過去と今
翌日。
目を覚ましたエリュは、ベッドから飛び降りると、真っ先に窓の側へと移動する。そして、朝日の差し込む半開きのカーテンの隙間から窓の外を覗いた。
「……いない、か」
昨日の話からなんとなく、レーンはもうエリュの家の裏には来ないのではないか、と思っていたが、それは正しかったらしい。
どこか寂しさを感じながらエリュはカーテンを全開に開く。
「どこに行ったんだろ」
エリュはぽつりと呟きながら、ドアノブを掴んで部屋を出た。直後、エリュは何かにぶつかり弾き飛ばされる。しかし、地面に倒れる前に背中を支えられ、倒れずに済んだ。
「う、え?」
顔を上げると、エリュの頭上には難しい顔をしたフィーネの顔があった。
「あ、お姉ちゃん。おはよう。ごめん。前見てなかった」
「ううん。気にしないで。おはよエリュ」
いつもなら顔を合わせた瞬間に、笑顔でおはようの挨拶をするフィーネは、本日難しい顔をしていた。
違和感に気がついたエリュは首を傾げる。
「どうしたの? 調子悪い?」
「ううん。そうじゃなくてね……今日はお姉ちゃんと一緒に剣の修行しない?」
「剣の練習?」
エリュは口元に手を当てて考える。前世を思い出す前のエリュは、毎日のようにフィーネと剣術の練習をしていた。だがここ数日、その練習には参加していない。
魔法の練習ばかりに明け暮れ、フィーネの扱いをおろそかにしていた。別に姉弟だし、適当てもいいじゃないか、とも思うが、残された家族をあまり乱雑に扱いたくない。
しばらく考えたエリュは微笑んだ。
「そうだね。じゃあ今日はお姉ちゃんと剣術の訓練しようかな」
いかにも子供らしい言い方でエリュが言った途端、フィーネの表情はパッと華やいだ。
「うん! じゃあいこ! サボった分ぎっちりしごくからねっ!」
言うが早いか、残像を残すような勢いてエリュの手を掴んだフィーネは、道場まで駆けた。彼女の走行能力は尋常ではなく、手を引かれたエリュは地面に足を付けることすら許されず、そのまま道場へとたどり着いた。
同時に地面に足を付いたエリュは、四つ這いになる。
「……お姉ちゃん。足早いよ」
部屋から道場までの道中、壁や角に体を打ち付けまくったエリュはボロボロになっていた。そんなエリュの姿を見て、フィーネは息を飲む。
「ご、ごめんね! お姉ちゃん、ちょっと興奮してエリュの事いっぱい引っ張っちゃった。け、怪我はない?」
「無いって言ったら嘘になるけど、大丈夫だよ。ただ今度から自分の足で歩きたいかも」
「ごめん~今度から気を付けるから許して~」
手をすり合わせながらフィーネは申し訳なさそうに謝罪を繰り返した。
「もういいよ。気を付けてくれるって言ったし。それより、剣術を教えてくれるんじゃないの?」
「あ、そうだったね。って言っても、基礎的なことは全部おしえちゃったんだよね。あとは、実戦で使えるかどうかって部分が重要になってくるんだよね」
うむむ、とフィーネは唸る。そして、突然手を叩いた。
「あ、そうだ! じゃあ、お姉ちゃんとの一本勝負にしよう。勝てたら今日の訓練は終わり」
「それでいいの?」
「もちろん! まぁ勝てたらね。あと、実践を重視して汚い手も使っていいよ。むしろどんどん使って。いざという時の機転がエリュの命を救うから」
「言ったね? それじゃあ、実践重視でソッコー一本取るから」
フィーネはエリュの言葉を聞いて楽しそうにニヤリとほほ笑むと、壁に立てかけられた木剣を二本回収し、その内の一本をエリュに放った。
「おとと」
地面に落ちるギリギリで木剣を回収したエリュは、持ち手を握ってフィーネに刃先を向けた。前世を思い出してから初めて剣を握ったのにその構えは堂に入っている。
ほとんど記憶にはないが、フィーネとの訓練は体が覚えているようだった。
「じゃあ行くよ?」
エリュは体をわずかに捻り、地面を踏み込む。同時に地面を強く蹴ってフィーネの懐に飛び込んだ。
フィーネは飛び込んできたエリュを迎撃しようと、素早く木剣を振る。だが、エリュに直撃する直前、急速に斬撃の速度が低下した。それを見越していたエリュは、体を捻ってフィーネの斬撃を回避する。
「お姉ちゃんなら手加減すると思ったよ」
勝気に言ったエリュは、捻った体から鋭く剣を突き出す。狙いはフィーネの心臓の位置だ。
だが、エリュの突きは、フィーネの握った木剣の柄に弾かれた。
「そう来ると思ってたよ」
フィーネは微笑む。同時にエリュの視界がガクっと下がった。
否、脚部を蹴られて倒れていた。その後、事態を把握しきる前に頭上から木剣が振り下ろされる。エリュは反射ですばやく体を回転させた。
地面を転がって逃げた直後、近くで木剣が床に接触する音が聞こえた。
エリュは、フィーネが迫る前に両手を使って素早く立ち上がる。そして、フィーネに向けて剣を構えた。
「お姉ちゃん。弟を蹴るなんてひどいよ」
「うぐっ。で、でもそう言う戦いだし……」
申し訳なさそうにフィーネはモジモジと体を揺らす。その間にエリュはフィーネに歩いて近づく。木剣は背中に隠し、自然な様子で迫る。
そして、剣の斬撃範囲に入った時、エリュはフィーネに向けてほほ笑んだ。
「きやっ……可愛いっ!」
我を忘れたようにフィーネは両手を伸ばして抱き着こうとしてきた。そこにエリュは隠していた木剣を突き立てる。フィーネは目を♡にして、エリュの立てた剣に向かって飛び込んでくる。
だが、直前で我に返ったのか、とんでもない反応速度で体を地面に滑らせた。剣をギリギリで躱したフィーネは、再びエリュの足を蹴った。エリュは再びバランスを崩し倒れる。だが、倒れ込む直前でフィーネに足を掴まれ持ち上げられた。
「わっわっ! 何するんだよ!」
「お姉ちゃんを誑かした罰だよ。お尻ぺんぺんするから」
「剣術は⁉」
「これがお姉ちゃんの剣術だよ!」
「絶対に違うっ!」
エリュは抵抗しようと手に握った木剣をぶんぶんと振る。しかし、逆さになっている状況ではうまく剣が振るえない。
逆さになって剣を当てることを諦めたエリュは、木剣を地面に置いた。それを見て、フィーネは満足そうにほほ笑んだ。
「ふっふっふ。ついに観念したね。じゃあ敗者は、この後一日中お姉ちゃんの着せ替え人形の刑だよ!」
「絶対に嫌だっ!」
叫びながらエリュは右手をフィーネに向けた。
「水よ流れよ《噴水》」
その瞬間、魂から溢れた魔力が肉体に充填され、肉体から放出された魔力が空気中の魔素に命令を下す。同時に水泡が現れ、そこからエリュのイメージ通りの水鉄砲のような水がフィーネの顔に掛かった。
「あぷっ。な、なに⁉」
顔に水が掛かり驚いたフィーネは手を放す。解放されたエリュは地面に着地すると、予め落とした木剣を拾い上げた。
その間、フィーネは顔をごしごしと擦って水を拭う。そして、顔を上げた時には、エリュがチェックメイトを決めていた。
フィーネの首筋には、エリュが向けた木剣が突きつけられている。
「うっ……はぁ。負けっちゃったか」
満足そうにフィーネは笑う。
「ところで、さっきの魔法だよね。いつから使えるようになったの?」
「つい昨日だよ」
「そっか。なら、今度から聖力と気力についての勉強もできるね。あれも魔力の一種だから」
「それってなんなの?」
「気力は身体能力とか威力上昇、聖力は浄化作用があるの。適切な場面で使えれば、エリュの力になるよ」
「へぇ~。じゃあ自警団の人とかも使ってる訳だね。実戦向け的な」
無邪気に言うと、フィーネは困った顔をした。そして、しばらく迷った末に口を開く。
「え~とね。気力と聖力は、一部の人にしか使えないの」
「そうなんだ。でもお姉ちゃんは使えるでしょ?」
「まぁね」
フィーネは短くそう言うと、エリュの背に回ってポンと背中を押した。
「私の負けだから遊びに行っておいで。村の外には出て行っちゃダメだよ?」
「うん。分かった~」
エリュは元気に言ってフィーネに手を振る。そして、道場を出てからリュナン農場の方へと向かった。
(お姉ちゃんとの訓練で一時間くらい時間を使ったし、もしかしたら家の裏にいるかも)
だが結果は期待外れだった。
レーンの姿はない。
「……やっぱりいないか。でも、この村の人ならどこかにいるはず。探そう」