3.食堂
引っ越してきたばかりのこの町には、空き家が多い。町を出歩いているのが高齢の夫婦ばかりなのが、その理由だろう。周りの建物も昔ながらの個人の店ばかりだ。
今日は祭日。妻を隣に乗せドライブをしながら町を探索していた。すると気になる名前の店を発見した。
『キッチン ジャンケン』
看板にじゃんけんの手が3つ描かれている。
「面白い名前ね。入ってみる?」
店の前に5つほど提灯が飾られており、暖簾もかかっている。
「行ってみるか。」
僕は駐車場に車を停めた。妻と2人で中に入ると、中年の女性が「いらっしゃいませ」と迎えてくれた。
「奥の席でよろしいですか?」
「はい。」
木造の店内は、昭和っぽい雰囲気の家具が置かれている。中は意外と広く、お客さんもまばらにいた。
案内された奥の席には窓があった。表の道路がよく見える。手書きのメニュー表を渡され、僕はさばの味噌煮定食、妻はからあげ定食を注文した。
グラスに水が注がれ、女性は厨房の中へと入って行く。その先では中年の男性がせっせと料理を作っている姿が見えた。
「夫婦で経営してるのかな?」
「そうだろうね。」
しばらくすると食事が運ばれてきた。さばの味噌煮はよく煮込まれており、一口食べると甘辛い懐かしい味がした。妻と食事を分け合うと、から揚げも家庭的な茶色い衣だったが、どこかほっとする味だった。食べていると、田舎のお袋を思い出した。
食事を済まし会計をすると、最後に中年の女性が「じゃんけんをしましょう」と言ってきた。
「じゃんけんに買ったら、次回から使える割引券を差し上げますよ。」
「あなた、頑張って!」
「おう!」
「じゃーん、けーん・・・」
「ぽんっ!」
僕はグーを、中年の女性はチョキを出した。
「やった!勝ったね!」
妻が隣で手を叩いて喜んでくれた。女性はにこにこしながらピンク色の券をくれた。「100円引」と書かれている。
「またお越しください。」
「ご馳走さまでした。」
女性の笑顔に見送られ、店の外に出た。
「ご飯も美味しかったし、割引券も貰えたね。」
「うん。良い店だったね。また来よう。」
僕たちは青空の下、少しドライブをしてから家に帰った。
駐車場に車を停め、家に入ろうとした時だった。
「なにこれ!嫌がらせ!?」
妻が怒っていた。郵便受けの前でチラシと新聞をたくさん抱えていた。
「今朝新聞を取ったのに、たくさん入ってる!それにチラシまでこんなに!誰がこんなイタズラしたのかしら。」
すぐにゴミ袋にまとめた。ひと息入れようとスマホを出すと、メールや着信が山のようにきていた。
「なんだこれ!?」
慌ててチェックすると、会社や会社の友人からだった。すぐに電話すると、「無断欠勤とは何事だ!!」と怒鳴られた。
訳が分からず怒られていると、テレビをつけた妻が僕を呼んだ。その顔は、僕ではなくテレビの画面を見たまま硬直している。
僕もテレビを見て、目を疑った。
ニュース番組のキャスターの机の前。
そこには『令和6年7月19日(金)』の日にちが表示されていた。
「もしもし、聞いてるのか!?」
「・・・あの、すみません。今日は海の日じゃないんですか?」
「寝ぼけてるのか?そりゃ今週の月曜だろ!」
「・・・・・・」
僕は電話を切り、スマホを見た。
画面には、やはり『7月19日(金)』と表示されている。
「一体どうなってるんだ?」
「嘘でしょ・・・なんでこの日付なの?」
僕の後ろで妻が震えていた。
先ほど貰った割引券を見つめて、青ざめている。
僕は妻からピンク色の券を貰うと、2人でもう一度先ほどの店に向かうことにした。
店に近づくにつれ、血の気が引いていく。
提灯と暖簾がない。
明かりもついていない。
がらんとした駐車場に車を停め、店の前まで向かうと、全ての窓ガラスにバツ印の養生テープが貼られていた。裏手に回ると・・・
僕達が食事をした席の窓ガラスは、割れていた。
「さっき、ここで食べたよな・・・。その時は、窓は割れてなんかいなかった。」
「これって、どういうことなの・・・?」
青ざめる妻の横で、僕は割引券を見た。
信じ難いが、僕たちは過去に行き、今は閉店している「キッチン ジャンケン」で食事をしたようだ。
その証拠に、僕の手には『有効期限 昭和63年12月末日』と書かれた割引券が残っている。