02:生きる気力が消えていく
視覚というのは、意識していなければ気にもしていなかったが、情報としてかなり重要なのだなと実感した。
「一口でもいいから食べて」
頭部が蜘蛛になっている看護師が隣に座り、私にお箸を握らせる。
「ひっ」
うぞうぞと毛がびっしりと生えた足が蠢き、食事どころではない。さっと彼女から目をそらしても、自分以外化け物しかいない。
(魚や動物はまだ耐えられる。でも虫は無理だよ、うぅっ)
胃液が喉を焼きながら込み上げてくる。思わず私は手を口で押さえるが間に合わず、みんなが食事をしている場でおえぇぇっと吐いてしまった。
「大丈夫よ、全部出しちゃおうね」
看護師が蜘蛛の足をくねらせながら、優しく背中を撫でてくれる。蜘蛛の口からは糸がしゅーっと伸び始め、まるで私を食べようと狙っているようにしか見えなかった。
(つらい、耐えられないっっ)
こんな調子で、食事が喉を通るわけもなく、すぐに点滴生活となった。
(点滴をしなければ、死ねるのだろうか)
安心できないから、眠れない。不安で毎日死にそうだった。だけど、点滴を投与されているから、ベッドで寝たきりになっても死ぬことはない。
一度、点滴の針を抜き、全速力で病棟を抜け出そうと計画したことがあった。
私がいる病棟は閉鎖病棟なので、入り口に鍵をかけられている。出るには看護師の付き添いが必須だし、お小遣いも親が差し入れしてくれたものも全て病院に管理される。
(あの扉を抜けたら、外へ繋がるエレベーターがある。それに乗ることができたら……!)
外出していた患者の団体が入ってくるタイミングを見計らい、私は全力ダッシュした。もつれる足で必死に走る。ここでは、誰かが突然走り出しても日常茶飯事で誰も変に思わない。
(あとちょっとだ……!)
開きっぱなしになっている出口にあともう少しという所で、男性の看護師達に捕まってしまった。
「離して! 離してよ!!」
「落ち着いてください! おい、注射!」
腕にちくっとした痛みを感じた瞬間、私の意識は沈んでいった。それから要監視対象になってしまい、看護師達からマークされるようになってしまった。
(ちくしょう、もうやだ。こんな呪われた世界、なくなっちゃえばいいのに)
世界がなくならないのなら、私がさよならするまでだ。
点滴だけで、水分以外は何も口にしていないためか、日に日に痩せていった。
毎日お見舞いに来てくれる母らしきヒトは、頑なに食事を拒否し生きる希望を失った娘を見てどう思っていたのだろう。気丈なふりをして、いつも明るく話しかけてくれるその空元気さえ、その時の私は鬱陶しくしか思えなかった。
(人生十七年、短い生涯でした)