筋肉転生~トラックに轢かれて複数の最強スキルを得る。……え? 死んで異世界転生? トラックに轢かれたくらいでこの鍛え上げた筋肉が負けるわけがない。異世界にはこちらから向かう~
──咄嗟の判断だった。
呑気に毛繕いをしている子猫を庇う形で、道路に飛び出したのは。
キィ──ッと、ブレーキが全力で踏まれる。しかしトラックは止まらない。
直後、何かがひしゃげたような凄まじい衝突音が轟いた。
周囲でざわめきが起きる。トラックの運転手も人を轢いたことに気付いただろう。しかしトラックはその場で旋回して反対車線に乗り、逃げて行った。
しばらくして、喧騒の中心にいる俺は腕の中にいる子猫を離した。子猫はびびっていたようだったが幸い怪我はなかったようで、すぐに走り去っていた。
「さてと、俺も帰るか……。と、その前に流石に通報か?」
なんて呟く俺の目の前の地面が、唐突に輝き出す。
「な──っ⁉」
地面に幾何学的な魔法陣が描かれたかと思うと、そこから一人の人間が眩い光を発しながら生えてくる。その姿に、俺は思わず息を飲んだ。
艶やかな長い銀髪。深海の色を映したような深い蒼の瞳。同じ人間とは思えないほど整った美貌。ゲームやアニメでしか見たことのないような煌びやかな服装。
そして、落ち着いた佇まいから感じられる上位存在感。
彼女は召喚時から目を瞑ったまま、俺に向かって丁寧に一礼をする。
「初めまして。私は女神ラミフェイトです。剛力武さん。非常に残念ながらあなたは死んでしまい──……あれ、ここは……?」
彼女──女神といったか、が目を開けた。女神は周囲をきょろきょろと見回して、佇まいを崩して「え、え……え?」と明らかに困惑を露わにしている。
紳士たるもの、困っている女性を見過ごすことはできない。
俺は鍛え上げた三角筋と前鋸筋を動かし、眼前の女神に手を差し伸べる。
「あの、ラミ……ラミネートさん? 大丈夫ですか?」
「ええ……大丈夫ですが、人の名前を勝手に積層加工しないでください。私の名前はラミフェイトです。それより、まずあなたは誰ですか……?」
「ああすみません。俺は剛力武、好きな筋肉は下腿三頭筋です」
「そんな自然に好きな筋肉を教えられても……。っていうか、ちょ、ちょっと待ってください。あなたが剛力武? そんな、嘘……」
「嘘じゃないですよ。ほら、ジムの会員カード。俺の名前と顏でしょ?」
女神さんは俺が手渡した会員カードを食い入るように確認している。そんなにじっくり見られても、僧帽筋くらいしか写ってないから見ごたえは少ないと思うが。
「だって、剛力武はもっと貧弱で、腕の太さも三周りくらい細くて……そもそも今日12時28分! 剛力武は子猫を助けてトラックに轢かれて死ぬはずじゃ……!」
人の名前をフルネームで連呼するのはできればやめて欲しい。
……というか、俺が子猫を助けてトラックに轢かれるって。
「ああ、それならさっき助けましたよ。俺を轢いたトラックは逃げてきました」
「さっき助けた? じゃあなんであなたは生きてるんですか」
「やだなあ。鍛え上げた筋肉がトラック程度に負けるはずないじゃないですか」
ぶつかった時の音は、トラックのフロントが俺の筋肉でひしゃげた音だ。損害賠償を請求されるかもと思ったけど、相手はひき逃げだしそんなことは考えないだろう。
「変なことを言いながら変なポージングで筋肉を見せびらかさないでください」
「サイドトライセップスです。アブドミナルアンドサイとかの方が好みでした?」
俺は頭の後ろで腕を組み、タンクトップ越しの腹筋と足の大きさを強調する。ムキムキに隆起した筋肉たちが俺のポージングに応えてくれる快感──素晴らしい。
「ポージングの名前とかどうでもいいですからっ! え、え……つまりはあれ? 剛力武は事故で死ななくて、私は神界の転生部屋じゃなく現世に召喚されて……」
「まあ、俺が死んでないってことはそうなるんですかね。それよりいいんですか? さっきからそのコスプレ姿、めちゃくちゃ撮られてますけど」
周囲にできた人集りの一部、主に学生っぽい子たちが俺たちの写真を撮っていた。俺がフロントダブルバイセップスをして微笑みかけると、手を振ってくれた。
うん、実にいい子たちだ。将来きっといい大人になるだろう。
「コスプレじゃありません! 正式な女神の衣装で──あなたたちも勝手に撮らないでください! っていうか、どうしてくれるんですか……⁉ なんで死んでないんですか! 今すぐトラック呼び戻してもう一回轢かれてください!」
「女神とは思えない発言ですよ。まあまあ、一度落ち着きましょう。俺も状況が飲めてませんし。ついでにお昼のプロテインもまだ飲めてません」
「そのついで情報要りました……⁉ まぁ……いいです。説明しましょう」
──女神説明中……。
「……つまり、俺が死ななかったことで、本来俺がいるはずの転生部屋に召喚されるはずだった女神さんが、手違いで現世に降り立ってしまったと」
なるほど、俺を座標指定にしていたから起きた事故ということか。
「そうなります。……それで、本当はあなたにスキルを与えて異世界を救ってもらおうと思っていたのですが、あなたは現世に残ったままですし……。どうしよう」
女神さんが頭を抱えて子供のようにあたふたしている。
「女神さんだけ現世に帰ることはできないんです?」
「それが出来たら苦労していませんっ! 現世から現世、神界から神界への召喚はいつでもできますが、現世から神界の召喚は普通できないんです!」
「つまりは……全身の筋肉なら家でも鍛えられるけど、ピンポイントマッスルはジムで専用のマシンを使わないと鍛えにくい、みたいなものですか?」
「全然違いますけど……⁉」
「説明が難しいですね。どうにか筋肉で例えてもらえませんか?」
「無茶を言わないでくださいっ……‼」
「ほかに神界に帰る方法はないんですか?」
「確かに、その世界の魔王を倒せば、その転生者と同行人は一時的に神界に召喚されるという決まりごとはありますが……。そうだ!」
何かを思いついたかのように女神さんが声を張り上げる。
「こうなったらしょうがないです。今から、あなたに次元転移のスキルを与えます。これは強制です。私と一緒に異世界に行って速攻魔王を倒して帰らせてください!」
「……待ってください。一つだけ、いいですか?」
俺が神妙な表情を作って手を前に出すと、女神さんははっと目を見開いた。
それからすまさなそうに、視線を落としながら告げてくる。
「あ……すみません。ご家族やお友達への挨拶とか、でしょうか。速攻とは言いましたが、それくらいなら時間は取れるので──」
「……その世界にストレングスマシンはあるんですか? トライセップスエクステンションは? レッグプレスだったり、チェストプレスは……⁉」
「気を遣った私が馬鹿でした。行きましょう、今すぐに」
「そんな、プロテインがないなら俺は何を飲めばいいんですか⁉」
「その辺の水でも何でも飲んでくださいっ!」
むっとした表情で言った後、女神さんは何か気付いたように口元に手を当てる。
「……や、そうでもないです。次元転移スキル以外に創造スキルもおまけするので、それで作ってください。トレーニングマシンもプロテインも作り放題ですよ」
「さあ今すぐ行きましょう。スキルはどうやって貰えるんですか?」
「……釈然としませんが、やる気になってもらえたなら幸いです」
「異世界に行ったらまずは、今日の午後の分のトレーニングをしないと……。いや、新しい器具が作れるなら、トレーニングメニューから変える必要が……」
「今からジム行くか、みたいな感覚で異世界に行こうとしてませんか……⁉ 筋トレしに行くんじゃなくて魔王を倒しに行くんですからね‼」
そうして、俺──剛力武と女神ラミネートさんは、異世界へと旅立った。
はちきれんばかりの大胸筋を得た俺が、魔王とボディビル対決を繰り広げ、そして悲願の大会優勝への道を歩むことになるのは──また別のお話。