く尖り射出される。
空気を斬り裂いて、吸い込まれるように的へ直進した水の刃は──的を切り裂いた。断面だけ見れば、水の魔法で切り裂いたとは思えないほど、綺麗な断面だ。
そして、そのまま後方の木々を二、三本切り裂いて魔法は止まった。
「やった! 成功したよ」
「うん。おめでとう」
レーンは、含みの無い賞賛の笑顔を向ける。それはエリュにとって、一番の報酬だった。
エリュが満足してニコニコしていると、レーンは名残惜しそうにため息を吐く。
「中級魔法を覚えるのにはもっと時間がかかると思ってたけど、あっと今だったね」
「三年も掛かったんだよ。遅くても一年くらいで習得できると思ったんだけどなぁ」
レーンはチッチと舌を鳴らしつつ指を振った。
「エリュは見積もりが甘いね。私は五年以上掛かると思ってた」
「そこは俺の努力だよ。もちろんレーンが教えてくれたからではあるんだけどね」
レーンはエリュの物言いを聞いて面白そうに笑う。だが、同時にその笑いには少量の寂しさが混ざっていた。
「でもこれで修行も終わりだね。これ以上、私に教えられることはないよ」
「そっか。そうなるのか……」
エリュとレーンの繋がりは魔法の師弟関係だけだ。修行が終了してしまえば、二人は元師弟の他人だ。
寂しい。そう思ったエリュは間を置かずに口を開いた。
「じゃあ一緒に上級魔法の練習とかしない?」
「ううん。私には絶対に上級魔法は習得できないから遠慮する」
「なんでそんなこと言うの? やってみないと分からないじゃん」
「あんまり言いたくない。でも絶対に無理だよ」
優しい言い方。だが、言葉には明確な拒絶があった。
それを聞いたエリュは素早く口を閉ざす。
これが三年間で把握した彼女との距離感だ。
レーンが話したくないことは聞かない、触れない、話さない。これだけしっかりと守れば、出会ったばかりのような冷たい態度は取ってこない。
それどころか、先ほどまでのようにフレンドリーな対応をしてくれる。
だからこそ、彼女が守ろうとしている境界をエリュは彼女以上に強く意識していた。
「ごめん。もう聞かない。けど、他に何か一緒にできたりしたらいいな」
「なら、空間魔法の練習は? エリュならできると思うし、知識だけなら私も持ってる。教えることはできるよ」
先ほどまでの話の流れから読み取れば、エリュはこの提案を受けて喜ぶだろう。だが、実際にはレーンに怪訝な表情を向けた。
「またその話? あれは偶然だってば」
耳にタコができるほど聞かされたその言葉をエリュは首を振って否定する。
「でも可能性があるってだけでも、練習の価値はあるよ。世界でも数十人しか使えない貴重な才能だよ? 長距離転移とか、別の空間に荷物を預けたりとか、便利なのに」
レーンは食いついてエリュに訴える。一方のエリュは渋い顔を返す。
なぜ、レーンがここまで食い下がってエリュに空間魔法を勧めるのか。それを説明するには、おおよそ一年の時を遡ることになる。
卒業試験と言いつつ、簡素です。
ずっと二人は一緒にいたので、改めてしっかりとした場を作るよ的なノリだと思います。