レーン見つけた
手首を掴まれたゴブリンはズルズルとエリュの周りを回転する。だが、崖の縁まで引きずられたゴブリンは両足をバタつかせて暴れ始めた。
「ギャギャッギャッ!」
やめろと言わんばかりにゴブリンは奇声を上げる。だが、エリュは人間でゴブリンの言葉など理解できない。構わずゴブリンを突き落とそうとエリュは崖の縁へと押し込む。
そうして、ゴブリンの両足は大地から解放された。
ゴブリンは何度か地面を踏もうと足をバタつかせる。だが、その足は無様に宙を切った。今のゴブリンの命綱はエリュの手だけだ。
「じゃあね。次は人間を襲わないような動物になれるといいね」
エリュは躊躇なく手を離した。ゴブリンは助けを求めるようにエリュを見る。そのつぶらな瞳は、時間と共に暗黒へと飲まれていく。
そして安全を確信したエリュはその場に座り込んだ。
「し、死ぬかと思った……魔物ってあんな気持ち悪いのか」
今夜寝たら絶対に夢に見る。
確信に近い予感を抱きながらエリュは立ち上がる。
「本当はもう帰りたいけど、ここまで来たんだ。もう少しだけ」
覚悟を決め、エリュは進む。
しばらく歩いていると、遠く離れた場所に人影が見えた。既に周囲は薄暗くなっているが、その輪郭だけは確認できる。
「……またゴブリン?」
エリュは目を細め、警戒しながら人影を観察する。
よく見ると、その人影は崖に座り込んで何かをしている様子だった。
「……人間か」
安堵したエリュは人影に向かって近づく。
だんだんと距離が狭まり、ぼやけていた姿が見えるようになっていく。それに比例して、エリュの歩速は早まっていった。
そして──
「レーン……ここにいたんだ」
エリュの言葉に返ってきたのは、小さなため息と眉を潜めた困惑の表情だった。
「呆れた……こんな所まで来たの?」
レーンはそう言うと、静かに本を閉じてエリュの方へ視線を向けた。
「……怪我はない?」
言葉や態度とは一致しない発言と、心配するような眼差しにエリュは混乱する。
「え? ……あ、うん。魔物に襲われたけど、護身術の心得もあったから」
「ふぅん」
興味なさそうに言ったが、何故かレーンの口元は小さく緩んでいた。
「帰ったらフィーネにちゃんとお礼を言いなね」
「……お姉ちゃんを知ってるの?」
「まぁね。それよりももう日が暮れる。早く帰りなさい」
「え、でも……」
「私は大丈夫。あと、明日からはあんたの家の裏にいるから。こんな場所まで探しに来なくていいよ」
そう言って、レーンは再び読書に戻った。
しかし、エリュはその場を去らずにレーンの方を見たまま口を開く。
「じゃあ、明日も話せるってことでいいんだよね?」
「えぇ。明日会いましょう」
結局レーンは、なぜここにいるのか。
そして、何をしていたのか語ることはなかった。
レーンとは一体何者なのか、なぜフィーネを知っているのか、なぜエリュの家の裏にいたのか。
行動や考えがまるで読めない。だが、それが魅力的な不思議な女の子にエリュは背を向けると、帰路へついた。